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神田祭

神田祭は5月の祭なので今更ではありますが、いちおう夏の季語ではあります。祇園祭、天神祭と合わせて日本三大祭と言われています。ネットから拾った写真を絵にしたのですが、奥の女性の冷ややかな表情は何なのでしょうかね。最近もてもての大泉洋さんにも神輿を担いて頂きました。(嘘です)

神田明神は家康が会津討伐や関ヶ原の戦いの際に必勝祈願を行った神社で、元々関ヶ原の戦いに勝利した9月15日が祭の日だったのですが、その後5月中旬の土曜日に変更になりました。江戸時代には祇園祭と同じように山車が36台も出たそうですが、明治になり路面電車が走り人出が多くなったことから神輿だけのお祭りに変わっていったようです。

神田明神は730年ごろ出雲の人達がこの地に移されたことから始まったと言われていて御祭神は大己貴命おおなむちのみことです。14世紀ごろには平将門も祀られるようになりましたが、明治時代になると天皇に逆らった者だとして少彦名命すくなひこのみことと交替となり将門は末社に遷されました。第二次大戦が終わり、大己貴命、少彦名命についで平将門も三番目の御祭神として復活したのでした。

打ち揃い仕事始めの大明神(仕事始め:新年)


東京の大手町に勤務していた頃は会社が氏子であった為、仕事始めは神田明神への初参が仕事始めでした。大抵は部単位で打つ揃って神田明神まで出かけました。神社では白いタスキをもらい順番が来たら祭壇の前で祈祷を受けます。部の名前まで祝詞に入っているので少し恥ずかしいこともありました。

神田祭担ぐ社員は体育会(神田祭:初夏)


神田祭は住民が少ないことから浅草三社祭ほどの人気はなく、人手が足りないのか、会社からの要請で体育会系の若手社員が神輿担ぎにかり出されました。地方出身の若者は喜んで参加しますが、中にはぶ〜ぶ〜言う若手もいましたね。(今はこんなこともやっていないのでしょうね)

佃祭八角神輿の船が行く(佃祭:晩夏)


佃煮で有名な佃島は江戸時代に摂津国西成郡佃村から移された漁民30数名が住んだことから始まりました。故郷にあった住吉神社も勧請され、8月に行われる佃祭では関東では珍しい船渡御も行われています。船には立派な八角神輿が載せられます。

うな重のついでに参る大明神(鰻:三夏)


夏の暑い日にタクシーで神田明神近くの鰻屋へ出かけました。いちおうお参りに行こうと言いますが、もちろん本命はうな重です。


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