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薫風やメタセコイアの道駆ける

絵は滋賀県マキノにあるメタセコイアの並木道です。最近は不届き者が道路の真ん中で写真を取るので迷惑がられているようです。でもこの写真も道路の真ん中から写したような気もしますね。最近までやっていたNHKドラマの「グレースの履歴」に出て来るシーンを思い出して描いて見ました。私の大好きな尾野真千子さんが出ていたので何気なく見始めたのですが、なかなかおもしろいドラマでした。海外旅行中に亡くなった妻が実は海外に出る前に1週間ほど日本にいて色々な場所に行っていたことが、彼女が残した愛車・グレースのカーナビの履歴からわかったことから物語は始まります。ありえそうであり得ないドラマですが、滝藤賢一の木訥とした演技があってもおかしくないのかなと思わせてくれました。

グラサンに絡む黒髪オープンカー

彼女が黒いサングラスをして赤のホンダS800のオープンカーに乗ってメタセコイアの並木道を颯爽と走っている様子を詠いたいのですが、情報がいろいろありすぎて難しいです。この句ではメタセコイアの一本道を出す余裕はありません。それに車の「赤」も入りませんでした。なんとかしたいのですが、メタセコイアは季語でもないのに6文字と長いので厄介です。

薫風やメタセコイアの一本道
薫風やメタセコイアの道駆ける

今度は風景は表せましたが登場人物の様子は全然わかりませんね。まあ盛り込み過ぎは駄目だと夏井先生も言っていたので2つに分けても仕方ないですね。

そう言えば今週のプレバドでちびまる子役だった森迫永依さんの俳句の場面で「あれっ」と思うことがありました。

溽暑じょくしょのファミレス机上の通知表

この句を鑑賞した夏井先生のコメントを聞いていて「う〜ん」と考えてしまいました。ワンランクアップとなった俳句の評価そのものではなく、句の中の通知表の成績についてです。夏井先生は通知表から溽暑に戻って成績が下がったことを親にぐじゅぐじゅ言われる姿を想像したようで、この句は素晴らしい、とくに溽暑と言う季語がとてもいい、通知表の中身まで分かりますと評価していました。

作者の森迫さんは途中までは頷いていましたが、この辺りではきょとんとしていました。折角、成城高校でそんなに頑張らなくても、そのまま成城大学に進学出来たのにわざわざ上智大学に受験した彼女です。多分、ところてん式の成城学園ならよほど成績が下がらない限り、親に怒られることはないと思うし、優秀な彼女ならそれほど成績が下がったとも思えません。

私の解釈ですが、外はじゅくじゅく暑いけれどファミレスの店内はエアコンが効いてとても涼しくて気持ちいいです。この句は店内での出来事なのでじゅくじゅくの暑さなど直ぐに忘れそうです。なので親のぐじゅぐじゅ怒っている暑苦しい感じは私の頭には浮んで来ませんでした。成績も良かったので明るいファミレスの店内ではばかることなく通知表を広げられるし、さあ何でも好きなものを食べていいよと言われてご褒美の食事かデザートでも食べたのかなと思いました。

俳句鑑賞はそれぞれが自分の知識や経験、感性や想像力で感じとるもので何が正しいということはないと思いますが、もともと国語の先生だった夏井先生は出来の悪い生徒とも向き合って苦労をされて来たのかな?いや、ぐじゅぐじゅ言う親の方に苦労したのかな?なんて思ってしまいました。

と、ここで「俳句の素人が夏井先生に対して何を言ってるの?」と言う声が聞こえて来ました。もちろん空耳です。「分をわきまえろ、うまくなってから言え」と思う人もいるかも知れません。でも考えて見てください。俳句の鑑賞は本来自由なもので、先生の鑑賞が常に正しいと言うことでもありません。日本人はまだまだ封建時代の意識が心の底に残っていて権威に弱い、権力に逆らわない意識があるように思います。俳句も日本的ではありますが、俳句だけはそんな権威や権力に無縁のものだと信じたいです。なんちゃって何故私はそんな言い訳がましいことを言っているのだろう?それこそ私が権威主義にとらわれている証拠ですね。

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