盆栽
今日の絵は盆栽です。盆栽自体は季語ではないですが、盆梅という梅の木の盆栽が春の季語でした。それ以外の木の盆栽は季語にはならなかったようです。
今や世界でもBonsaiで通用する時代ですが、盆栽ファンは日本よりも日本以外の人の数の方が多いかも知れませんね。そう言えば昔、埼玉県に住んでいた頃に大宮駅の東の方にある盆栽の町に行ったことがありました。はまってしまうと鉢がどんどん増えていくのでしょうね。私の父はサツキ専門でしたが、庭が盆栽の棚で占領される事態になっていましたね。
盆栽は見た目は美しいですが、作るところを見ていると木に対する虐待とも言えます。針金で無理やり抑え込まれた姿は昔の中国の纏足を思わせるものです。あまりに残酷なので纏足を知らない方は無理やり調べなくてもいいと思いますよ。
俳句は松の盆栽からの発想で常緑樹の落葉です。夏落葉とも言い初夏の季語ですが、いろいろな木の夏落葉がありました。常緑とは言え若葉が出て来ると世代交替はするので、まさに「ゆく川の水は絶えずして、しかも同じ水にあらず」ですね。
境内で孫が我呼ぶ樫落葉
今の情景ではありませんが、神社の境内で「じいじ!」と私を呼ぶ孫の声が耳に残っています。樫の木のような頑固おやじではありませんが、世代交替だけは避けられませんね。
参道の松落葉両の手に孫
実は娘の子供たちは8才の差があって両手で二人の孫の手を繋いだことはないのです。でもなんとなく本当にあったような気がしています。松葉と子供の小さな手からの発想です。
樟落葉猫は木陰で大欠伸
孫だけでは同じような句になってしまうので、猫の登場です。木陰で身体を目一杯に伸ばして欠伸をしている様子を詠ったのですが、臭いが強い楠の木の木陰で猫がのんびり出来るのかどうか猫に詳しくないので私には分かりません。ただノミやダニが近づかないので気持ちいいかも知れないですね。
常盤木の参道一人風涼し
さて猫の次は私一人でゆったりと参道を歩いている景色です。夏落葉の季語でなく「風涼し」にしました。参道は綺麗に掃除されていて常盤木の落葉はもう残っていないですね。すっきり!!!
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