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北京 あの時歴史は動いた

皆さんご存知の1989年6月4日の天安門事件。私が北京に着いたのはそのひと月ちょっと前でした。ソ連のペレストロイカが他の共産国にも広がるのではと期待されている時期でした。ご存知の通り、軍隊による武力行使、民主化運動の排除により民主化は絶望的となり、政治と経済の分離がより明確となって、今の中国へと繋がって行くのです。
さて、中国を題材にして俳句は出来るのでしょうか。
水彩画は水彩画と言うより紙芝居の絵のようになってしまいました。写真との違いもバレバレですね~。

春待ちぬ天安門に戦車出づ(季語:はる:三春)


民主主義の実現を春とするならば、残念ながら戦車はその夢を完膚なきまでに破壊しました。今だに中国共産党は人民軍により市民の殺害を隠し続けていて、海外に出たことのない若者は天安門事件そのものを知らないようです。

春暁や街角に人壁新聞(季語:しゅんぎょう:三春)

1989年4月私の見た北京はまさに新たな夜明けを迎えようとしていました。車の中からでも歴史が動いていることを感じることが出来ました。こうして革命は起こるものかと興奮し期待もしていました。6月4日を迎えるまでは。

空高し長城歩む人の群れ(季語:そらたかし:三秋)


万里の長城は思っていたより幅が広かったのですが、それでも観光客がこぼれ落ちそうなくらいに混み合っていました。辺りは何もないところでただ長城だけが遥か彼方まで蛇のようにうねりながら続いていました。

年越しは水餃子なり北京の夜(季語:としこし:暮)


北京では昔、冬場に水餃子をたくさん作って外で凍らせて保存し、年越しは蕎麦ならぬ水餃子を家族みんなで食べて新年を迎えたそうです。まだそんな習慣が残っているのかは知りませんが、水餃子は寒い地方では茹でればすぐに食べられる保存食だったようです。

天安門



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