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湯豆腐の恋し嵯峨野の道遠し

今日は湯豆腐の絵です。俳句では何度か湯豆腐を使いましたが、絵は多分初めてだと思います。お湯に浸かっているところと上に出ている部分を意識しました。湯気がやや規則的になったのが気になります。写真に無い湯気を想像で描いた為、ついつい単調な繰り返しをしてしまいました。「露天風呂」の絵の経験が生かされていませんね。

湯豆腐は京都南禅寺が発祥の地と言われていますが、坊さんでも寒い冬は精進料理にも熱々の豆腐が欲しかったのでしょうね。湯奴という葛湯で温めた料理もあるんですね。

豆腐は紀元前から中国で食べられていたとも言われますが、日本に入って来たのは平安末期で室町時代に日本中に広まりますが、当時は高級品で庶民の口には入らなかったようです。それも木綿豆腐のみで豆腐田楽が好まれていたようです。では絹ごし豆腐はいつ頃から広まったのか調べてみたら、何と昭和28年のことで私が生まれた後でした。熊本市にある「田代食品」と言う会社のホームページに絹ごし豆腐誕生秘話が載っていますので興味のある方はご覧ください。そうそう「絹ごし」だから「木綿」よりきめ細かい「絹で濾す」のかと思いきや、濃いめの豆乳を使って全く濾さないそうです。

そう言えば思い出しました。80年代のメルボルンではアジア食材店で中国風の固い豆腐はありましたが、絹ごし豆腐は手に入りませんでした。絹ごし豆腐を食べたい時は日本製の「豆腐手作りセット」を買って自分で作っていました。私も20回以上は作ったと思います。このセットではにがりを入れる工程はありますが「濾す」作業はなく出来上がりは絹ごし豆腐だけだったと思います。メルボルンにいるうちに森永がロングライフの紙パック入りの豆腐を売り出したので私の豆腐製造はお役御免となりました。

木枯らしや眼鏡曇らせ食う豆腐

外は木枯らし、温かい部屋で湯豆腐を食べているありがたさを詠いました。でもここは名詞止めの基本形がいいのか、少し違和感がありました。「豆腐」で終わると、「さてこの豆腐はなんでしょう?」「湯豆腐!」「はい!正解!」なんて謎解き風にも聞こえます。

木枯らしや眼鏡曇らせ豆腐食う

微妙な違いです。でも体言止めで豆腐を主役にするより「食う」という動詞で終わって、食うことを強調する方がありがたさが伝わる気もします。と言うことで応用編を選びたいと思います。


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