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諏訪大社 御柱祭

諏訪大社で6年に1度、寅年と申年だけに行われる御柱祭、今年は丁度その寅年ですね。私は6年前に見に行きました。残念ながら勇壮な木落しのある四月の山出しは見られませんでしたが、地元の友人のおかげで5月の里曳きを見ることが出来ました。祭としてはこちらの方が多くの人が参加して圧倒的に賑やかなお祭りです。

日本書紀では天から天皇家が降りて来た時に日本には大国主命が支配する人達が日本中に住んでいたとされます。その国こそ何万年も前から立派な文明を持つ日本そのものでした。この太古から住んでいた日本人は明治時代になって外国人により発見・命名された縄文土器から縄文人と呼ばれ、あたかも旧人類のような扱いを受けてしまいました。大国主命の国譲りにより無血革命は成立したものの国譲りに納得しなかった大国主命の子供が逃げた先がここ諏訪地方だったのですね。出雲神社の三本の柱を束ねた支柱や諏訪神社の巨木信仰はまさに日本人の原点であり縄文文化の象徴だったのかも知れません。

余談ですが中国の家は泥や石で出来た家が多く木は非常に貴重なものでした。卑弥呼より昔、日本から半島経由中国に輸出されたものの中に巨木が含まれていたという書物を読んだことがあります。確か「木は倭の宝」とか。

今日は曇天でしたが、人でも少なくいい花見となりました。写真は嵐電から見える桜並木です。

嵐電の桜のトンネル

では俳句です。行った時のことを思い出しながら御柱祭だけで4句とも詠みました。

太古より囲む御柱諏訪の宮(みはしら:初夏)

御柱によって四隅を囲われた諏訪神社は天皇家の祖先が日本にやって来る前から日本に住んでいた大国主命の息子・建御名方命を祀り、その子孫である諏訪氏は現人神と言われていました。それが明治以降は現人神は忌避され、守屋山を御神体とする説が有力になりました。私はこの四本柱こそ三本柱や二本柱の鳥居の原点だと思っています。巨石や巨木は自然の偉大さの象徴でもありますね。諏訪大社には本宮・前宮・秋宮・春宮と宮が沢山あります。やっぱり宮様でしょう。

里曳きの御柱ゆする人ばしら(みはしら:初夏)

御柱祭の里曳きでは御柱を引く時に柱の前と後に「めど梃子」と呼ばれるV字型の木が付けてあり、この木に多くの人がぶら下がって「めどてこ」を揺らすのです。ゆらすことで御柱が受ける地面の抵抗を和らげ御柱を曳きやすくする役目を果たしているそうです。掛け声が響き渡り、重い御柱を曳く姿は木落しにも負けない勇壮さです。騎馬行列や花笠踊りがあったりして見物小屋から酒を飲みながら見ていた我々もお祭り気分満点でした。

木を跨ぎ坂下る阿呆泥の汗(あせ:三夏)

御柱の木落しはテレビでしか見たことはありませんが、なんでそんな危ないまねをするのって気になります。神事に携わる人に「阿呆」とは失礼ですが、ついついそう思ってしまいました。

御柱祭の木遣り木霊かな(おんばしら:初夏)

御柱祭で唄われる木遣り唄は澄み切った諏訪の山々にこだまして神の声となって聞こえて来るようでした。ちなみに4本の御柱は時計回りに少しずつ細くなっているそうです。なんでやねん!

絵は木落しの景色ですが、観客が多過ぎて細かくは描けず、省略せざるを得なかったので、逆にいい練習になりました。


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