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柿の木のある家

柿の木のある家と言えば壺井栄の童話、いや小説を思い出します。三太郎おじさんの子供が柿を食べすぎて死んでしまうとお祖父さんが怒ってその柿の木を切ってしまったのです。自分の家には大きな柿の木があっていつもその甘い柿を三太郎おじさんに持って行く洋一は自分の家の柿の木も自分が食べすぎて切られてしまわないかと心配するのです。その大きな柿の木の周りに石を置いた為にある年、柿の木が全然ならなくなるとお祖父さんは自分の責任だと一所懸命石をどかしているうちに死んでしまいます。

洋一に双子の弟が生まれるとその一人が三太郎おじさんのところに養子に行くと言う話になります。始めは反対していた洋一も三太郎おじさんが乳の出る山羊をわざわざ洋一の家の為に買って来てくれ、その山羊を繋いだ大きな柿の木を見ていると自分がなんてケチなんだと思うようになります。そして弟の一人を三太郎おじさんの養子にすることを受け入れます。弟の新之助が三太郎おじさんの家に行く日、まだ青い実をつけている柿の葉は既に紅葉し、赤ちゃんが笑うと一緒になって笑うかのように二三枚舞い降りて来ましたと言う物語です。

私が子供の頃は親戚の家にもらわれて行くと言うことがよくありました。小学校や高校の同級生にも途中で名前の変わった子がいました。別に離婚して姓が変わったのではなく、養子先の名字になったのでした。最近は余り聞かなくなりましたが、昔は跡継ぎがいないと親戚から子供をもらうということは普通にありました。でも自分は嫌だなと思ったものでした。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規

柿を食べたから鐘が鳴った訳ではありません。上句とそれ以下には何の因果関係もありません。

柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つづく奈良の町
渋柿や古寺多き奈良の町
全部、正岡子規が作った句です。でも皆が知っているのは「柿食えば」の句だけですね。正岡子規と言えど全てがホームランになるわけでもないですね。

手を取りて嵯峨の道ゆく柿の秋

やはり柿と言えば嵯峨の落柿舎ですね。嵯峨野は秋が似合います。

渋柿や兄弟喧嘩の怪我の跡

今でも鼻のど真ん中に傷が残っています。でも実は兄弟喧嘩ではなく、豆腐屋の馬鹿息子との喧嘩の跡なんですね。

柿うまし幾度とへぼ句詠みにけり

これはさすがに説明は要りませんね。「うまし」と「へぼ」の句です。

皿に柿空手チョップの力道山

なんで力道山なんでしょうか。子供の頃力道山が大好きでちゃぶ台に置かれたツルツルの柿も忘れてテレビを見てしましたと言う句ですね。でも「柿光る」では外の柿かも知れないので室内の柿にしました。


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