見出し画像

「ヘッド博士の世界塔」の歌詞考察 フリッパーズはリスナーの「夢の中」で活動するバンドか

こんばんは、桐山もげるです。

フリッパーズ・ギターの3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔(以下「ヘッド博士」)が今年の7月10日に発売30周年を迎えます。

僕はフリッパーズ・ギターをリアルタイムでは認識できていなかった後追いファンなのですが、それでも出会ってから既に四半世紀を超えている、とても思い入れのあるバンドです。

作品の中でも「ヘッド博士」は、中学3年生の頃にヘヴィローテーションしてよく聴いていました。今でも「ヘッド博士」を聴くと第一志望の高校に合格するために必死に勉強していたことや、そのとき好きだった女の子が別の高校に行くことになり「告白もしないで終わってしまってよいのか⁉︎」と自問していた甘酸っぱい青春の日の一ページが思い出されます。

さて、その「ヘッド博士」の歌詞について、兼ねてから自分で「こういうことなのかな」とぼんやり思っていたことがあります。最近もそれをフリッパーズのファンの方に聴いてもらったら、一部の方に「それ、面白いかもね」と若干の好反応をいただけました。いつか書いて表現したいと思いつつも、出来ていませんでしたので、30周年を迎える直前のこのタイミングでnoteにまとめてみようと思います。

フリッパーズ・ギターの活動は「夢の世界」で行われる

「ヘッド博士」の歌詞カード全体を眺めていると、ふと9曲に一貫したテーマがあるのではないかとの考えが浮かびました。それは、全曲に"眠り"、"夜"、"夢"といった「夢に関連した言葉(あるいは夢そのもの)」が入っていることに気づいたからです。各曲に登場する言葉は次の通りです。

『ドルフィン・ソング』-"真珠と眠りと向こう見ず"

『グルーヴ・チューブ』-"のない世界で僕らは目をつぶるのだろう"

『アクアマリン』-"そして屋根は夕暮れの熱残したまま 眠りを照らす"

『ゴーイング・ゼロ』-"花の降る抜けて"

『スリープ・マシーン』-"に見る宇宙の真理""こんなままスリープ・マシーンを出られやしないんだ"

『ウィニー・ザ・プー・マグカップ・コレクション』-"シュールの王国へ うつつかきわけて"

『奈落のクイズマスター』-"僕はだんだん眠たくなる""月のに僕は歩くだろう"

『星の彼方へ』-"いつかは静かに明けていく""猫が眠るだろう"

『世界塔よ永遠に』-"胡蝶の""寝る時も寝れず"

「夢の世界」と思いついたときに、前作「カメラ・トーク」のラスト『全ての言葉はさよなら』の歌詞"カメラの中でほら 夢のような物語が始まる"も併せて思い出されました。もしかしたらフリッパーズ・ギターが表現する世界は「夢の物語」なのではないかと思ったのです。そのように仮定して「ヘッド博士」の歌詞を読んでみるところから、この考察は始まります。

「ヘッド博士」の歌詞はフリッパーズ・ギター自身のことを歌っているという仮説

「夢の物語」ともう一つ、「ヘッド博士」の中で気になったのは前作までには無かったある印象的な表現でした。それは、ラストの曲『世界塔よ永遠に』の"hey we're the flippers 寝る時も寝れずお届けした9曲嘘なんかねえっす"の部分です。

ここで、weという「主語」が「自分達自身」であることを明言し、作品の中でこの作品自身に触れるというメタフィクション的表現になっています。

それまでには、歌っている主人公が「フリッパーズ(小沢さんか小山田さん、あるいは2人)」であると明確にわかる歌詞はなかったと思います。

この部分を踏まえ、ひょっとしたら「ヘッド博士」の歌詞はすべて「自分達自身」のことを歌っているのではないかと思えてきました。

例えば『スリープ・マシーン』の歌詞は何を歌っているのでしょうか。

『スリープ・マシーン』の歌詞考察

"眠り"や"夢"が本作のキーワードとするなら『スリープ・マシーン』はタイトルにも"スリープ(眠り)"と入っており、アルバム全体を読みとくうえでも重要な曲ではないかと考えました。

英題が『(SPEND BUBBLE HOUR IN YOUR)SLEEP MACHINE』であり、スリープ・マシーンの前には「Your(君の)」があります。

僕は「逃げて」います(テーブルの下で靴を脱ぎ捨てながら)。崖を海へと飛び降りてやっと逃げられたと思ったら、まだ「君の」中にいて逃げられない。

僕の考察はこうです。

・「君」は「リスナー」であり、これまでのフリッパーズ作品を高く評価する存在。

・「僕」は「フリッパーズ(単数なので歌詞を書いている小沢さん一人のことかも)」であり、これまでの作品とは違う新しい作品を作りたいが、リスナーはこれまでみたいな作品を、と望んでいると感じたため「自分が表現したいことを正当に理解されていない」と嘆く。その人達の求めることに迎合したくない(逃げたい)

・しかし、商業として作品を作ったり、ライブをしたりする際には自分の意に反してもある程度「リスナーの期待」に添うこともやらなければいけない(逃げきれない)

・"こんなまま スリープ・マシーンを出られやしないんだ"とは「こんな状態のまま、フリッパーズの活動は終われないんだ」という意味で、本作で「やりたいこととリスナーの理解を両立させてやる」という意気込みの表れ。

と、こんな内容の歌詞ではないかと思いました。

"真珠と眠りと向こう見ず"の謎

『スリープ・マシーン』の歌詞で考察したように、「フリッパーズの活動」=「夢の世界(眠りの中の世界)」と仮定して、他の曲も考察してみました。

『ドルフィン・ソング』の中に"真珠と眠りと向こう見ずを 逆さに進むエピローグへ 君がわかってくれたらいいのに いつか"とあります。この歌詞は謎めいていてとても好きです。敢えてここで言いたいのですが、この後の考察が正しいと思っているわけではありません。一度複数のファンの方にこの部分のその方の解釈をお聞きしたところ、どれも違ってどれも「そうかも!」と思えるものでした。僕の考察も「この仮定でいくと、こうは考えられそう」という案です。

この言葉は僕の考察だと次のようになりました。

"真珠"=最高の宝物。価値のあるもの。

"眠り"=フリッパーズが活動する場である「夢」に誘うもの。

"向こう見ず"=後先考えずに行動する人のこと。

これらが"逆さに進む"ので、順番は「向こう見ず→眠り→真珠」となり、

「後先考えずに小山田さんと組んでフリッパーズの活動を始めてしまったのだけど、作った作品は価値の高いものになった。最後にはリスナーにも理解されて正当に評価されたらいいな。」

という意味として捉えられないかな、なんて思っています。

『星の彼方』への「黄金」とは「真珠」よりも価値の高いものか?

『ドルフィン・ソング』では「真珠」が登場しました。「ヘッド博士」の中でもう一つ宝石が登場する曲があります。『星の彼方へ』の"黄金"です。

この2つの宝石を並べてみると、「黄金>真珠」という価値の差があるのか?と思ってしまいます。そう思って『星の彼方へ』の歌詞を読んでみました。

"いつか夜は静かに明けていく"=「いつか、フリッパーズの世界(夢を見る夜の時間)も終わる」

"誰もいない黄金へと 僕の足跡みるだろう"=「誰も到達したことのない、価値の高い作品を僕(単数なので小沢さん)が作り出すだろう」

と考察したならば、

この曲は「フリッパーズの解散後の自分の活動の目標」について語っていると捉えられると思いました。

"沈黙の世界で 犬は吠えるだろう"と小沢さんのソロ作品のタイトルも彷彿とさせる歌詞も登場してきます。

と、ここでも敢えて入れたい注釈です。僕は、「この作品のときに既に小沢さんはソロの1stについて明示している」と言いたいのではありません。そもそも、このアルバムが「元々作成時から解散前の最後のアルバムになる予定だった」という根拠にはならないはずです。これについて考えるときには、よく「カメラ・トーク」が最後のアルバムだったとしても『全ての言葉はさよなら』が解散を示唆している歌詞と捉えられなくはないはず、と思うようにしています。「解散」が連想できる歌詞があるからといって、「ヘッド博士」が解散前提で作られたとする根拠としては乏しいといえます(どの作品作る時も「これで最後かも」という意気込みで全てを注いでいた、ということはあるかも?)。それに、この時に仮に解散後をイメージしていたとしても、小沢さんはその後「ミュージシャン」としてではなく「小説家」として作品を作ろうと思っていたのかもしれないですよね。そのため、この部分が「ソロの1stを示唆している」もまた、そう言いきる根拠とならないと思っています。

あくまでひとつの仮定のもと、気になるのはこの考察の中では『ドルフィン・ソング』では「フリッパーズの作品」を「真珠」、『星の彼方へ』では「解散後の一人で行う活動」を「黄金」と表現していること。もし、「黄金」>「真珠」と価値に差があるとしたら「ひとりの活動」>「フリッパーズの作品」となってしまう⁈

いやいや、きっとそうではないのではとも思いました。

以前Twitterでその部分のみの考察を書きましたので、リンクを貼ります。興味のある方は一連のツイートをご確認ください。

つまり、「真珠」は「価値のわかる人にはわかる最高の宝物」、「黄金」は「大衆でもその価値がわかる最高の宝物」。そこに価値の大きさの差を示したいのではなく、フリッパーズの作品は理解するのは難しいけど、分かる人にはわかる最高の価値=「真珠」(だから、「君がわかってくれたらいいのにいつか」なのではないか。ちなみに僕はいつもフリッパーズの作品を鑑賞するとき自分は「わかって」いるのだろうかと不安になります)であり、解散後の小沢さんのソロ活動は大衆にも受け入れられて大スターになった=「黄金」と捉えてみると、ここで暗に示したとおりの将来になっている!?なんて思えてしまいました。

以上です。30周年を迎える前に、こんな形ででも文字に起こせてよかった。何度か文章中にも言い訳のように書いたように、この考察が絶対的に正しいと思ってはおらず、「全然違うよ、馬鹿じゃないの⁈」と言われること覚悟で書いています。ある仮定をもとに、それが正しく見えるような解釈をしているだけにも見えるかも。

反対意見や感想など、「コメント」ドシドシお待ちしています!

あとがき

「フリッパーズ・ギター」は「夢の中で活動する」という仮説はその後の小沢健二さんのソロ活動ととても対照的と思っています。

フリッパーズ・ギターの歌詞はそこが「日本なのか外国なのか」「時代はいつなのか」が不明瞭ですが小沢健二さんのソロの歌詞はそこが「東京」とわかるような歌詞や、時代も「作品発表時期と同時代」であることを示唆する言葉が使われています。活動の舞台が「夢」から「現実」に変わったと言えるのでしょうかね。小沢健二さんのソロの歌詞の考察もみんなで話せたら楽しそう!

あとがき追記(7月18日に追記)

この記事の考察をぼんやり考えていたときのTwitterの投稿を偶然見返していたら小沢健二さんのソロ作品のある表現との対比についても考えていたことを思い出しました。

僕の考察においてフリッパーズは「君の夢の中」で活動するバンド。小沢健二さんのソロ作品『流動体について』の中に"起きている君"という表現があります。

これについて小沢健二さんは自身のツイートでも触れていらっしゃいます。

この『流動体について』の歌詞が「フリッパーズの歌詞の謎解きに関係がありそうな気がする」と思っていました。今回の一連の考察の際に思っていたことでしたので、記事を分けずに付記いたしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?