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「生きるのが辛い」から「めんどくさい」になった話

よく、所謂「繊細気質」な人々は「生きるのが辛い」「理解され難い」と嘆きがちなのを見かける。
医師お墨付きの「繊細さん」な自分も、以前は類に漏れずそう嘆いていた。

過去形なのだが「繊細気質」が治ったわけでは無い。
私が、言葉変えれば「HSP」とか「感覚過敏」とか「ニュータイプ」などの人種と言うことは現在も全く変わらないのだ。

気づき


発端はかかりつけであるレディクリの先生から毎回「敏感なタイプ」「人をどうしても気にしちゃう」と言う点で「無理しないでね」と注意されていたこと。

自分では「いや、繊細だとは思えないなぁ」と、思いつつも、ある程度言われたことは気を付けていたつもりだった。

しかし、接客業や多忙な所に就業し注意を受けたり、バイト先の先輩からの性的嫌がらせでしんどくなってしまった際、点滴で治ると思いそこに通院し怒られた。(今思うと当然である)

全て婦人科系の疾病のせいだと思っていた当時の自分には、何故注意を受けたのかさっぱりだったのだ。

それ以前にもうつ状態がひどい時に、心療内科や精神科で検査を受けるも、発達障害の診断は全く無し。
挙げ句毎回先生がMRIの脳の写真を見つつ「いい脳ですねぇ…!」と褒める始末である。
私の脳みそは物覚えの悪い割に健康状態はすこぶる良好らしい。

さて、そんな自分が繊細だと自覚できたのは「HSP」「感覚過敏」という言葉をネットで知ってから。

記事やらなんやら見てみると、当てはまる点があったりなかったりで…。

でもその時に先生が注意してくれた点を思い出すと大体どの話とも当てはまるのである。

「過激なニュースが多いから、テレビは無理して見ないように」
「辛い時は無理せず休んで」
「無理して人に干渉したり、言われた事深掘りしないようにね、といっても、難しいだろうけど…」

診断書に「神経症」の文字もあった事もあり、確信に変わった。

母に話してみると幼少期から思い当たる事ばかりだったらしい。

私の幼少期は普通、人が気が付かないところに気がつく不思議な子で、何が辛いか、心地いいかの基準が常人には全く理解できない子だったそうだ。

「あー…マジか、HSPか、ニュータイプじゃんか、私モビルスーツ乗れたら最強じゃん…。」

とは思ったが、少しのダメージで、最終回以降のカミーユみたいになってしまう自分では、ジオンも連邦も雇ってはくれないだろうし、精々ニタ研に斬り刻まれて終わりだろう。

せめて人付き合いが大好きだった昔の自分を貫いていれば、ジュドーみたいに元気に大往生できる可能性もあっただろうに。

いや、それでも幼少期からずっと、対人時間長いと無意識に疲れてぶっ倒れてたので、結局ポンコツだったと思う。

生きるのが辛いので

さて、そうとわかると仕事やら生活で気にする事、タブーな事って何だろう…。

色々教えてくれたり、援助支援してくれるところはあるんだろうかと色々探したのだが、近隣の支援団体は活動を丁度ストップしてたところだった。

煮詰まってしまったので手がかりはないか、素直に役所の生活相談の部署に連絡。

問い合わせるも、支援団体は役所でも繋がってるところや情報がないとの事。
ただ、幸いなことに相談を聞いてもらえる担当者がいると言うことでお世話になることに。

お陰で気づかなかった気象痛や騒音、寒さや空腹や光なども、実はストレス要因だと知れたのは良かった。
対人と同じく、これらも私が今まで全く無自覚にダメージを受けていたものなのである。

色々気づけてストレッサーを避けたり、原因のわからぬ体調不良に怯える事が和らいだのはありがたい。
お陰で以前の様に体調不良で動けなくなる前に、事前にある程度は気をつけることができるようになったのだ。

結局手のかかる自分


だからといって周りに理解され難いことや、定期的に相談したり通院しなければならないと言った煩わしさから解放された訳ではない。

しんどい時はヘルプマークを付けることも考えたのだが、丁度昨今色々めんどくさい事になってる様なので諦めた。
「あー、口で説明するしかないのか…」とそれこそめんどくささを感じた。

そう、自分が自分の体質を理解できた途端、今度は周りから理解されない事に対して、「生きるのが辛い」と言うよりも「色々めんどくさい」と思うようになったのだ。

家族でもある程度何がダメだとか、無理できないとか、分かってくれてはいるものの、完全に理解はされている訳では無く、はっきり「無理」「辛い」と言わなければならない時はあるし、相手が無意識に言う間もなく無理強いしてしまう事もある。

この様なことがあったりして仕方なくストレスを抱えてしまった時は、以前の様に倒れて救急に運ばれる前に、英気を養う。
「栄養と睡眠、そして一人時間」
これに勝るものは本当にないだろう。

気楽にいきたい

ネットでも好き勝手言われてしまってるし、自分もこうして好き勝手言ってしまっている我が体質なので、気を追わず「まぁ、こういう体質なんだ仕方ない。」といつでも割り切れるぐらいにはなりたいものである。

言わなければいけなかったり、休息の時間を取ったり、物事を負担がないか事前にちゃんと調べたり、そう言った事を今度は「めんどくさい」から「いつもの事」にして、いくらかその手間の中にも「楽しみ」が見出せると良いなぁと思う。

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