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青春とは勇気が出なかったあの日を思い出すこと

この季節は嫌いだ。
僕にとって青春とはある特定の女性を思い出すからだ。僕は高校から大学の途中まで付き合っていた女性が居た。いつでもこの季節になると彼女のことを思い出すし、その頃の自分の勇気の無さやもどかしさなんかも重ねて思い出し恥ずかしさが襲う。
そんな中、電車の中で↑の場面に立ち会う事ができた。まるであの日の自分を見ているようだった。
↑の女の子が見せた笑顔と「頑張って」の言葉に彼は何も言えず、先に電車を降りた。
2人は春から別々の高校に行くことになるのだろう。彼女もまた同様に受験日だったのだ、それなのに彼女に対して彼は自分がしてもらったように「頑張って」が言えなかったのだ。

青春とは勇気が出なかったあの日を思い出すことなのかもしれない。

そんなことを不意に思った。
僕にも青春がある。僕が付き合っていた彼女の手を離したあの日を、あの時を振り返れば、僕に勇気が無かったのだと思える。
彼女は今や二児の母親でLINEのアイコンは幸せそうに満ちた笑顔(僕が惚れたままの笑顔だった)で2人の小さな手を握っていた。

そういえば彼女が第一子を産む予定日の前に連絡をくれたことがあった。
「実はもう少しで子どもが産まれる。今までお世話になった人に会っておこうと思って。もし良ければお茶か食事でもしない?」と連絡をくれた。
女というのはある意味では恐ろしいものだなと感じながら、僕は「せっかくだから食事に行こう。夜でもいいのかな?」と返信した。
やれやれ、断るつもりでも体は勝手にスマホのタッチパネルにそう入力していたのだ。

彼女は結婚して岐阜に住んでいた。
それなら僕が岐阜まで行くよ。と答えて、テキトーに良さそうなお店を予約した。久しぶりに会った彼女はとても大人っぽくなっていた。僕らがちょうど三十路に入った頃の話だ。
食事ではあらゆる話をした。僕はなんだかんだ初恋、というか初めて付き合って、童貞を捧げた女性を前に緊張をしていた。そのためついつい飲み過ぎてしまった。
「そんなに飲む人だったっけ?」と彼女がイタズラに笑うと「お、え、あ、おう」とあの頃の少年のままに口籠ってしまった。
店を出て、岐阜駅まで送るよと話すと「夫が迎えに来る。もちろんあなたと食事に行くことも言ってあるよ。話してく?」と答えられた。彼女の相手は僕の高校の頃の親友でもあった。
「ヤキモチ妬いちゃうからいいよ。」と割と本気で答えたら「そういう冗談を言えるようになったね。あの頃は何もかもに真面目で私が他の男子と喋っているだけで怒ってたくせに。」と笑いながら答えられた。僕の本気は冗談に捉えられたようだ。
その後、彼女と(彼女の夫とも)会うことは一切なく僕たちは歳をとっている。

青春は求めても、もう求められない。

先日見かけた少年もまたこの先、そんなふうに青春を過ごすのかと思うとやけに羨ましい気持ちになったけれど、当の本人はそれが青春だなんて気がつかないのだろう。なぜなら

青春とは勇気が出なかったあの日を思い出すことなのだから。

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