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偶然ではなく必然だった出会い

私が櫻坂46を知ったのは、
10月14日 櫻坂46が始動した日だ。
ただ、私が櫻坂46と出会ったのはその日ではなかった。



偶然だった最初の出会い

櫻坂46が、まだ欅坂46だった時の話。
私が欅坂46に出会ったのは2019年1月21日、
黒い羊の音源が初めて公開された日だ。

私はこの日、欅坂46ではない別アーティストが目的でこのラジオを聴いていた。
そのアーティストが登場するのは23時台。かなり時間に余裕があった。
ラジオを聴くのが元々好きな私は、ラジオの放送が始まった22時から聴き始めることにした。
そして当時欅坂46のメンバーだった平手友梨奈が担当するGIRLS LOCKSが始まった。
私は元々乃木坂46というグループが好きだったので、もちろん欅坂46という存在は認知していたし、楽曲も一部ではあるが聴いたことがあった。
何も知らない私はいきなり黒い羊の初オンエアを聴くことになった。
私の中での欅坂46のイメージは『暗い』ただそれだけだった。
笑わないアイドルと歌番組で紹介されていたことや、実際に見て思っていたことだ。
そんなイメージを抱えながら黒い羊を聴いた。
最初から最後まで震えが止まらなかった。
私は人生で初めて自分が別の世界に飛んだような感覚になった。
黒い羊という楽曲が流れていた5分間、私は自分がどこで何をしていたかの感覚がなかった。
気づいた時には楽曲のオンエアは終わっており、何が現実で今見えているものはなんなのか。よく分からないと困惑していたが、きっとこれが惹かれるということなんだと思った。
私は23時からの本来目的であったアーティストのことなど忘れ、欅坂46の楽曲を聴き漁った。
そこで私は、自分のイメージと実際の欅坂46は異なるということに気づいた。
もはやこの表現も適切ではないのかもしれない。欅坂46は『夢』だった。
夢とはどういうことなのか。自分でも言語化するのが難しい。
きっと欅坂46というグループを言語化することは不可能なのだと思う。なのでここでは深くは語らない。ただ、私が感じた欅坂46は夢であった。私にとっては幸せな夢だった。
その夢から覚めないように、私は欅坂46というグループを追うことにした。
そんな中、突如私は欅坂46との別れを告げられる。初めて見ていたオンラインライブでの話だ。




欅坂46との別れ


2020年 7月16日 新型コロナウイルスの影響から有観客でのライブ開催が厳しく、オンラインという形で開催されたライブ。
KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU!
私にとって初めてのオンラインライブだった。
作り込まれた世界観の中披露されるパフォーマンス。オンラインライブだからこそ出来る演出などもあり、オンラインでのライブが初めてだった私でも心の底から楽しめた。
しかしそこで告げられたのだ。欅坂46との別れを。これはその時のライブで実際にキャプテン菅井友香さんから我々ファンに向けられた言葉の一部だ。


そして、ここで私たちから皆さまにお伝えしたいことがあります。私たち欅坂46は、この5年間の歴史に幕を閉じます。そして欅坂46とは前向きなお別れをします。

10月に予定している欅坂46のラストライブにて、欅坂としての活動に区切りをつけさせていただきます。そして、新しいグループ名となり、生まれ変わります。

もちろん、この決断をすぐに受け入れられるメンバーばかりではありませんでした。私たち自身も欅坂46に対する思い入れがすごく強いですし、ここまでハンパな気持ちでこのグループとして続けさせていただいてきたわけではありません。

私自身も、大好きな欅坂46をずっとずっと守ることができたらなと思って活動してきました。でも…でも、このグループとしてもっともっと強くなるための決断だと、今日までスタッフの皆さん、メンバーみんなと話し合った結果、今は前を向いています。

欅坂46だからこそかなえられた夢がたくさんありました。今ここにいないメンバー含めて、みんなでかなえられたこと、そして応援してくださる皆さまがいてくださったからこそかなえられたことがたくさんあります。

心強いメンバーやスタッフの皆さん、そしてすてきな楽曲、そして本当にすてきなクリエイターチームの皆さま、そして数え切れないぐらいの応援してくださる皆さまと出会えたことは本当に誇りです。

本当に今まで、欅坂46に出会ってくださって、欅坂46を好きになってくださって、欅坂46を支えてくださって、本当にありがとうございました!

たくさん楽しい思い出があった一方で、正直悔しい思いもたくさんしてきました。なかなかこの2年は特に、出口の見えないトンネルをさまよっていたような状態だったと思います。

予測できないことがたくさん起きて、思うように活動できない日もありました。応援してくださっている皆さまの期待に応えられてないんじゃないかなと思う日もありました。そして、メンバーの卒業、脱退も続きました。グループの名前が独り歩きして、耳をふさぎたくなるようなことに悩まされた日もありました。

欅坂46を好きだと思えば思うほど苦しくなり、もっとこうしなければならないと考えれば考えるほど執着が生まれたような気がします。

今まで大切にしてきたことを今一度手放すことで、空いたスペースには本当に大事なものでまた満たされるんじゃないかなと思っています。

ここからのリスタートになるので、相当な茨の道が待っていると思います。でも、まだ色のない真っ白なグループを皆さんと一緒に染めていけたらいいなと思っています。


正直な話、いわゆる新規という立場である私にとって簡単に理解出来ることではなかったし受け入れることは出来なかった。
たった1年間、欅坂46を追いかけてきた人間でさえこうなのだ。
表情は一切変わらず、涙だけが溢れてくる。なんだろう。この喪失感は。
そしてこの菅井友香さんの言葉の後、この日最後の楽曲、そして欅坂46としても最後の楽曲、誰がその鐘を鳴らすのか?が披露された。
全くと言っていいほどそのパフォーマンスが入ってこなかった。私は突如言い渡された別れに、感情が追いついてこなかった。今自分は別れについて悲しいのか?それとも新たな道が生まれることに喜びを抱いているのか?もう何も分からなかった。ただ一つの事実として、涙が止まらなかった。
私は前向きな別れなんて存在しないと思っていた。別れはどう足掻いても別れなのだ。もう一度出会えるかも分からない。別れは簡単でも、再会は難しい。そんなことは分かりきっていた。
ライブが終わり、Twitterなどでファンの反応を見て、一度は止まった涙が再び流れてきた。そこでようやく自分の感情が分かった。別れが悲しいんだということに。たった1年。彼女たちの物語に少し触れただけ。それでもこんなに悲しかった。
でも、なんだか嬉しかった。これだけの涙を流せるものと出会い、そしてしっかりと別れの瞬間を見届けることが出来るから。自然消滅とかではなく、最後の最後まで見届けられることが嬉しかった。また、菅井友香さんの言葉にあったように、メンバーの卒業や脱退は本当に多く続いた。
決していい内容ではない卒業も多く、ファンでさえ不安に思う日々が続いた。それが改名をすることで少しでも軽減されるなら…とも思った。
それでも悲しさ、辛さの方が上回っていた。もうあの楽曲たちやパフォーマンスを見ることは出来ないと思うと、辛くて仕方がなかった。
別れを告げられたあの日、私はただひたすらに泣き続けた。



櫻坂46の誕生 率直な思い


9月21日、新グループ名が櫻坂46となることが発表された。
そして10月の12、13日の計2日間行われた欅坂46のラストライブ2日目にて本編終了後に1st Single発売の発表、表題曲であるNobody’s faultが披露された。
私はまたしても受け入れられなかった。
欅坂46は全メンバーで表題曲を歌っていた。全員で1つの曲を作り上げていた。私はそれが好きだった。だが、Nobody’s faultは選抜制だった。
運営によって選ばれたメンバーのみが楽曲に参加し、パフォーマンスしていた。
私の好きな欅坂46は完全になくなってしまったんだと実感し、変化を受け入れることが当時は出来なかった。
それでも私は櫻坂46を追いかけることにした。
何故かは分からないが、目を離したら後悔すると感じたからだ。
そこから櫻坂46は順調にシングルを発売していき、初めてのツアーや1周年を祝うAnniversary Liveも開催した。
私はすっかり櫻坂46を好きになっていた。
欅坂46が好きで変化を受け入れなかった私を、パフォーマンスを通して変えてくれたのだ。
しかし、私の中でまだ櫻坂46とは出会うことは出来ていなかった。
どこかで欅坂46の影を追いかけているのではないかという気持ちが存在し、純粋に応援しているはずなのに欅坂46が好きだから追いかけているのではないかと考えるようになっていた。
櫻坂46に改名後、1期生の守屋茜、渡辺梨加、渡邉理佐の卒業があった。
卒業していくメンバーは卒業セレモニーや卒業コンサートが行われ、普段は披露することのない欅坂46の楽曲を披露してくれた。
本当に嬉しかった、その反面これのために追いかけているのではないかと思ってしまったのだ。
でもそうではない。心の底から櫻坂46というグループが好きなのだ。
欅坂の影を追いかけているのではなく、櫻坂46というグループを追いかけているのだ。
しかし、それを証明するものがなかった。櫻坂46の表題曲を聴いて、きっと欅坂46から何も変わってないと思われるだろうと感じていた。
影を追いかけているのではないかという自分の気持ち、何も変化していないグループ。それを否定することが出来ない。櫻坂46には自分たちの名刺がなかった。
そんな中、とある楽曲が櫻坂46に生まれた。


摩擦係数の誕生 導き出せた答え


2022年6月13日、櫻坂46として初の1stアルバム 『As you know?』が発売されることが決定した。
7月13日、アルバムのリード曲となる摩擦係数のMVがプレミア公開された。
鳥肌が立った。そしてこの日、私は櫻坂46と出会った。
メンバーの表情やパフォーマンスに今までとは比べ物にならないくらいの迫力を感じた。
そして注目すべきは摩擦係数の歌詞だった。
私は摩擦係数の歌詞を見て、欅坂46と櫻坂46の明確な違いというものにようやく気づくことが出来た。
欅坂46では理不尽な大人や社会に反抗し、殴る側だった。
だが、櫻坂46では『殴るよりも殴られろ』という歌詞が摩擦係数には書かれていた。
これは明確な違いだろう。
Nobody’s faultでは『誰のせいでもない』
BANでは『チャンス与えてくれ』
流れ弾では『語り合おう 見つめ合おう』
欅坂46だったらきっと違う表現だっただろう。
誰のせいなのかハッキリさせるし、チャンスなんか要らないと一蹴していたかもしれないし、語り合って見つめ合うなんてことはしなかったはずだ。
このような明確な違いに気づくことが出来たのは間違いなく摩擦係数と出会ったからだ。
それだけではなく、摩擦係数は櫻坂46の決意表明だと私は受け取った。

誰にとってカッコ悪い?自意識過剰って笑われるぜ 
好きにさせてもらおう

とにかく痺れた。摩擦係数という一曲で櫻坂46の全てが詰まっていた。
櫻坂46にも自分たちの名刺が出来た。
本当に嬉しかった。私もこの曲とパフォーマンスを見て改めて実感した。

私は”櫻坂46”が好きだ。




偶然の答え


人は必要な時に必要な人と出会う。よく出来た言葉だと思う。私はそれを信じれたことはなかった。それを信じれる時が来た。それは今この瞬間だ。
欅坂46に出会わなければ、自分の感情を押し殺し、都合のいい人間になっていたかもしれない。
櫻坂46に出会わなければ、私は今こうしてこの文章を書くこともなかっただろう。
明日も頑張って生きよう、前に進んでみようと思えるのは櫻坂46の存在があるからだ。
私には今、自分を支えてくれる存在が必要だった。それが櫻坂46だった。
私は必要な時に必要な人と出会えていた。
あの時、何気なく聴いたラジオ。あれは偶然ではなく必然だったのだろう。
そしてきっと、この出会いも。

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