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DVから脱出•離婚 〜子育て〜

DV家庭にしてしまい
面前DVが日常の環境にしてしまった

それでも、毎日学校に行ってくれた
学校にいる間が笑える時間だったんだろう


初めての出産の時は
優しい夫だったから
立ち合い出産で喜んでた
けれど、1週間の入院中一度も見舞いには来なかった
2人めは、出産時も入院中も病院に来なかった
3人めも、来なかった

育児も何も手伝ってくれなかった
しんどかった

オムツ変えて!と頼んだら
俺にさせる気か!と怒鳴られた

何もかも背負い
子どもが幼い頃は
5階建ての5階、階段の生活で
バギーを持ち、赤ちゃんを背負い、上の子の手をひいて
毎日、クタクタだった

家庭訪問の時も
自営だったから、家の中にいた
別の部屋で寝ていた

学校行事は運動会は見にきてた
他の行事は来なかった
家で寝ていた
もうすぐ出ますよと電話しても、寝ていた

子どもの成長の節目とか興味がない人だった
キレた時、よく言うセリフが
「俺の楽しみがない〜」と喚いてた
子どもの成長を楽しみにできませんか
「違う! 俺の楽しみや〜!」
ため息しかなかった

そんな夫だったから
地域の役員、学校の役員、スポーツクラブの役員全て
子どもを連れてこなした

3人めが知的障害とわかり
お父さんの関わりが大切です
週1度くらい一緒に歩いたり運動してあげてくださいと言われたと
お願いしても
何もしなかった
トイレに行くタイミングが安定したのは小学3年生
その頃から、たまに連れて出てくれた
「こいつは、障害があって…」と障害児の優しい父を演じているようだった

長男が障害児学級に入っても
障害児学級の教室入ることは一度もなかった
特別支援学校高等部に入学したけど
特別支援学校には一歩も入ることはなかった
障害というタイトルのイベント、集まりには一度も参加しなかった

上の2人はスポーツで表彰してもらうことが多かった
そのせいか、上2人の行く場所には着いて行ってた
子どもの七光りのような父親だった

親も偏見が強い人だったから頼れなかった


結果的には、それが良かった
身内に頼れなかったから
市の相談機関、児童精神科医、心ある学校の先生、障害児教育の教授
その道のスペシャリストを頼り
進むべき道、支援、あらゆることを教えてもらえた
頼もしい身内だったら
私は、頼りっきり、任せっきりで無力な母になってた
方向を間違ってた

悩みも嬉しい成長の報告も
夫にも親にも話さなかった
わかってくれない
認めてもらえない身内より
わかってくれる先生方の存在が私を支えてくれた

ワンオペで長男ばかりになり
上2人に寂しい思いをさせてしまった
それは深い反省
それもあってか
次女は、夫一族に洗脳されてしまって
成人式の晴れ姿も
結婚式の花嫁姿も見れなかった
悲しすぎるけど
ワンオペで育てて
一番愛おしい時を独り占めできたことは幸せなことだった
もう充分親孝行してもらった
そう自分に言い聞かせてる


こんな不器用な母を反面教師にして
しあわせになって欲しいと心から願う

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