見出し画像

僕がイギリスの大学を辞めて、さとのば大学を選んだ理由


こんにちは。


今日はタイトルにある通り、僕が高校卒業後に進学した英国の大学を一旦辞めて、さとのば大学を受講するに至った経緯について書いていきます。


高校卒業前後から、この1~2年くらいで大学へ行くことを中心にいろいろと考えてきました。幾度となくわからなくなり、不安を感じてきました。しかし、結果としてこの道に流れ着いた、導かれたような感覚もあり、そのことを改めて言葉にして世界に出してみるのは、この社会をちょっとよくするために自分にできることのひとつなんだろうと思って書いていきます。


ちょっと長めになるかもしれませんが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。


大前提

このnoteで書いていることは、原則すべて僕個人の勝手な思いになります。僕が関わらせていただいている活動や組織、人たちの考えを書いているわけではないということをお伝えしておきます。

加えて、僕の信条として、「自分の人生は自分で決める」というものがあるので、僕は僕の価値観や考えに基づいて決めていきますが、他の人はその人自身のそれに従っていくのだと思っています。


どんなことに関心を持ったり、意欲や生きがいを感じたりするかは、まったくもって人それぞれだろうし、そこに優劣が見いだされるのは間違っていると思います。

本質的には、何であっても等価値だろうと。時代や場所によって、その環境における他者からの評価という意味で、善い/悪い、素晴らしい/どうでもいいなどと分けられていくことはおそらく避けられないのだと思いますが。


そんなスタンスで書いているんだよなあということを、知ってもらったうえで読み進めてもらえると、幸いです。



予備情報:さとのば大学について

そもそも、タイトルにある「さとのば大学」ってなんやねんという方がたくさんいらっしゃるはずなので、概観をつかんでいただけるように少し説明させていただきます。


さとのば大学では、地域に暮らしながら、オンラインの講義と「わたしが望む未来は?」という問いを起点に自分ごとから始まるマイプロジェクトを進める中で、仲間と共に学びを育んでいきます。

地域という手応えの感じやすい場所で、「自分が社会に何ができるのか?」という問いと向き合い、自分自身が本当にしたいこと、できること、向いていることは何かを模索し、小さくともプロジェクトとして社会にやりたいことを形にしてみる。自分だけのオリジナルな実績を自分でつくり、どこまで自分ができるのか誇れるものを武器に、社会に出て行く。                             -さとのば大学note記事 (*1)


もっと詳しく知りたい方は、ホームページなどをご覧いただければと思います。(*2)

発起人の信岡さんが目指す、学び3.0という学びのあり方も非常におもしろいので、そちらも興味がある方は最後の章にあるリンクより記事をお読みください。(*3)



はじまり:抱えてきたモヤモヤ


そもそも大学に行くのか?という問いとずっと向き合っていて、気づきもありました。そのひとつが、大学に行かないという道をなんとなく恐れている自分を認識したことです。なんで怖いのか考えると、大学に行って就職して働く生き方が”普通の生き方”だと思っていて、その”普通”でなくなるかもしれないことが何となく不安だったのではないかと思います。


去年の夏頃、イギリスの大学の初年度を終えた後、1年間のギャップイヤーを取ると決めたときに書いたnoteにこう書いていました。(*4)


行く前から、「本当に自分は大学で学びたいのか?」と問われると、正直はっきりとした答えは持っていませんでした。

ですが、わからなくても、とりあえずやってみることで世界が広がっていく経験をしてきた僕は、確信は持ててないけどひとまず1年やってみながら考えよう!としていました。


いざ大学へ1年行き、一生の財産になるような学びを得られたと実感しています。今後自分でいろんなことを学んでいくための土台になるような、思考力、物事を観察/洞察する力、論理を組み立てる力、文献を読む姿勢、などなど、自分の力で学習を進めるために必要な力の大部分を鍛え上げてもらったように感じます。


一方、そこで扱われる題材となる学問については、60~80%くらいの興味であることが多く、90%超えるようなものにはあまり出会えませんでした。また、アカデミアで行われる学びはどちらかというと腰を据えてじっくりと問いと向き合う性質が強いように感じ、自分の性質とは少しズレがあるようにも思っています。


そんなことを感じながらの1年間、度々葛藤し、自分の中で考え込んだり、人に相談したりしていました。



賢人たちから受け取った問いたち

今回、向こう1~2年において僕が選ぶことのできた道は、大きく分けてイギリスの大学に戻るという道とそれを辞めてさとのば大学を受講するという2つでした。


どちらにしようかと非常に悩んだのですが、悩んだ第一の理由は、どちらの道を選んでも、かなりおもしろい人生へと繋がっているような感覚があったということだと思います。


そういう意味では、だいぶ贅沢な悩み事でした。けれど、どちらを取っても魅力的に見えているもう片方の道は一旦保留することになるので、踏ん切りがつけづらかったのかもしれません。


そんな状況と心境で、最終的に僕が今の道を歩むことにした理由は主に3つにまとめられると思っているのですが、そんな理由へと僕をいざなってくれたのは、賢人たちが残してくれた問いだったように感じます。


わかりやすくこの人の問いだ、と言えるのは2つほどあるので紹介します。



”俺は生きた!”と言える人生になるだろうか? 自分自身の生きるスジは誰にも渡してはならないんだ。      -岡本太郎 『自分の中に毒を持て』



フライパンの上で弾けるポップコーンのように、次第に居ても立ってもいられなくなるのはどんな時か? 心の水面にさざ波が立つ時、それはほかでもない、自分だけの資産だ。  -西村佳哲  『自分をいかして生きる』



これ以外にも、僕の中でいろいろな問いに向き合ってひとまずの答えを出しましたが、それらの問いは間違いなく、僕が今まで触れて、吸収させてもらってきたものすべてが混ざり合って形を変えて湧き出てきたものたちです。


パッと思いつくところだと、ストア派(マルクス・アウレリウスやセネカ)、宮崎駿、V.E.フランクル、五味太郎、ガウタマ・シッダールタ、苫野一徳、國分功一郎、エーリッヒ・フロム、老荘思想、ミヒャエル・エンデ、夏目漱石、吉本ばなな、三木清、ガンディー、ハンナ・アーレント、などなど。


時代も場所も様々な人たちの、ほんの一部ずつが、僕の中にもひっそりと、でも確実に生き続けている。きっとそういうことなのだと思います。


字が汚いし、裏紙を付箋代わりにするというケチさが見苦しいですが、こちらが決断したときに書いていた問いたちです。


画像2



それでは本題の、なぜさとのば大学を選んだのか?の当時の僕なりの理由へと話を進めたいと思います。



理由その1:冒険的な生き方への好奇心


以前、「beの肩書き」というワークを本を参考にしながら自分でやってみました。

beの肩書きってどんなもの?まできちんと説明しているとあまりにも長くなってしまうので、とっても簡単に紹介するとこんな感じです。


beの肩書き ver.1


詳しく知りたい方は『beの肩書き』の著者、兼松佳宏さんのnote記事をご覧ください。(*5)



このワークをして改めて自分の中で確かになったことが、僕は「冒険家」のような生き方をする人なんだろうな、ということでした。もちろん、その生き方が変化するかもしれない可能性も含めて、冒険のような人生になる予感がします。


わかりやすく旅や探検が好きだということもありますし、人生全体で見てもこの通り進路をコロコロ変えていたり、本を通した知的な冒険、フィクションの中での冒険も大好きです。これは、「マルチな冒険家」「冒険ジェネラリスト」みたいなことだと勝手に自分で定義しています。


それらに共通して言えるのは、自分の足で歩み、自分の手で切り拓いていくことそこに何よりも喜びを感じ、それをしている時こそ力が湧き出てくる、そんな性質だと思います。


周りから見れば、もっとスマートなやり方があるのにと思われることもたくさんありそうです。そういうありがたい意見にはきちんと耳を傾けることをしつつ、最終的には自分のこれだと思った道を歩んでいくのが自分なんだろうと考えています。


そんな自分にとって、さとのば大学は今までの短期コースに加えて、2021年度から4年間を見据えたプログラムが走りだすという、まさに駆け出しのフェーズにあって、惹かれるものがあったのだと思います。


今回決める時、タイミングも強く意識しています。

それはどういうことかというと、一般の大学は1年や2年遅らせてもそこで得られる経験の中身はそれほど大きく変わらないけれど、このさとのば大学は今年か来年かで、だいぶ経験が変わるんじゃないかということです。冒険大好き人間の自分にとって、「さとのば大学の今」はワクワクの旬のど真ん中なんじゃないかな、と感じています。



おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う_0010

(*6ガブリ・ローデナス 『おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う』)



理由その2:自分の中心にある問いと向き合える環境


みんなそれぞれが、それぞれの疑問や不思議だなあと思うことを、大小関わらず何かしら持っていて、その結晶が問いとして見えてくるのではないかと思っています。


僕が持っている問いの中でもひときわ謎が深く、同時にきらめいている問いが「人が生きるとはどういうことなんだろう?」というものです。(*7)


もとの出発点は中学、高校生くらいの頃の「自分の生きる意味ってなんだろう?」というようなものだったと記憶しています。今ではそれは前述の問いの小項目として残っている程度で、それはつまり、生きることに本質的・根源的に意味や目的があるという前提を脇においてあげて考えている、そういうことになると思います。


そして、今のところは、これについて考え続けることが軸になって自分の人生が流れていったらかなり満足なんじゃないかと思っています。


そうであるなら話はシンプルで、何か道に迷ったときは自分自身にこの問いを思い出させてあげて、「この問いについてより深く向き合うことができそうなのはどっちだろう?」と考えてみればいいヒントになりそうだ、ということになります。


(先ほどの問いを書き出したノートでいうと、真ん中の「問い」と書いてあるすぐ上の付箋がそれに関係しています。)


イギリスの大学に行くと、基本的には「このエッセイをいつまでに書いてくる」「この本を次の授業までに読む」など、何をするべきか向こうから適切なものを提示してくれて、それらにきちんと取り組んでいくことで一定の学びや成果が得られるという利点があるように感じます。


裏を返せば、そこでは「今自分は何をしたいか?何をするべきか?」と考え、考えた結果を実行に移してみて、それが自分にとって良いものをもたらしたのか振り返り、次の行動を考えるというプロセスを踏む必要はあまりないのかもしれません。


自分に選択の余地、すなわち自由を与えるということは、自分で考えて決めなければならないということであり、さらに自分で決めたということは責任はどこまでも自分にあるということです。そこまで背負いきらなければいけないという意味で、自由であるということはきっと何よりも過酷で厳しいことなのかもしれません。



というようなことを考えた時に、自分のケースに当てはめてみると、さとのば大学を選んだ方が、自由であることに向き合うことになり、それによって始まりの問いであり還ってくるべき問いである、「人が生きるってどういうことなんだろう?」を探る旅に邁進できると思いました。


具体的に言えば、自分のやりたいや問題意識を起点にしたマイプロジェクトや、さとのば大学から広がる繋がりから出会える人々との関係性が、僕の問いに豊かな栄養を注ぎ込んでくれるはずだと、予感しています。


画像6



理由その3:自分の行動で、構造がほんのちょっとでも変わるんじゃないか


今の日本社会では、”大卒”であることそれ自体の価値が、必要以上に大切とされているのではないだろうか、と疑問に思っています。

去年システム思考というものを初めて知り、ワークショップに参加していた頃に頭の中で考えていたことを、できる限り図解してみました。今も同じ講師の方に大学生向けのワークショップで教えてもらっているのですが、とにかく練習を続けていくことが大切だということを学んでいるから。


学歴ループ図ver.2



僕がぼんやりと持っている理想は、みんなが自分の「あり方」を追求したり大切にできる世界です。

その反対には、おそらく「結果」や「やってきた/やっていること」が大切になっている世界というものがあります。たとえば、一般にイメージされる”受験戦争”や”就活”に象徴されるような世界がこれに当てはまりそうです。

この世界では、どこかに必ず、敗者や取り残される人たち、自分の存在価値について苦しさを感じながら生きていく人たちが出てきてしまうのではないかと考えています。



それを今回の事柄に落としてみると、”大卒”であるという「結果」にみんなが今より囚われなくなったら、きっともっとのびのび、和やかな社会へと変わっていくように思います。



もし仮にそうなったとき、きっと大学で単位取得・卒業するために興味の持てない授業に出て課題をこなすことに費やされてきた時間とエネルギーは、自分自身のため、さらには他人のためにやりたいと思えることに使われるのではないかと思うのです。

前者が外発的な動機にもとづく行動であるのに対して、後者は内発的動機からくる行動であるがゆえ、その人の人生に対する満足感や幸せにもつながりやすいと考えています。


余った時間・エネルギー・お金をひたすらゲームに費やしても一向にかまわないと思います。重要なポイントは「いやいややらされることが減る」ことです。

そうできる人たちの心には余裕が生まれやすくなり、心に余裕が生まれた人たちは周りの人のためにできることを探し始め、それによってまたさらに心に余裕を持てる人が増えていく、そんな嬉しい循環が起こりうるのではないでしょうか。




とはいえ、先述した通り大学を卒業するというのは簡単なことではありません。大学をきちんと卒業していく人たちへは、僕も大きなリスペクトをもっています。ですが、彼女ら/彼らの中に、社会の側から要求されてやらされている感があるならば、それはちょっともったいないようにも思います。



結果が勝負で結果によって評価される世界では、必ず取り残されてしまう人が存在します。これは他人や他社、他国と比較して評価がなされる以上、構造的に必ずそうなってしまうという性質なはずです。取り残される人の存在は、その人たちにとっても勝っている人たちにとっても、どちらにも損失だと言えるはずで、この点も含めて「もったいない」と感じます。




20歳前後の若者にとって、モラトリアム(発達心理学における「大人になることへの猶予」)という期間は大いに価値があるのだろうと思います。

時間的な縛りから比較的自由になり、自分自身と向き合い、その自分が他者と関わり合いながら、社会と接続することについてじっくりと考え、時になにもせず、寄り道をし、過ちを犯しても許してもらえることが多い。そんな期間は人として成熟するうえで非常に貴重な機会なんだろうと思います。


日本の大学生のうち、こういった社会に出る前の「猶予期間」として大学へ行く価値を見出している人は結構な割合になるような気がします。


でも、大学生であることは、本来の必要条件ではないはず。高校卒業後にフリーターで3年間いろいろやったり考えたりしてきました~みたいな人が普通に就活させてもらえるとか、本当はそんな感じでいいと思うのです。



じゃあフリーターになろうか?というと、僕もそこまでの勇気はありませんでした。そこで、既存の大学と並ぶひとつの選択肢として、さとのば大学というものも育っていけばいいんじゃないかという仮説が浮かび、自分が実験台になる意味合いも込めながら動いていけたら全体にとっておもしろいんじゃないかと考えています。


まだ何も決まったわけじゃない

友人たちに時々言われて個人的にとても嬉しい言葉があります。


「きりって、3年後に何してるかまったくわからないよね。何してるか想像つかないけど、でもなんか大丈夫そう笑」


冒険家のように生きたい僕にとってこれ以上の誉め言葉はないんじゃないかと、こう言われるたびに勝手に喜んでいます。


ひとまず、この1年間はさとのば大学に軸足を置いてみることを決めましたが、その先はもちろん、この1年間でもどんな変化が起こっていくか、自分でも想像がつきません。


毎日4~5時間本を読んでいるような時期もあった自分であるということと、好きで得意なこと以外も時々はさむことで、幅も広げていきたいということから、もう一度アカデミアにどっぷりと浸かった学びに取り組んでみるのも絶対いいよなあと思ったりもしていて、その道も大いに検討中です。


画像3


(ガブリ・ローデナス 『おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う』)


今後しばらくの指針:行動を通してみんなへの感謝を表現したい


まだまだ学歴や社会的な地位・肩書きが大きな影響力をもつこの社会の中に生きながらも、はたから見ればリスクや不安定であるような選択をする僕には、反対するどころか心から応援してくれる家族をはじめ、周りのすべての人たち、時代や自然など、すべて含めて「環境」が与えられています。

むしろ、そのような環境によって今の僕は形作られたし、支えられているのだと強く実感しています。

そして、このことは社会全体で見ればとてもとてもレアなケースなのだろうと思います。


これまでは自分のお世話に手いっぱいで、このことに気づいていてもせいぜい「ありがとう」を伝えることができていた程度でした。


今も、まだまだ自分のお世話に手はかかっていますが、以前と比べるとそれも変化してきた感覚があります。


だいぶ時間がかかりましたが、行動をもってしてこれまで本当に多くを僕に与えてくれた「環境」を構成している個々の人やものたちに、恩返しを始められる準備ができてきたように思っています。

少しずつ、少しずつにはなってしまうけれど、大きな一歩でもあると信じています。


「恩返し」と書きましたが、おそらくこれは「恩送り」であると言った方が適切かもしれません。「環境」全体(宇宙、などともいえると思います)へ恩返しのつもりで、それのためにできることを考えて、行動すること。それはきっと明日生きているすべての存在への「恩送り」になるのだと思います。自分自身もその「環境」には含まれていると意識できれば、自分のことを犠牲にするようなあり方ではなくそれが実現できるのだろうと信じて、日々を生きていこうと思います。


本当に長くなりましたが、ここまで読んでくださったみなさん、ありがとう。


参考資料など


*1 : さとのば大学note記事

*2 : さとのば大学ホームページ


*3 : 信岡さんの掲げる学び3.0について


*4 : 僕の休学を決めた時のnote記事


*5 : beの肩書き


*6 : ガブリ・ローデナス 『おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う』


*7 : 「人が生きるとはどういうことなのか?」という問いについて書いている僕のnote記事




この記事が参加している募集

自己紹介

いただいたお金は、その時に世界がいきいきしそうなこと、輝きが増すと思うことに使います。