リレー小説 note20 最終話「その後のワニ」後編

前編 目次

 金屏風の前にいるワニは輝いていた。
  180近い長身に、モデル並みの長い手足、無表情だが完璧に整った美しい顔。
  輪道の恵まれたルックスは、ハイブランドなファッションで底上げされ、集まったマスコミ関係者を明らかに魅了している。
 
 私は壁際で腕を組み、誇らしい気持ちでワニの晴れ舞台を見守った。

「作家にしとくには勿体無いルックスだな。こりゃ」
  私の隣で編集長が感嘆の声を上げた。

「勿論、芸能プロダクションにもバンバン売り込んでいく予定ですよ。彼がテレビに出演すれば、未来ノートは、ロングセラー間違いなしです」

今まで会社の上司にさえ、ワニを紹介しなかったのは、 覆面作家のインパクトを強めるためだ。

「なるほど。そりゃいい。タレント性のある作家は貴重だからな」
 
編集長は満足気に口ひげをなぞる。
 
やがて、質疑応答が始まった。

「受賞作の『未来ノート』は、輪道先生の20作目ですが、女子高生を主人公にした青春物から、宇宙を舞台にしたSFアクション、実在のアイドル、ガリガリシスターズを登場させたノンフィクションもの、流行りの婚活イベントを題材にした現代文学と、テーマも作風も作品ことに大きく変化してらっしゃいますよね」

「はあ、まあ」
  ワニはやる気のない返事をした。

「それは意図的に変えてらっしゃるんでしょうか?」
「いやあ、たまたまです」
 
私は編集長に向かって肩を竦めた。
 
「....華やかなのはルックスだけですけどね。性格は見ての通り。気の利いたセリフ一つ言えない地味な男です」
「芸人じゃないんだ。寡黙なくらいでちょうどいい。うまいことプロモートしろよ」

  編集長の言うとおり、ワニの不躾なほど投げやりな態度も、記者たちの興をそぐ結果にはならなかったようだ。
競うように質問が投げかけられ、ワニが口を開くたびに無数のシャッター音がフロアに響く。

「創作の発想はどこから得てらっしゃるんでしょう?」

1人の記者がそう尋ねた。
 
 「発想ですか」
  ワニはぽりぽりと頭をかいた。

「未来ノートが、勝手に見つけてきます」
「未来ノートが?」
 
質問した記者は首を傾げた。
  
「物語の神様がおりてくる、といった感じでしょうか?」
「いや....」
  
ワニはちらりとこちらを見て、それから大きなため息をついた。

「やっぱダメだわ。俺、こういうの耐えられない」
 
がたんと椅子を引く音がして、ワニは立ち上がった。

そして一気にこう言った。

「俺が作家になったのも、大きな賞を取れたのも、全て未来ノートのおかげです。ほら、これですよ。未来ノート」

  ワニは、ボロボロの大学ノートを片手で持つと、ぐい、とマスコミ関係者の前に突き出して見せた。
(え……嘘!)
 
私は慌ててバッグを探る。

(ない....! いつの間に……!)
 
背中に冷たい汗が流れる。
 
ワニの言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかっているのだろう。
  会場が一瞬、しん、とする。

「なんだなんだ。これも演出なのか?」
  編集長が眉根を寄せた。

「....ちょっと待っててください」
  私は、人波をかき分け、ワニに近づこうとした。
 
 だけど、一足遅かった。
「今からその証拠を見せます」
  そう言うと、ワニはノートにペンを滑らせた。
  会場がざわめき出す。
「ちょっと!  なんて書いたのよ!」
  私は、ワニに向かって叫んだ。

「ノト、ごめん」
  ワニは、ノートを反転させ、大きく書かれた文字を私に見せた。

「『不正のため受賞は取り消し』」

黒々としたその文字を見ながら、私は膝から崩れ落ちた。

※ ※ ※ ※

 ワニの衝撃的な告白の後、青木賞実行委員長が現れて、「未来ノート」の受賞を取り下げると言い渡した。

  潮が引いたように去って行くマスコミ関係者たち。
  編集長も、私を置いて引き上げていった。
「....悪かったな。けど、もうこれ以上、偽りの人生を生きるのは耐えられない」
  ワニの言葉に、私は耳を疑った。
「偽りの人生?  何を言ってるの?  」
「言葉通りだよ。お前と会ってからの俺の人生は作り物だ。お前だってわかってるだろ? 俺はお前の自己実現の道具じゃねーんだ」
 
ワニは未来ノートを差し出した。
「返すよ。これはお前のものだから」
  私は、呆然としたまま受け取った。
「....じゃあな。ノト。俺は俺の人生を生きる」
 
そして、ワニは私の前から姿を消した。
  連作小説「未来ノート」の登場人物たちと同じように、人生を、もう一度その手につかむために。

  

そして五年の月日が流れた。
  
  私は中堅編集者として、忙しい日々を過ごしていた。

  未来ノートはあれっきり開いていない。ワニの消息もわからない。
  あの、魔法めいた不思議な日々は、もしかしたら全て夢だったのかもしれない。
  ワニが去った後、気づいたことがある。
  私はワニが好きだった。
  公園で彼に出会ったあの日から、ずっと彼に恋していた。

彼の才能を世間に知らしめたいなんて大嘘だ。
そんな大義名分を振りかざして、本当は、彼の成功を望んでいた。
世間なんてどうでもよかった。彼が幸せならそれでよかった。
彼を幸せにして、私も幸せになりたかった。私はワニに必要な人間だと思われたかった。

こんな単純なからくりに、気がつかなかったなんて、私は本当に大馬鹿だ。
だけど、それも過ぎたことだ。
本音を隠し、恋のステージに上がろうとせず、勝手な理屈で彼の人生をめちゃくちゃにした私に、何かを望む資格もない。
私に出来るのは、ワニに笑われないよう、毎日を丁寧に過ごすこと。
それしかない。

担当作家への指示メールを作っていたら、デスクの電話が鳴った。

「金井さんですか? 持ち込みの方がロビーにいらっしゃってますが、どうしましょうか?」
 受付嬢の声が聞こえてきた。

「上がってもらってください。エレベーターの前で拾いますから」
 
電話を切った後、立ち上がる。
漫画と違い、文芸作品の持ち込みは少ない。
だけど、ガッツのある新人は大歓迎だ。
どんな才能に会えるんだろう、とワクワクする。

そう。ワニに初めて会った時みたいに。
 
ちん、と音が鳴り、エレベーターが開いた。
そして。

「よう」
  彼が現れた。

「久しぶりだな」
  すだれのように長く伸びた前髪から、キラキラした切れ長の目か覗いている。
 
「ワニ....」
  名前を口にした瞬間、熱いものが、胸の奥からこみ上げてきた。
 
五年ぶりの彼は、少し痩せていて、でも、後はちっとも変わっていなかった。

「....新作持ってきた。お前に最初に見せたくて」
  ワニは照れたように言った。

「あれからずっと考えてた。お前さ、未来ノート、ちっとも自分のために使わなかったよな。なんだって叶う、魔法のノート。億万長者にだってなれたのに、使うのは全部俺のためだった。それってさぁ……」

長過ぎる前髪を掻き分けて、ワニは一瞬真顔になる。

「その、理由、教えて。すごく知りたい」
「うん。あのね....」
  
私は、一歩足を踏み出した。

ワニにもう一度近づくために。

偽りのない、二人の未来を、丁寧に紡ぎ上げて行くために。

連作リレー小説 「未来ノート」 終わり

※ ※ ※ ※

参加させていただいて、とても楽しかったです。発起人の空音様、参加者の皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございました。


   

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