サンザシ

このお花は〈サンザシ〉と言う。山田耕筰の〈この道〉と言う歌の歌詞に出てくる。幼い頃からどんなお花なんだろう?と思っていて、大人になって植物図鑑で見たことがあった。ある意味憧れていたが、なんとスウェーデンで初めて出会った。
枝を大きく広げた立派な木で八重咲き。白もある。あちこちで見かけるというほど多くはないが、娘のマンションのすぐ近くにもある。
あちこちで見かけるのは、ナナカマド、ニワトコ、楡、カエデ、マロニエ、金グサリ、なのかキングサリーなのか分からない。日本のお花屋さんでは金グサリと書かれている。低木に黄色い藤の花のように鎖状に垂れて咲く。
湖周りは枝垂れ柳が、湖に倒れ込むように生えていたり、私の想像では若木のうちに雪で折れ曲がったりしての、あの状態なのだろうと想像している。やはり日本ほど色々な木があるというわけではない。寒さに耐えられる植物だけだ。
日本のお花屋さんで買うようなお花があちこちに咲いている。調べてみるとやはり北海道にもあるような物が多い。5〜7月は本当に色んな種類の野草が道路沿いを賑わわせている。人々も短い太陽の季節を喜んでいるように見える。子どもからお年寄りまでがアイスを片手に歩いている。また、りんごの木があちこちにあり、(娘のマンションの共有の庭にも)
小ぶりの実を歩きながら食べている大人も子どもも見かける。よく海外の映画で木からもいでその場で食べ始める場面があって、印象に残っていたが、本当に日常なのだ…と思った。幼い頃から石、岩とお花に、強い思いがあった私が、まるでそれを手に入れるために来たかのように、その両方がこの国にはある。
石と言えば、面白い話がある。夫の学生時代の友人が、大手企業に就職していたのに、一年程で退職しマグロ漁船に乗ることに…。その時いくつもの国に立ち寄るので、何か欲しいものがあったら…と私に言ってくれた。ならばと、「私石が欲しい」とお願いした。すると何ヶ月後か1年後かは忘れてしまったが、小さな宝石を2〜3個頂いた。正直ガッカリした。全く興味がない。しかも高額だったのだろうと思うと、違うとも言えなかった。何年か経って、ハッと気づいた。あ〜、石ころと言うべきだったのだ…と。以前にも触れたけれど、石が好きというのを、宝石、貴石の事だと思われたのだ。夫の友人に宝石をお願いするわけがない。と思ったけれど、石ころだとは、誰も思わないだろうという事も分かった。私の中では当たり前だったが、私が変わっている(変人)のだ。
そこから、私はどんなふうに石が好きなのか?…。夢があるじゃない?
未知の国の道端か、海岸か、河原か…そしてその石は、偶然にその場所にある。誰かが蹴飛ばしたか、工事で運ばれてきたか、波で打ち上げられたか、強い流れに乗って、その場所に来た、そして私の所へ。それはどの時代から存在していたか…。それはお花や樹木に対しても同じような思いがある。なので野草が好きということがあった。

けれども、タイトル〈涙の理由〉にも書いたように、野草を自分のものにしたいという衝動に駆られ家に持ち帰り、庭に植えた途端に涙が出て止まらない。どういう意味の涙か自分でも理解できず、大人になるまで疑問符が残っていたが、ある時突如として理解に至った。それは、そのお花が欲しかったわけではなく、そのお花を含めた風景全部が欲しかったのだということに気づいた。そして、そのお花を持ち帰り、しかも枯れてしまい、自分のした事でその両方を一度に失ってしまった。
石と同じように、偶然(自然)が作り出した光景に夢を(憧れ)感じる。
それでも、好きということの説明は出来てはないと思っている。書き上げてみようとすれば、そんな感じだけれど、好きに理由はないのではないかとも思っている。惹かれる何故か惹かれる。
石にはもう一つの笑い話がある。けれども、つまらない話を長々と…となってしまったので、明日の記事に。

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