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モテないけど足速い

もういくつ寝ると箱根駅伝である。
年明け早々よくあんなに走れるものだ。コタツにみかんが正月の正装である私には、半袖短パンで元気いっぱい走り回るだなんてありえない。正月でなくてもありえない。走ること自体嫌いなのだ。
友人との待ち合わせに遅れそうでも、走るくらいなら遅刻するようにしている。もちろん怒られるのだがそんな時は平謝りだ。走るための足はないが、下げる頭くらいなら持ち合わせている。
そんな走り嫌いな私だが子供の頃は足が速かった。長距離走もそこそこ速かったが、短距離走はクラスで1、2を争う程だった。運動会の徒競走でも毎年3位以上に入賞していたので、客観的にも速い子供だと言えるだろう。
不可解なのはここからである。速めの小学生だったにも関わらず、私は全くモテなかったのだ。

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モテる男の条件は年齢によって移ろうものである。社会人だとお金持ち。大学生ならノリのいい面白い奴。中高生の場合はシンプルにイケメンが強い。
貧乏で根暗なブサイクの私は当たり前にモテない人生を歩んできた。アドレス帳には男の名前ばかりが並び、写真フォルダに女性の顔は見当たらない。いったい何の罰が当たってこんなことになっているのだろう。鏡を見てもため息ばかりだ。
今この瞬間にイケメンと私の顔が入れ替わったら、明後日辺りには私の顔をした自殺体が発見されるだろう。温室育ちのイケメン如きが、私の受けてきた冷遇に耐えられる訳がない。一方イケメンになった私は顔面パワーでやりたい放題だ。街へ出れば逆ナンされまくっちゃって前に進めない。参ったな、友人との待ち合わせに遅刻しちゃうじゃないか。
こんな妄想ばかり得意なのもモテない男の特徴である。

そんな非モテおじさんの私だが、小学生時代モテなかったのは納得がいかない。モテる小学生男子の条件は"足が速いこと"の筈である。前述の通り俊足だった私がモテないなんて話が違う。
私よりも鈍足の奴らが男女で遊園地に行ったり女子の家にお呼ばれされているのを見たことがある。それなのに私がまるっきりだなんて。男だけで団地鬼ごっこだなんて。公園のベンチでティガレックス狩りだなんて。絶対におかしい。
何か訳がある筈である。何かでかい陰謀が。

…昔はこのように考えていた私だが今は違う。
あまりのモテなさにより悟りを開いた私は真理を体得した。人間のような矮小な存在の営みなどは気に止まらず、水の流れや風のそよめき、瞬く星を内側に感じる。自分の輪郭がぼやけ、全宇宙と一つになっていく…
宇宙規模な私のありがたい言葉を聞いていけ。
実は女子にとって、男子の足の速さは二次審査の対象でしかないのだ。私は一次審査のルックス部門の時点で既にご帰宅願われているという訳だ。醜い顔面が速い足を引っ張っている。
イケメンの足が速い場合、「素敵!私がピンチの時すぐに駆けつけてくれそう!」女子たちはこう感じるだろう。顔が良い上に頼りにもなるだなんて、モテるのも頷ける。
しかしブサイクの足が速い場合、「襲われたら逃げ切れなさそう。」
この差である。
イリュージョンか?長所が短所に大変身だ。ブサイクというだけで悪印象なのに、俊足のオプションがつくことで不安に具体性を持たせてしまった。
考えてみれば当然だ。チーターは速くてかっこいいと人気だが、素早く動くゴキブリを好きな人間はこの世にいない。速ければ速いほどむしろ気持ち悪い。ルックスが悪い生物にとって、スピーディーなことはネガティブ要素にしかならないということである。
世のブサイク共、私に巻き込んでゴキブリ扱いしてしまい申し訳ない。

顔にまつわるこんな話をネット上で見たことがある。
「イケメンは顔が良いというだけで生まれてから得ばかりしている。ブサイクと平等にするためにイケメン税を導入しよう。」
素晴らしい妙案である。これを考えた奴とは気が合いそうだ。きっとブサイクに違いない。
たしかにイケメンはモテ以外のところでも得ばかりしている。
学食のおばちゃんの「お兄ちゃんイケメンだねぇ。お肉サービスしとくよ。」がいい例だ。物理的に得しているではないか。私の人生で「お兄ちゃんブサイクだねぇ。不憫だからお肉サービスしとくよ。」なんてことは一度もないし、こんな気遣いされたって嬉しくも何ともない。
イケメン税に対する反論も見た。
「ブサイクは見ているだけで不快なので罰金を課そう。ブサイク税導入だ。」
とんでもない暴論である。
嚙み砕いて言うと「お前ブサイクだな。ちょっと金出せよ。」こういうことだ。国主催のカツアゲではないか。お金を取られる上に国公認ブサイクの烙印を押されるだなんて、地獄の閻魔でもここまでしないだろう。
こんな性格の悪い発想が出来る人間は、きっと顔もブサイクに違いない。

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以上が私の非モテ人生の片鱗である。
「こんなこと書いてて自分で悲しくならないの?」と思っているそこのあなた、心配ご無用です。私にとってはモテないのが当たり前なので、それを悲しむようなレベルはとっくに過ぎ去っている。
息をするようにモテないのだ。
呼吸するだけで悲しくなることなんてないでしょう?
え、ある?
それなら呼吸なんてやめちゃいなさい。

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