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愛を乞う子どもに私はなっていた

両親からしつけと称して虐待されて育った私は、「愛の乞食」になっていた。
どのような振る舞いを私がしていたか・・・・・・

友人の家でお菓子を食べさせて貰う(自宅にはお菓子がほとんどなかったから)
友人の家でくつろぎまくる(自宅では一切気が抜けないから)
友人の家でゲームをする、見る(自宅にゲームがないから)
友人の家で漫画に読みふける(自宅に漫画がないから)
友人の家にとにかくいたがる、自宅に帰りたがらない(牢獄に帰るようなものだから)

先生に甘えまくる、褒めて貰おうとする(勉強できることを褒めてほしい)
習い事の先生にも甘える(人様の家と同じ)

と、今思い返すと本当に申し訳なく、頭を下げて回りたいほどだ。
そうなのだ……

私は他人を親代わりに甘えていた!

もちろん、誰でも経験あることだろうし、そういう時期が短期的に起こることもあるだろう。
だが、私は18年間である!
これは言い過ぎにしても、4歳の頃から、高校3年生までは確実である。つまり14年間。
幼稚園の頃は祖父母にべったりだった。
両親に気兼ねなく甘えた記憶などない。
家ではほとんど気が抜けなかったので、家(特にリビング、食卓)にいるときは常に緊張感があった。

明らかに異常だ。

当然、こんなに他人の家に入り浸る私など、いい顔などされない。
しかし、私は毒親に毎日暴言吐かれ、あるいは吐かれるのではとビクビクと暮らしているので、それに気がつけない。
たとえ気がついたとしても、毒親の家より人様の家の方が全然くつろげて穏やかな気持ちでいられるのだ。しつこく入り浸る。
だったら私を追い出すなり、自分の子どもにもう付き合うなと苦言するなり、いろいろあると思うが、私はその当時、成績が良いことで知られていた。
また、当時から私の行動は突拍子もなく、常に騒いでいたので、友人が面白がってしょっちゅう家で話題にしていたのもあってか、「きりんちゃんはちょっと変な子だけどまあ頭良いし……」という扱いであった。
そのため、そこまで冷たくあしらわれた記憶はないが、私の上記の振る舞いに対しても、嫌な顔一つせず接してくれた友人の親や先生の心の広さに感謝しきりである。

というか――、親御さんの間では、間違いなく私のこと噂されていたと思うので、いい意味でも、悪い意味でも有名だったのでは……
もちろん悪い意味のほうが大きいと思う。2:8かな……

他人に甘えるのは、虐待を受けていた当時の私が取れる最大級の避難であったことは間違いない。

でも、私が周囲に迷惑をかけたこともまた事実で、本当に本当に申し訳ない。
だって私は当時、自分の事でいっぱいいっぱいで、まともにありがとうも何も言えていなかった気がするからだ。
そのことがなによりも私はよくなかったと思う。

そのため、私は今になって言う。
「ありがとうございます」と。
……当時夕食時まで居座る私に悩まされる親御さんもいただろう。しょっちゅう遊びに来られて、友人だって内心嫌に思った事もあるだろう。
なのにやんわりと言って下さって、ずっと友達でいてくれて、感謝しかない。

今となっては、迷惑をおかけした各友人の自宅に菓子折持って土下座してまわりたい気持ちに囚われる。
実際されたら困惑されるだろうが……

あのとき、私を甘えさせて貰って、心から感謝しています。

そして……
私はたまたまいい人たちに甘えたからよかったが。
悪い人に甘えていたら、どうなっていたことか……

本当にいい友人や先生に恵まれてよかったと思う。

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