見出し画像

右手ちゃんと左手くん

両親に私は相談というものをしたことがない。
どうやら周囲の友人たちの様子やら、アニメ、映画、小説、ニュース……そういった媒体から得た情報を総括すると、子どもはちょいちょい親に相談するものらしい。
だが、私は、学校の悩みや受験、そしてどうしてこんな理不尽な暴言を受け続けるのか、両親に訊ねたことは一度もない。
相談しようとも思わなかった。
相談したい、と思える相手ではなかったからだ。

その代わりに、私の悩みを聞いてくれた存在がいる。
それが「右手ちゃん」と「左手くん」だ。

右手ちゃんと左手くん

彼らは私にとっての大親友で、親でもあり、さながら何でも相談できる、頼りになる存在だった。
いわゆるイマジナリーフレンドというものだろう。
それが二人いたし、いまも時々ひょこっと出てくることがある。

ちなみにイメージとしては、
右手ちゃんが物静か、理知的なイメージ。
左手くんはちょっとかっこつけで賑やかなイメージ。

どちらも動物なの? と思われる方もいるだろう。

……私は毒親の影響か、よほど親しい相手でもない限り、人間に心を開けなかった。
でも飼っていたイヌ相手なら、私は心を開けた。本心をしゃべれた。
ごっこ遊びでも私は人間ではく、常に動物を選んでいた。人間の役はやりたくなかった。
それがイマジナリーフレンドが動物となった理由だと思う。

この遊びがはじまったのは、4歳の頃だったと記憶している。
幼稚園の時はバスで、頭の中で会話していた。
小学校に上がってからは、行き帰りの道で。
我が家は学校からかなり遠く、小学校1年生の足では一時間はかかる距離にあった。
友人とは途中まで一緒だったが、友人たちは途中で次々と「ばいばい」と別れることになり、残り30分を私は右手ちゃんと左手くんとの会話に費やしていた。
家でもベッドの中で、ぬいぐるみに「右手ちゃんと左手くん」が乗り移ったという設定にして、彼らを抱きしめてずっと脳内で喋っていた。

右手ちゃんは理屈っぽい。
打算的、長期的なものの見方をする。

左手くんは感情的だ。
喧嘩っ早い、短絡的なものの見方をする。

この真逆な性格のふたりと、私はいつもおしゃべりし、相談した。

二匹と一人の討論会

「なんで父は私のことをバカにするの?」
「どうして私はいつもこんなに怒られるの? いなくなったほうがいい?」
「飯を食わせて貰ってありがとうと言え、って言われるんだけど、私は言いたくない。ありがとうって言ったら、父はつけあがってもっと文句を言うよ」

すると左手くんと右手ちゃんが色々と答えをくれる。

「バカにされても気にするな。きりんはバカじゃない」
「バカにも頭が良いって分かるぐらい、どんどん勉強しようよ!」

「きりんは悪いことなんてしてないよ。アイツがおかしいんだ。周りも呆れてるじゃないか」
「いざとなったらばあちゃんちに行こう。道は覚えたし、歩けるよ!」

「言わなくていい。きりんの友達で、そんなことを言っているヤツなんていないよ」
「つけあがるだろうね。そしてきりんに『感謝しているならやれ』っていっぱい家事をやらされるよ」
「そうだよ。きりんはちゃんと『ありがとう』は言える。でもいいたくないよな。なんであんなに詰ってくるヤツにいわなくちゃいけない?」
「むしろこっちが感謝して欲しいぐらいだよねえ……父が親族の前できりんが褒められて良い気分になってるのは、きりんが努力してるおかげじゃん」

「そっかあ……うん、そうだね。ありがとう。それでね……」
と、それを受けて私も考え、納得するまでその二人ととことん話し合う。
毎日のように、私はこのふたり(二匹?)の討論を脳内で行い、自分の悩みを相談し続けていた。
彼らのおかげで、私は考える力を身につけることができた。

ただの自問自答では、と思われるかもしれない。
しかしそうとは思えないほど、このふたりは生き生きと私に話しかけてくれた。
家庭内での孤立感が、どれほどこのふたりによって、癒やされたかは筆舌に尽くしがたい。

「元気ならいいよ。僕たちも元気だから、きりんは今の生活を楽しんで」

この討論会が終わったのは……10~12才ぐらいではないかと思う。
いつの間にか右手ちゃんと左手くんはいなくなっていた。
それというのも、右手と左手という仮想人格を使わずとも、脳内で討論できるようになったためだろう。

でも彼らは未だにちゃんと脳内にいて、呼べばちゃんと応えてくれる。
だが彼らは「元気ならいいよ。僕たちも元気だから、きりんは今の生活を楽しんで」とあまり前には出てきてくれない。

それがちょっぴり、残念だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?