新橋-横浜間 鉄道開通
1869年明治政府は、首都東京から国際貿易港横浜を繋ぐ約29kmの鉄道敷設を決定し、翌年イギリスからエドモンド・モレルが建築師長に着任し、本格的工事が始まります。
田町から品川までの約2.7kmは、海軍用地を避け約6.4mの幅の高輪築堤を建設しその上に線路を敷設します。
築堤建設には、1853年黒船来航を機に東京湾に造られた品川台場の石等が再利用されます。
御殿山は、徳川将軍の鷹狩・茶会や江戸庶民の花見に利用されていましたが、品川台場建設で切り崩し、鉄道開通工事で切通しにされます。
大森付近は、武蔵野台地を避け崖下付近に線路を敷します。(後の1877年来日中のモース博士が車窓より貝塚を発見します。)
河川を渡るために木橋も数々作られました。(六郷川橋梁は、75年イギリスの錬鉄製の部材を輸入して、77年に架け替えられます。)
権現山は、幕末に神奈川台場建設のために土取り場となり山頂が削られ、鉄道の建設により開削されます。
高島嘉右衛門は、神奈川から横浜に至る深い入り江の一部を埋め立て、長さ約1.4km・幅約65mの築堤を完成させます。(偉業を称え埋立地一帯は高島町と名付けられます。)
日本の鉄道開業目前、非常に残念な出来事も起こります。1871年11月5日エドモンド・モレルが肺結核により満30歳、ハリエット夫人が翌日呼吸器系の急性疾患により満25歳でお亡くなりになられます。
正式開業日の1872年10月14日旧新橋停車場で式典が催されます。
明治天皇と建設関係者を乗せたお召し列車が横浜に向けプラットフォームを出発します。
正式開業時の列車本数は、一日9往復・全線所要時間は約53分・平均速度は32.8km/hであったようです。
汽車は、横浜停車場に無事到着します。
…日本の鉄道の誕生と発展を記念して、現在、毎年10月14日は、『鉄道の日』となっているようです。
今回の記事は以上です。最後まで読んで頂きありがとうございました😊
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