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めっちゃ美味しいトーストと老後について

銀座みゆき館で大好きなメレンゲベースの和栗のモンブランを食べるべくランチをしたらミネストローネについてきたトーストがめちゃくちゃ美味しかった。
フワサクな厚手の食パンに甘い香りのバターが塗ってある。我が家も朝パン派だけれども一回たりともこんな素敵なパンを出したことはない。出してもらったこともない。マーガリン入りレーズンバターロールか、6枚切りの超熟を冷凍しといてチューブでバター1/3が関の山だ。

こんな美味いパンを毎日たべるにはどうしたらいいんだろう。多分今買ってるパンの何倍かの予算が要るし、フワサクに焼くには時間も技術も必要だ。…今の私には時間もお金も技術も何もない。
うーん、仕事をリタイヤしたらその時間は取れるのだろうか。いや、それだけじゃなくて子供が独立しないと無理だろうな。てことはあと15年以上かかるのか、それまでに好きなパンを買えるだけの蓄財もしなきゃいけない。道のりが厳しすぎる。

てゆうか老後。
意外と目の前なんだよね。先日一時的ではあるけど視界が急に欠ける事件があって、ああ自由に何でもできるのは当たり前じゃないんだ、と急に自分に残された時間をありありと感じてしまった。もう頑張ればどうにかなるフェーズは過ぎ去ってしまったんだ、動かない頭や身体をうまく使って楽しく生きていかないといけない。
もしも働くのが好きすぎる人間だったら、動く限りは働くのが良いのだろうけど私は生憎そういう性分を持ち合わせていない。あくせくするのも嫌いだ。可能な限りゆっくりまったり遊んで暮らしたい。そうなると蓄財と残存体力知力の最適バランスを探りながらパッと華麗に引退したいのだ。早ければお金が心許ないし逆にギリギリまで働いて気づいたら何もできなくなっていたというのも避けたい。

それって一体何歳くらいなのか。いや、そうじゃないな。

平均的な寿命で考えるのなら動けなくなる、考えられなくなるのは全然先のことだって思うけれども、もしかしたら文字通り明日倒れるかもしれない。その時「あー今日まで楽しく暮らしてきたからまあ明日からもうまく動けないけど楽しみを見つけて頑張ればいいや」と思えてこそ、なのだ。毎日毎日なんだか色々頑張ってるんだけどもしかしたら私は何かを履き違えてるかもしれない。毎日頑張るべきことは、楽しさやおもしろさの最大化への努力なのではないだろうか。

そんなこんなとりとめのない事を考えていたらモンブランはお皿からすっかり消えていた。
とりあえず今日はトーストもモンブランも美味しかったからヨシ!

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