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やりたいが先行してしまう”守破離”の行く末

 先日、自分が作った料理に対して周りがざわついた事件があった。

というのも、自分はいまシェアハウスで同居をしているのだが、そうなるとみんなのために料理をすることがある。その日は職場でカキフライを頂いたのでこれをたべよう ということで揚げ物をつくったのだが、どうにもこれだけではぱっとしない。何かサラダのようなものを添えられないか?と探していたのだけれど、そんなときに冷蔵庫にあったのが「雪菜」という野菜だった。

自分自身、雪菜という野菜にであったことがなかったのだが、調べてみるとほうれん草やこまつなの仲間であるらしい。自分の特質上、どうしても生で食べたかったので「雪菜 AND 生」で検索をしたところネット記事でヒットしたので、よしこれはいける ということで生で刻んで提供をした。そしたら周りがざわついた ということである。

言われたこととして「そもそもほうれん草類は茹でるなどの加熱をして食べるのが王道なのにどうしてそれをしないのか」というものだった。「守破離」でいう「守」をどうして大切にしないのか?という指摘なのだが、自分は「ネット検索でのヒット=守」というバイアスが無意識のうちにかかっていた。ネットには情報の真偽が定かではないにも関わらず、自分はネットの情報を完全に信用しきっていて、それを「守」としていたのだ。

守破離を大切にする。そのためのまず第一歩が「守」であり、つまるところ「良い型を知る」ということをどれだけできるか。自分の調べる力を高めていくこともそうだが、それよりも「良い型」を知っている人との関係性をどれだけ深められるか が今後重要な問いになってくる気がした。 


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