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自分と他者との認識の違いについて

ある朝、自分は寝坊をしてしまった。
いつもよりも1時間ほど遅く目覚めてしまい、起きた時には出社の時間をすぎてしまっていた。

目覚めた瞬間、目の前が一瞬真っ白になったが、もうどうしようもない ということで上司にすぐ電話し、15分後には出社をしていた。(ここは自分のちょっとした”成長ポイント”ではあるかもしれない)

出社後、上司からは「挽回しろよ」「寝坊した後は行動で見せろよ」という話をされたのだけれど、普段と同じ業務でミスのないように丁寧に行動をしていた。

すると、上司からは「舐めてるのか」という一言。
上司曰く、寝坊や何かのミスを挽回するための行動は普段の行動の質を高めるのはもちろんのこと、何か新しいことにチャレンジしていることを見せることが誠意である ということなのらしい。

なるほど、自分の頑張りと他者の考える頑張り というものには差分があり、他者の期待しているものに届く もしくはそれを超えていないと評価にはつながらない ということらしい。

正直、本業に加えて別のことをやっていたりするので、自分の中では「これ以上ないほど頑張っている(価値を出している)」のだけれど、本業の人からするとそれは全く関係のない話なのだ とハッとさせられた。

自分は今、大きな岐路に立っているのかもしれない。
本業と自分のやりたいことをどのように絡めていくのか。
まずは自分のやりたいことをもっと精度を高めていかないといけないし、その中で本業の業務とどのように調整していくのか、それを行うために社内の関係性を整えていく必要がある。

そのためには、どんなことをしてでも信用と信頼を獲得していかないとそれは土台無理な話で、それを獲得できるのはいつになるのだろうか、、、という不安感もある。

ただ、もう自分の中ではどうしたらいいのかということはすでに答えは出ているし、それを愚直にやっていくしかないんだよね ということでもある。

端的にいうと、本業もそれ以外もフルコミットするしかないし、そのためには周りの人の力を借りていくしかないんだということ。

そのために、自分の心身の健康を整えていく必要がある。
まとまりのないような話ではあるのだけれど、心身の健康のために、ルールを設けて自分を律して整えていく必要があるんだ ということを再確認した。

本日もよんでくれてありがとう。以下で自分の日記をシェア。

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