見出し画像

結婚8年目の妻(私)の言う「選挙があるね!」の軽さについて2

《7月8日am.》

 ここのところ悶々としてスマホで手軽に情報収集しては、インスタストーリーやTwitterにそんな自分を匂わせする日々である。堂々と「みんな選挙行こう」「〇〇に入れました」と発信している人達のかっこよさに魅せられているけど、いまはまだ小さな声で「私は…最近こう思ってるょ…」と自分のフォロワーという狭いコミュニティに向けて呟いてみるので顔真っ赤、精一杯といったところである。
 そんな小さな震え声であっても、私の発信に対して私の欲しい情報や共感や意見を貰えることがあって「意味なくないんだ」という実感を感じることができた。更に良かったことが昨日あって、夫と夫婦で選挙や政治の話しができたのだ。それが私にとって意義深く感じて、とても嬉しかったのでnoteを書こうと思った。

 少なくともついこないだまで、本当に政治や選挙なんか関心も知識もなくてそれを家で話題にすることなんて政治家のスキャンダルを報じるワイドショーに対して「ダメだな〜政治家って!!」と悪態つくだけの私だったのだ。結婚して8年そうだった妻が(普段から熱しやすく冷めやすい女とは言え)、突然「憲法改正についてどう思う、この政策いいと思わない、比例はこの党かこの党だよね」なんて言い出したら夫は普通に引いちゃうなと思った。性格的に現実主義で頭の良い人だし、会社員として日々経験を重ねながら家の生活のさまざまなことも私の代わりに考えて決めてくれている夫なので、政治にそんなに関心がなくても私よりも世間や社会について知っているはずで。そんな夫にも私は「選挙一緒に行こうネ」「最近チョット政治のこと勉強してるんだよネ」とボソボソ言うのが精一杯で、積極的なやり取りはできないままでいた。何でもかんでも語りたがり屋さん、話してわかってもらいたがり屋さんの私はいつもであれば「今日こんなの読んでさー!この人がこう言ってたのなるほどなって思ったんだよね!だからこれってこうらしいよ!私はこう思ったよ!」って0から10まで私がしゃべり倒し夫が「フーン」と聞くのが私たち夫婦のコミュニケーションのスタンダードのひとつでもあるのだけど、こと政治の話、選挙の話、最近興味のあるジェンダー格差やフェミニズムの話、そんなキーワードで夫にベラベラといつものようにまくし立てるにはやっぱり自分に自信がなくて、ここ最近は夜になると1人黙々とスマホで情報収集するばかりで過ごしていた。私の「匂わせインスタ」は夫も見ているはずなので、なんとなく私の考えてることは知ってるはず。いまはそれで一緒に選挙に行ってくれればそれだけでもいいかと思っていたのだった。

「俺も貴里がそうやって政治とか社会に興味を持つのはすごい良いことだと思うよ」
 子供たちが寝たあと、台所の片付けをしている夫と話していたら夫がそう言って、突然私に話しをするチャンスをくれたのだ。私は「今だ!」とここぞとばかりに拙いながらに最近見聞きしたことや思ったこと、関心があること、不安なことやわからないことなど話し出すことができた。私と夫は人間の種類がかけ離れてると言って良いほど価値観や性格考え方が真逆なので、そんなつもりはなくてもなんとなくディスカッションが盛り上がっていく。(夫も夫で語りたがり屋なのだ)

「俺が政治に興味持てないのは、やっぱり変えられないと思うからだよね。会社ですらさ上と下があってさ、例えば俺たちの世代が何か一つのことを変えようと声を上げたところでそれは会社の数%の意見でしかない、だから結局は何も変わらないわけで」
 夫らしい意見だなと思った。何も考えてないのとは違う。むしろ短絡的で何事も目先の情報に惑わされやすい私とは違い、夫は先を見通し物事の全体を見て物事を考えるタイプだし(私に言わせると若干現実的というか悲観的すぎる傾向があると思うが、私の楽観的傾向も極端なのでこれは私の主観)そんな夫の視点で政治を見れば「それが変わること」への絶望的な難しさ、意思の無力さに目が向いて、もう別にどうでも良いわとなるというのも理解できるのだ。

 自分の一票が無駄なんだというよりも、「その途方もなく大きななにか」を見て対してしまうと「それを良しとしない」という私たちの声がどんなに膨らもうが大きくなろうが、それは黒くて大きなマグロに挑む、スイミーと小さな魚の兄弟たちだ。絵本ではスイミー達はマグロを追い出したが、実際は。現実は。小さな魚達はやはり、大きなマグロに食べられてしまう。そのことを知っているから、夫は政治に関心を持てない。考えた上で、考えることをやめたのだった。

 それでも、私があーでねこーでねと言うことを何一つ否定せず「そういう考えもあるよね」と、それを「良いこと」だと肯定してくれるので、夫はよっぽと私のことが好きなのだなと思いながら、お互いの今の政治の見方を一通り話した所で「さーて見てみるか」と私がダイニングテーブルの隅に置いたままにしておいた「選挙公報」を夫が手にし目を通し始めた。私も隣になぜか神妙な顔して座り込み、夫の視線を追った。

 この人はジェンダー格差について言及してる、この人は子育て教育支援のこと共感できるけど他が私とは意見違くて微妙、この人とこの人はこんなこと言ってるから絶対入れたくないの。政策や政治力とか、中身ももちろん絶対大事だけど、男性中心社会を変えていく視点から女性の議席数増やすために女性に入れようっていう意見を目にして私はそれしてみようと思ってる。
 そんな風に、決めかねて思案途中である私の選挙観や候補者への印象をちょいちょい小出しで口出ししながら見ていると、夫の方も「なるほど、あーこれだめだね。これもなしだな。なんかそもそもわかりにくいよね。こんなんに書くのに(紙ペラの選挙公報のこと)限界があるってことなのかもしれんけど、みてもどれもピンとこんわ」と、見た印象を話しながらわかりにくさに言及したので、こんなのあるよと先日ネットで見つけて参考にしたJAPANCHOICEの投票ナビのページを夫に見せてみた。
 いくつかの質問に答えれば、自分の考えがどの政党の考え方に近いのかというのがチャートで表示されて見られるようになっている。ピッタリ合うことはなくても非常に分かりやすいし、考え方の方向性を定めるのにすごく私自身参考になったのだ。やってみると夫の一致率が高い政党は私のそれと同じだったのでへえ〜じゃあ夫と私はやっぱり考え方は近いんだな〜なんかちょっと安心〜と思ったのだけど、それに対しても夫は「でもこれどれ選んでもこの党(夫や私とは不一致の結果になったある党)とかに近いってなる質問、なくなかった?大丈夫?偏ってないの?」と私が疑いもしなかったことを言うので、(なるほど政治を取り巻くあらゆる活動がなぜか少し嘘くさく見えちゃうのって、そこにも必ず主観があってそういう視点があるからなのか。)(そしてそうやって色んな可能性に思いが至ると、結局何も信じられなくなって嫌気が刺してくるわけか。)と、選挙を盛り上げようと奮闘するあらゆる媒体についての一つの発見と、夫の性格への新たな理解を得た。

 あーだこーだ言ってそれぞれの答えだけには言及しないまま、そのあとも夫婦でそんなことを語り合った。立場が違えば政治に求めるものや社会の変わって欲しい場所というのは変わってくる。同じ家庭を営む夫と私にすら大きくないにしろ乖離は当然ある。
 私が見ていた所や私が大切だと主張したものが夫にとっては違っても、夫は否定せずに「なるほどな」「良いと思うよ」と頷いた。だから私も夫の話を素直に聞くことができたと思う。「そんなの私にはわからない、別にいい」と思うことが、夫にとっては大切だということがある。お互いが違うことを認め合いながら夫婦の方向性を押し引きし合って決めていく。その在り方は私なりの正しさに近くて、それは夫婦だけじゃない、あらゆる万物の関係性においてそうなんじゃないかと信じてる。

 選挙は日曜日、家族4人で行こうと決めている。ここまできてまだなお決断には至っていないものの、だいぶ自分の意思を絞り込めてきたとも思う。夫と結婚して良かったと改めて思った。私が政治や社会を語ることはすなわち無知を晒すことだったけど、それを笑わずに聞いてくれる人でよかった。
 夫婦のこの熱い夜の事を、私は忘れないだろうなと思う。


《安倍元首相銃撃のニュースを目にする前に書きました。ここから大きく気持ちが変わった事はありません。元首相が亡くなったから改めて選挙に行くんだと言う気持ちもつもりもなく、行く必要があると思っているから行くのだと思っています。ただ、在任中にあの方が行った様々な政策や活動、その尽力や功績には一切目もくれないで関心も持たずにきて、悪いことがありワイドショーで取り沙汰されたような時にだけ「ダメだこりゃあ」と知りもしないで批判して、そのくせに辞任した時や痛ましい出来事で落命されたと知った途端突然「いい人だった」「いい政治家だった」と失望感で悲しくなるような、そんな自分にガッカリしていて反省しています。この選挙が終わっても、知っていくことと考えることを辞めずに続けていきたいです。私と政治との関係性は、今この選挙のこの一票から始まって、これは死ぬまで続いて行くのだと言うことを肝に銘じた1日でした。
安倍晋三さんのご冥福をお祈りいたします。》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?