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意図しない行為は美しい

  「なるほどだなぁ」と心に焼き付いている言葉。「世の中で最も美しい行為は、目的意識なしで(それそのものを意図したわけではなくて)行われることが多い」というフレーズ。
 的確な喩えではないかも知れませんが、講演を聞きながらとか、コンサートの最中で、いつの間にか眠っていたという経験があると思います。このときの眠りは「寝ておかないと明日の仕事に差し支えるから、早く寝よう」という動機の眠りよりも、よほど気持ちのいい眠りだと思いませんか?
 要するに「○○のためにという目的なしに、知らず知らずのうちに○○になっていた」というのが、無理がなく、最高に素敵な行為なのです。
 別の例としては、歌手になって有名になってやろうと歌の練習をするよりも、好きな歌を毎日歌っていたら、いつの間にか歌手になっていた、というようなケース。もう一つ、人を励まし元気づけようと言ったアドバイスよりも、何気なくつぶやいた一言が相手の心に響き、人生を変えるきっかけになったというようなケースですね。
 
 このような事例に対して、ボランティアで小物を作ったり、料理をしたり、音楽をしたりしている人で、「みんなに喜んでもらえれば、それでいいんです」という人がいますが、これには若干の違和感を感じます。それは「人に喜ばれ賞賛されることが、自己の存在確認みたいになってしまっていて、それが叶わないと、きっと落ち込むのではないか」と思うからです。
 やはり「人に喜んでもらう」という目的が先にくるよりも「好きなことをやっていたら、いつの間にか人が集まってきて、その人たちも楽しんでいるみたいだ」というような雰囲気が自然で好きですね。
 さらに、これに関連して、次のような発言を耳にすることがあります。「ふだんから自然食品を食べたり、運動をして、体にいいことばかりやっているのに、どうして私がこんな病気に罹らなきゃいけないの!」。こういう嘆きや憤りが生じるのも「健康のために、体にいいから」という目的意識が強すぎることが一因ではないでしょうか?
 「好きだから食べている。気持ちがいいから体を動かしている」という動機(本人は、これが動機だとは思わないほど自然にやっている)のほうが、よほど健康的に優れている気がしますが、いかがでしょうか?

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