谷川俊太郎『二十億光年の孤独』論説文

  谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』は、六連十六行構成からなる口語自由詩である。第一、二連では「ときどき-欲しがったりする」の反復を用いて「人間」の欲と孤独を描写しており、第三、四連では孤独に存在していた欲を結び合わせて個人と人間社会との関わりを解き、第五、六連では漂浪する「人間」の欲しがりから生じる感情を個人の問題として帰結させている。

 本作では、天体を表す用語である「地球」「火星」「宇宙」「二十億光年」と、地球上にぽつんと存在する人類には大規模な言葉が用いられている。人類にとって地球は身近なもので、火星は果てしなく遠いもの。宇宙は言語化することすら難しい漠然とした「何か」である。本論では、この詩で用いられる大規模な言葉に注目し、表題にある「孤独」の読解を試みる。

 第一連にて人類は「小さな球」で衣食住を済ませていながら、「火星に仲間を欲しがったりする」とある。人類という大きな枠組みがその枠組みを保持し得る天体である「地球」にて衣食住をするのになんら不思議はないが、興味深い点は、あえて地球を「小さな」と修飾している点である。本来ならば一種族にとって充足たる生活空間を保っているのにも関わらず、地球を小さいと揶揄し、遥か遠方にある火星に仲間を追い求める。この自分の周囲に存在している物事より相手の周囲に存在している物事を欲する傾向から、人類の欲への渇きが伺える。

 第二連は、一見第一連と同じ体裁の構成を形どっているように見えるが、今度は人類という大きな存在ではなく、「僕」という人類の一部たる小さな存在が遠方ではなく身近に仲間を求めている。この逆説は、人類総体としては遠くのものを欲しがりつつも、個人単位では身近な問題の解決を求める「矛盾」により自己存在そのものの不安定さを脚色付けている。

 第三連では、それまでの流れを一つの理論として解くべく、地球と火星、個人と遠方の対比を「万有引力」と表している。物理法則を「欲の引き合い」の例とする作者の発想は星々と宇宙を主軸とした本作において、色形のない「欲」を論理として読者に認識させることを可能としている。また、この理論の説明に「ひき合う孤独の力」とあるのが、個人の力の儚さをより一層強める効果があるといえる。

 「宇宙はどんどん膨らんでゆく。」核家族社会の成立と技術の躍進により断片化した人類は二百五十万年の時を経て、再びひとつのネットワークを築いた。これまで人類が築いてきた歴史は土地との闘争であったが、多種多様な人々を繋ぐネットワークが構築された今、土地への束縛から人々はついに解放され、個人は真に自由を手に入れようとしている。しかし、束縛から解放されて帰属体を失った個人はあまりにも無防備で、大洋に浮く「孤独」な存在といえる。自分の存在、すなわち「地球」すら不安定であるのに火星や宇宙の広がりに思いを馳せる人間。ここから、自身の存在を確固たるものとしたいのに、自身とは離れた遠くのものを求めてしまう人間の不完全さを読み取ることができる。人類全体のとも個人のともとれる矛盾と危うさが醸し出す「孤独」を、作者である谷川は、大規模な言葉と小規模な言葉の対比を用いて、飽和状態にある私たち「個人」に問いかけたのではないだろうか。

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