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教育経済学と再現性の問題

 話題になっていたのでちょい噛みですが、いわゆる教育経済学の計量分析の方面で、大事な論文においていくつか再現性がねえんじゃねえのor傾向としてはあるけど因果推論としては甘かったんじゃねえのというのが出始めていて、近く結構な衝撃が起きるのではないかと思っています。

 一番面倒なのは教育投資を行ってきた家庭は子どもが高所得になる(子どもの資質にかかわらず教育投資で生涯所得は増やせる)vs知能が等しい双子が学歴に優劣がついても生涯所得に大きな差はない(FSIQが高さで生涯所得はほぼ収斂する)においては、まあ確かに教育投資をかけられるのはFSIQが高い親だからできることだというのもあるし、教育投資が所得割合において多い日本や中国の子どもを混ぜて比較するとモデルが崩壊するのも仕方がないので、結局はFSIQとoceanモデルにおける誠実性(Conscientiousness)が主要因じゃねえかという話になってしまいます。そりゃそうなんだけどさ。

 そうなると、行動遺伝学が教育経済学のメタになるんじゃなかろうかと。

 端的な話、児童福祉で教育データ利活用というのは私は賛成なのですが、ここで教育データから紐づいた子どもの情報をもとに親の資質や経済状態を「逆探知」するのはトートロジーだと言われるとまあそうなのかなとも思います。

 私もエッセイにしようかと思っていますが、おそらく、学校教育の現場で子どもの心の天気図をやっても(憲法問題は抜きにして)大したことは分からず、成績との関連を分析してもおそらく成績の側が遅行指数なので、これをインジケーターにしても親の病気や離婚ぐらいしか分からんのではないかとも感じます。

 そんなものを大金かけてデータ整備してダッシュボード化しても、費用対効果の面から問題であるばかりか研究倫理面での課題が大きく、デジタル庁はどう考えているのだろうというのはあります。

 また、成績が劣後している家庭を分析すると、教育ベンダーはよく理解をしているように単純に境界知能家庭が分かるだけです。そのままいくと、特に初等中等教育においては、教育に熱心ではない駄目な親から成績の悪い子どもが育つだけのことで、境界例があることが再確認されるだけだとも考えるわけですよ。

 これらは教育経済学的には不都合な現実なので、うっかり研究倫理ぶち抜いて悉皆データ使って教育データを多変量解析をすると、なんのことはない駄目な家庭の炙り出しがされるだけだという結論になりかねず、後から問題になるんだろうなあと。

 ここから優生学的なアプローチになるのだという話もあるみたいですが、それでも日本の公教育(の現場)の優秀さが改めて証明されるだけなのではないかと。ただ、そこから漏れるFSIQの高い子どもからすれば、いかに公教育を受けないか(特に都市部の公立中学校、高校への進学を避けるか)という結論しか導き出されなくなるので、あまりこっちの方面で教育データ利活用を進めるのは不都合な現実を再確認するだけになりそうです。アーメン。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント