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苦しさを越えて生きること、苦しさを抱えたままいきること

人生には数々の試練があるだろうけど、どのくらいの困難を乗り越えて行かなきゃいけないのかな?
自分自身がいわゆる「普通の」人ではないことは早くから感じていた。まず幼少期の自分については「トロイ子」だ。何をやるにもとろとろしてて、鈍臭く、理解もわるく、集団に馴染めず、よく泣いている。私3月生まれだしな。ハンディはあったよな。でも、それを上回る「トロさ」はあったように思う。理解の悪さや、体の動きの遅さとか。もちろんダメばかりじゃなくて得意なことはあったけど、あまり誇れるものでもなく。算数が特についていけなくて、ずいぶん長く指を使って計算していたと思う。
それでも私は今、それなりの「普通に見える」大人になって働いている。マックス時短を使って、仕事が終わらないとひーひー言いながらもやっとなんとかこなせている感じになってきた。時間が欲しい。仕事をする時間も、子どもたちに関わる時間も。私にとっては仕事も家庭もどちらも大事。どっちだって大事なんだよ。なので時短をとって、なんとかやめずに10年きた。中途採用の中年おばさんが爆誕してる。配慮のいる子どもを2人育てていて、配慮のいる夫と暮らしているという事情は福祉関連の職場では即座に受け入れてもらえて、マックス時短と仕事の減量をしてもらっている。ありがたい。感謝して回りたいが、そんなことは求められてないので、とりあえず、その分仕事をすることにした。全然終わらないけど…
終わらない仕事、苦手な内容、常に曖昧なことしか言わないジョブトレなど数々の困難を乗り越えて、今の私がいる。書類のケアレスミスは今も酷いけれど、初期の、あらゆる行にミスがあるという状態よりはマシになってきた。この人はそう言う人だと周りの認識も変わってきた。
もちろん、ミスしたらみんな優しく教えてくれる。私は淡々と直すだけだ。普通のことやと思うけど、中には怒っちゃう人もいるやろうから、恵まれてるなと感じる。

そこで、なんだか最近、少し人に対する見方が変わってきたような気がする。
正確には自分に対する捉え方が変わってきたのかもしれない…!
かつてはモヤモヤイライラを考えないようにして、別の行動に没頭して忘れようとしていた。編み物、読書、ネット漁り。それらは決して間違った方法じゃなかったその時は必要やったんやと思う。
去年がすっごくきつい一年だった。保育園の保護者会で最もきつい係のクジを引いてしまった。イライラを撒き散らしながら一年を過ごして、あぁ、これが管理職の辛さなんだなーと感じた。管理職にはなりたくない。けど一方で、係の仕事を通して他人に仕事をしてもらうことや、他人に指示待ちではなく自分の仕事として動いてもらうことの難しさと奥深さも感じた。自分じゃなくて人がどう変わっていくのかはとても興味がある。仕事の内容を理解できない人や、自分でどう動くべきか考えられない人にどう支援してあげたらいいのか、私はまだまだ未熟でつかみきれない。だけど、うまくフォローできるようになりたい…ような気もする。その人自身の能力の問題なのか、余裕の問題なのか、環境の問題なのか、こちらの伝え方の問題なのか、私や他との関係性の問題なのか…色んな方向から考えられると思う。
私はまだまだ自分のことでめいっぱなんだけど。管理職にはなりたくないくせに、いつかはそういう人たちを見守ったり、支えたり、導いたりしてみたい気もある。機会に恵まれたら感謝して頑張ろう。

さて、今はとにかく我が子のケアだ。思春期に入る長男。ピカピカの1年生の長女。課題はそれぞれだ。
最近ずっと登校の付き添いをしている。母としては最高学年となり班長として登校班をひっぱっていくはずが、おおよそリーダーに向いていない気質の長男と、やんちゃおてんばKYを体現した長女のどちらもが心配で付き添っている。けど、付き添う時はやはり6年生のそばにいるより1年生と手を繋ぐことが多くなってしまう。
思い出せば、長男が入学した時、登校班の付き添いなんて全くしなかったな…と。娘は不安を直球で表現し、不安がゆえにおてんばに動き回るけど、長男は全くと言っていいほど不安を見せなかった。
……いや、見せてた。多分、あれは不安だったのかもしれない。しばらくは緊張が続いたから淡々と過ごして夜はよく眠った。けど、1ヶ月経つと夜に泣くし、眠れないし…辛かったんやろうな。その時の私はその時の持てる力で対応したけれど、未熟だった。受け止めてあげられなくて、支えられなくてごめんね。
今もしょっちゅう近づいてきてちょっかいをだす長男。本当はひっつきたいんだろうな。

最近娘を抱きしめることが多くて、人ってあったかいな。ほっとするなって思った。あの小さかった長男もそれが欲しかったかもしれない。淡々飄々としててわからなかった。未熟なり。
きっと彼にはこれからもたくさん辛いことや悩みがあるだろう。もちろんいつでも助けるつもりでいるし、ずっと応援してる。だけど、最後は自分で乗り越えないといけないのだ。母ちゃんは肝心なところでは本当に役立たずなんだよな…

不惑に至ってもまだまだ惑い続けてる母ちゃんも、まだまだ人生が続いて、困難がやってくる。泣いても笑っても避けられない。でも、人生40年にしてやっと、不安は解消しなければならないという呪縛から逃れてきてる。不安は辛い。もちろん魔法のように消してしまいたいよ。だけど、どんなに向き合っても消えない。残念だけど、向き合えば付き合うほど沼にハマっていく。煮詰まってさらに濃度が高くなる…向き合うのがなんでもいいことだと思ってそうじゃないのかもしれない。不安だけど、私は私。不安があっても生きていける。不安はなくならない。ずっと私の中にある。それでもやっぱ私は私だ。
不安を抱えながらも私を保ちたい。

子ども服やポケモン・プリキュアの食玩を買います。あと、ねるねるねるね。