カメラ

「ねえ!こっち向いてよ」

「いやだ、どうせまたカメラこっち向けてるんでしょ!」

「それは…そうだけど…」

僕は彼女にカメラを奪われて手持ち無沙汰
まあそのカメラは元々彼女のものなんだけれど

「ちょっと来てよ、これ!きらきらしてる!宝石見つけちゃったかも!」

「あー…それただのガラスだと思うよ、触ったら怪我しちゃうから気をつけてね」

「ちぇっ、夢のないやつ」

そう言って彼女は海辺を歩いては立ち止まって、ファインダーを覗いてはシャッターを切ることを繰り返していた
それはまるで絵のようで

僕に会う前の彼女はモデルをやっていた
だから彼女が僕に写真を撮らせてくれない理由は単純に恥ずかしいだとかそういうところにあるのではない
彼女の左頬には今も消えない傷跡があるのだ

彼女は実家で虐待を受けていた
彼女は精神的虐待を受けていた
外傷も残らないそれはじわじわと彼女を苦しめた
それでも彼女は心の中だけは蝕まれないようにと静かに闘い続けて、
高校を卒業すると同時に実家を去った
それからはたとえ貧乏でも自由に暮らすことができた
全てが彼女には新鮮だった
憧れだったモデルを始めて努力を積み重ね、何とか仕事が軌道に乗り始めて、それまでとは打って変わって毎日忙しいけれど充実した日々を送るようになった
ある日、海外での仕事中、突然の連絡が入った

祖母の訃報

彼女の血縁者にはほとんど信頼できる人はいなかったが、祖母だけは優しい心の持ち主で彼女が実家を出るのにも手を貸してくれた
彼女は大慌てで日本に戻り、祖母に最期の感謝を伝えるため、覚悟を決めて実家を訪れた
しかし待っていたのは鬼の形相をした両親だった
それでも彼女は祖母を、大好きだった祖母を見送るために彼らに勇敢にも立ち向かった
彼女の両親は自分たちの支配下から逃れた彼女を憎んでいて
それで取っ組み合いになったときにつけられた傷だそうだ

[これが、わたしが始めて受けた暴力]

彼らが自分の娘がモデルをやっていたことを知っていたかどうかは定かではない
いや、きっと自分の娘が何をしているのかなんてのはどうだってよくて、
重要なのは支配しているかいないかということだけだったのだろう
それにしても、モデルでなくとも女性でなくとも、人の顔に傷をつけるなんて許されることじゃない

[わたしの顔から血が流れてるのに気づいたとき、あいつらなんて言ったと思う?おばあちゃんにこんな汚いもの見せられないってさ]

こうして彼女はモデル人生に自ら幕を引いた
そして今度は彼女自らカメラを手に取るようになった
その傷も過去も売ることだってできたけど彼女はモデルをやめてしまった

[ファインダーを覗いてみたらね、そこにわたしがいなくっても、幸せってのはたくさん転がってるの]

僕は顔に傷のない彼女を知らない
何度だって今のありのままの君を愛してると言っても、彼女はわかってるんだけどねと切なそうな顔で左下を向く
彼女が負っている傷は深く癒えない

#小説 #短編小説

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