第六章 愛

犬を連れているんだか、犬に連れられているんだか。引っ張られてるおばあちゃん。同様に、膨張した陰茎を女に握られて、男が散歩している。カップルがそう見えた。男が、楽しそうで、情けなく見えた。これは私の話だったか。私を見る私か。違うはずだが。
人生が、カチカチ小さく音を立てて逆回転するような感覚に襲われてのち、現実は不調のパソコンを通してみているようになった。ある時には私は強制シャットダウンのように眠りについたし、再起動のようにすぐに覚醒したりした。
ゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツゴツ。兵隊が来た。来る音。狂う音。バグかも。再起動しなきゃ。兵隊は誰が連れているのか。誰に連れられているのか。
かつてあったビッグバンの余波が今でも続いているせいで、時間というものは前にしか進まない。つまり、陰茎は前にしか伸びないし、陰茎を引いて歩く女は前方向にしか歩くことができないのだ。そんなことはどうでもいい。陰茎から裏返って身体がヴァニラ・アイスみたいに異空間へ行く。そこから世界は終わる。私に起こった逆回転の感覚は今思えば世界の終わりのはじまりの予兆のようなものだった。
まだ人類が言語を発明して間もない頃、ある男が、ある女にある感情を抱いた。彼は、その感情を忘れてしまわないようにそれに名前をつけることにした。下等生物である人間が感情に名前をつけるだと? 喜怒哀楽の他に何の言葉が必要か。神の真似事のつもりか? 神等は思った。
彼が命名したその名前は、瞬く間に人々の間に広まっていった。彼らにとってそれはあるあるであり、誰もが経験していたが、はっきりとなんなのかはわからないことだったので、彼らはその名前を重宝した。しかし、問題があった。ある者はその感情を陰茎の膨張と捉え、ある者は相手への服従と捉え、ある者は自己犠牲と捉えた。また、それを「恋」と翻訳する者や、ビジネスチャンスと捉え、新たな産業を企む者もいた。親戚の儲子ちゃんは両親からのお小遣いをそれだと思い込み、大学生時代はパパ活(アフター有り)、今では年収2000万の彼くんと結婚を前提に付き合っているらしい。
現代では人間の欲望と社会が結び付けられ、その感情はひとつの権力の道具のようになっている(のではないか)。国家や社会システムはそれ無しには成り立たない。が、今現在、それは、それ自体は、実際には存在しない。いや、これは私の感想だったか。なんかの脳のバグか。

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