日記(20220331)/英語の単位を落として留年した話

僕らは、三月のけたたましい陽気の中、14号館へと続くアスファルトの上を一列になって項垂れてゆっくりと歩いていた。僕ら、必修英語の単位を落として留年が確定した者ら、吸武、霧ヶ丘、僕の三人組は、TTに連れられた戦争捕虜のようだった。僕の手には、無いはずの鎖が実体として見えるような気がした。それは吸武と霧ヶ丘と僕を繋ぎ、TTがその末端を固く握っているのだった。そして慈悲深い太陽の下、陽の光が隅々にまで行き渡っているこの大学の中には、逃げられる場所はどこにもなかった。おそらく僕らの祖先、敗戦国の捕虜もこのようにして、太陽の下を歩かされたのだろうか。死んだ曽祖父に上の空で聞いた話がフラッシュバックし、一瞬TTは鼻の高い戦勝国の軍人に見えた。パリッとした白い襟を立てて僕らの先頭で鼻歌を歌いながら楽しげに歩く髭面の英語教師は、噂によれば必修英語の単位を落としても研究室に行き交渉すれば単位をくれるらしい。僕ら三人組はそれを信じ、文学部春季特別大会「日本人は何故英語ができないのか徹底討論!!」終わりの彼を捕まえたのだった。

───あの、すみませんT先生、相談があるのですが。
───ああ、君らのことなら把握しているよ。単位が欲しいのだろう?
英語教師は至極当然のごとく僕らを研究室に招いた。おそらく討論で自説を有利に展開できたであろうからか、彼は少し微笑していた。
その時、一年前の今頃、僕と同じように必修英語の単位を落とした経済学部のアニオタの先輩が、僕と同じように項垂れてTTの後を歩くのを見たのを思い出した。彼はその後TTの研究室から肛門をおさえて出てきた。当時その意味がわからなかったが、今になってようやくわかった。貞操を売る代わりに留年を免れるのではないか。おぼろげにその情景が浮かんでき、僕は気分が悪くなった。───僕らはこれから犯されるのだ!

TTの後に僕ら三人が続いて研究室に入ると、彼は何やら紙に筆記体の英語で住所と日付とメッセージを書き記し、三人に一枚ずつ渡した。そして微笑して言った。
───三月九日には成績がほんとうに確定してしまうので、それまでにね。
そして僕ら三人組は研究室を逃げるように出たのだった。

僕は、英語偏重教育に誰よりも違和を感じ、異議を申し立てる主体であり続ける僕は、当然の事ながらTTに渡された筆記体の英語の文など読めるはずもなかった。だからTOEIC560点の吸武が僕に解説してくれた。メッセージはTTの家に各自行くことであり、住所、在宅の日付と時間が書いてあったらしい。
───三月九日まであと一週間しかないじゃないか!そして日付は三月四日、五日、七日、八日の四日だけ。時間は十一時から十五時の間。僕らは話し合って、まず、四日に霧ヶ丘、五日に吸武が行くことになった。僕は彼らの反応を見て七日か八日に行くことにした。

六日、僕らは大学近くの喫茶店で待ち合わせた。霧ヶ丘は何やら落ち込んでいるようだった。吸武は遅刻していた。───留年が決まったんだ。霧ヶ丘は震える声で言った。あの教師、どういうつもりなのかわからない。どうしようもなかった! 僕は顔がタイプじゃないからダメと言われてしまった! 霧ヶ丘は一息でそう言うと、一言もしゃべらなくなってしまった。僕は少しイライラしていた。これでは何もわからなかったからだ。結局、吸武は来なかった。その日、僕ら二人は黙ってコーヒーを啜り続けた。

翌朝、吸武からLINEが来ていた。
「お前も早く喪失を経験すべきだ 」
「俺はこれからGとして生きていくことにしたんだ 」
「Gの権利を拡大する運動にも参加するよ」
「女も必要ない」
「それ以上の快楽が手に入ったんだ」
「留年も回避した」
「すべての歯車がうまく回って新しい人生が始まったんだ」
僕はそっとスマホを閉じた。

四月、僕はまた昨年と同じ授業の教室にいた。霧ヶ丘は中退、吸武は四年に進級した。

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