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境界線 第五話

【これまでのストーリー】

「やめろ! やめてくれ!!」
 丸メガネの悲鳴が家中に響き渡る。もみじが駆け付けると、丸メガネが玄関まで後ずさりしていた。そこにマキビがゆっくりと丸メガネに近づいていく。その姿に理性は見受けられず、殺気だけがひしひしと伝わってきた。地下室のドアは鍵が壊され、結界も破られていた。
 マキビは丸メガネの首を両手でがっつり掴み込んだ。鋭い爪が首の皮膚に食い込んでいる。丸メガネはじたばたしてマキビの手を離そうとした。しかし、丸メガネが暴れる度に爪が皮膚を食い込んでいく。もみじは急いで魔導書を開き、詠唱した。もみじの詠唱でマキビの動きは止まり、そのスキに顔にペンタクルを貼った。もみじは再び詠唱し始め、マキビの動きをコントロールした。マキビはその足で地下室へ降り、そのまま室内へと消えていった。もみじは丸メガネの元へ駆け寄った。
「丸メガネさん、大丈夫ですか?」
「え、えぇ…それより、買ってきましたよ」
 丸メガネは床に置かれたレジ袋に視線を向けた。それをもみじが手に取ると、中にはLED電球が入っていた。
「これで、化物を退治できるんですよね」
「はい、ありがとうございます…って、それよりも、陽芽ちゃんの様子がおかしいんです」
 もみじは陽芽のことを丸メガネに報告した。それを聞いた丸メガネは顔色を変えてすぐに二階へ飛び上がった。陽芽に関しては実の親に任せて、自身は再び地下室へ潜り込んだ。

 地下室のドアを閉めるや否や、もみじは早速収納ボックスをハシゴ代わりにして電球を取り替えた。マキビのペンタクルは剥がれていない。何も動かず、仁王立ちの状態で意識を失っている。作業が完了して、地下室の電気スイッチを押す。あれだけ暗かった地下室が電球によってパッと明るく照らされた。
 もみじはドアに結界術式を書いたメモ用紙を貼り付け、マキビのペンタクルを剥がした。その途端、マキビはかっと目を見開き、もみじをジロリと睨みつけた。負けじともみじもガンを飛ばす。
「何故にドアを壊したし!? というかよく結界破れたな!!」
「お前がチンタラしてるからだろ。クソ薄い結界敷きやがって…」
 マキビはそう言って、もみじがハシゴ代わりに使っていた収納ボックスに再び座り込んだ。
「で? いつ俺を退治するんだ? "退治屋"さんよ」
今すぐ・・・にやりたいけど、話はまだ途中だったから、それ聞いてからにする」
「どこまでチンタラするつもりなんだよ。やっぱり、相当使えないんだな、お前」
「またそんなこと言って! だいたいさっきから意味分かんないんだけど!! あんた、丸メガネさんとどういう関係なの? その割には何も教えないあたり、絶対何か関係あるって」
「少し黙れ」
 マキビは血が通っていない手でもみじの口を塞いだ。不自然な冷たさと血腥い匂いがもみじの体調を狂わせる。耳をすませてみると、コツ…コツ…と、足音が聞こえる。もみじは天性の気配察知で、それが誰の足音か見当が付いた。
(陽芽ちゃん…? 大丈夫だったんだ…)
 もみじは陽芽が何事もなかったようでホッと胸を撫で下ろしたが、気配の中に熱く怒っている殺気がドロドロに出ているような感覚を覚えた。人間の気配は丸メガネしか感じられない。しかしそこに陽芽もいる。だが、"人間としての陽芽"の気配はそこにはなかった。
 気配察知で分かる限り、地下室の外にいるのは人間一人と化物一体。それも、理性を無くしたマキビ以上に獰猛な殺気が地下に漏れ出ている。しかし、もみじが陽芽と接触した時は、化物の匂いを全く感じることはなかった。
 イチかバチか、その口を塞いでいるマキビの手を握って、もみじは魔導書を開いた。右手には魔導書のページ、左手にはマキビの手―それぞれに意識を向け、目を閉じた。

 実験器具が数多く並んでいる。その隣には、手術台が一台置かれていた。台には12歳くらいの女の子が横たわっている。たくさんの点滴に繋がれ、眠っている状態だ。そこに白衣姿の男性が二人現れた。一人は背が高く、もう一人はメガネをかけていた。後ろ姿しか見えず、何をしているかは分からない。
真備まきびくん、本当にこれで良くなるのかい?」
「はい、鳥井とりい先生。DNA配列はこれで合っているので、あとは本人・・の適合次第です」
「うーん…でも、リスクが高すぎないか? 血液錠剤だって、そんなに数を作ることはできないんだぞ」
「心配なさらず。血液錠剤は僕のほうで用意しました。これなら、しばらく凶暴化を抑えられます。それに、お互いWin-Winではないですか?」
「まさか副作用がこんなことになるなんて…責任は取ってくれるんだろうね?」
「どうでしょうね。少なくとも、あの子の望み通りにはしましたよ…」
 背が高い研究者はそう言うと、手術台を後にした。置き去りにされた研究者は少女を前にして、ひとりでむせび泣いていた。

 もみじはゆっくりと目を開けた。一旦魔導書を閉じ、ポケットからスマホを取り出す。陽芽から送られてきた写真をもう一度見てみる。目を閉じて見えた光景の男性研究者は写真に映っている"真備浩介"と同じ顔をしていた。
 マキビの手はほんの少し脱力していた。もみじは塞いでいる手を退けて、その場を離れて地下室から出ようとした。ドアノブに手を伸ばした矢先、背後から聞こえてくるはずのない水音が聞こえた。振り返ってみると、マキビが自らの右腕を噛み啜っていた。化物の本能に逆らっているのか、自らの血肉の味を求めているのかまでは、分からなかった。もみじはバックパックからオブラートを取り出して"術式"を記した。それをクシャクシャに丸めると、血まみれになったマキビの口に放り込んだ。
「…もういいよ。全部分かったから」
 もみじはそう言って、改めて地下室のドアノブに手を伸ばした。マキビの右腕は赤い歯形がくっきりと残っていた。

 地下室を出ると、丸メガネはソファに力なく座っていた。もみじが出てきた時、条件反射的にソファから立ち上がる。

 もみじは丸メガネに宣告した。

「化物を退治する前に、ひとつやることがあります。それには丸メガネさんの協力が不可欠です。といっても、これを飲んでもらうだけなんですけど」

 もみじの右掌には先程丸めたオブラートが添えられていた。丸メガネは恐る恐るそれを口に入れる。飲み込んだ瞬間、突然丸メガネの身体が震え出し、その場にしゃがみ込んでしまった。息は猛烈に乱れ、額から脂汗が滲み出ている。
「桐山さん…これは、一体…」
 もみじは丸メガネの問いかけに答えた。
「地下室の化物の記憶を収めたものです。頭の中には、横たわった陽芽ちゃんを前に同僚さんと話しているあなたが映っているはずです」
 もみじはさらに続ける。
「結局地下室の化物は、化物じゃなかったんです。でも、この家の中に"脅威生物たおすべきもの"はいます。それを今から証明しますね」
 魔導書を両手に取り、開けっ放しの地下室に身体を向ける。もみじは書の中身を朗読しながら、一歩ずつ、その足を進めた。
 リビングの窓から西日が燦々と降り注いでいる。地下室の灯りが白く輝き始めた。地上と地下の"光"は、もみじの詠唱によって白く輝きながら同化し、空間全体を覆った。一瞬ではあったが、もみじの周りから全ての音が消えた。どこからか断末魔が聞こえたが、それも一瞬のうちに消えた。

 丸メガネには何が起きているのかさっぱり分からなかった。派遣された"退治屋"が古びた書物を見ながら奇声を上げている。結局、電球を取り替えさせられたのと謎の物体を飲まされただけで、退治っぽいことは何ひとつされていない。先程飲まされたものは一体何だったのだろうか、と、ふと気になった。口に入れた瞬間、見たくもない光景が頭の中を駆け巡った感覚がした。
 クラウドソーシングサービスなだけあって、我ながら偽物を掴まされたのだろうか、とも思った。今見たものは"幻覚"だったに違いない。口に入れてしまったのが残念極まりないが、きっと"退治屋"は同じものを複数所持しているはずだ。丸メガネはそう信じて、もみじに話しかけようとした。その矢先である。

「オイ、"退治屋"…これはどういうことだ…」

 丸メガネが悩まされた"化物マキビ"が、光に包まれたばかりの地下から這い出てきた。

【これからのストーリー】


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