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境界線 第四話

【これまでのストーリー】

「いやぁすみません…あまりにも怖すぎちゃって、桐山さんを置いてけぼりにしてしまいました。しかしさすがは"天才"と謳われているだけあって…」
 丸メガネはオーバーすぎるリアクションでもみじに平謝りした。もみじは一気にボルテージが上がって、大爆発を起こした。
「なんであたしを地下室に閉じ込めたんですか!! 幸い化物はおとなしかったですけど、万が一のことがあったらどうするつもりだったんです!? 下手すれば丸メガネさんたちにも危害が及んでたかもしれないんですよ!!」
「ですからそれは謝ります。すみません…それで結局、あの化物はどうなったんです? 退治できたんですよね?」
 丸メガネはもみじに中間報告を求めた。自分から話すと言ってしまったので、もみじは一度深呼吸して己を落ち着かせた。
「…化物は地下室に閉じ込めました。退治はまだしていません。強大な力を持ったタイプで、魔導書だけでは難しいですね」
「でもそれは、本ひとつで解決できるものではないんですか?」
「"魔導書"というのは、あくまで詠唱や術式が書かれてあるだけのもので、一種の道具術に過ぎないんです。書かれてある術式の中には道具を使ったものもあります」
「あの御札みたいなやつもそうなんですか?」
「ペンタクルシートね…あれなんて魔導書術の基礎ですから。マントラを唱えれば誰でも使えますよ。魔導書が読めれば・・・・・・・・ね」
「…なんか、私には難しい話ですね」
 丸メガネが困惑していると、もみじは皮肉交じりにこう言った。
「だからあたしはお金を取っているんです。そうそう、術式で思い出した…丸メガネさん、地下室の電球はしばらく交換していないんですよね?」
「えぇ…定期的に使うわけではありませんから」
「そうなんですね。今地下室は結界を張って閉じ込めさせているんですが、もっと弱らせるためには大量の光が必要になるんです。丸メガネさんが良ければ、化物を地上に出して日光で弱らせることができるんですけど」
「それはやめてください! 近所に知られたら何を言われるか…」
「そうですよね。ですが、今の地下室では化物を完全に退治することができません。必要なものがあるんです。分かりますよね?」
 もみじは丸メガネに詰め寄った。魔導書術で生み出す光だけでは、吸血鬼マキビを封じることはできない。最も、皮肉屋な彼の性格と時折出る獰猛さを考慮すると、弱らせることすら困難を極めそうな気もした。それでももみじは今受けている仕事を完遂したい。"退治屋"として来ている以上、マキビは封じなければならない。もみじは丸メガネにさらに圧をかけた。
「丸メガネさん、地下室の電球がほしいんです。できればLED。明るい光がないと退治することができません。ここになかったら、今すぐ買ってきてください。地下室で退治するには、それが必要です」
「もし、それがダメだったら…?」
「地上で退治するしかないですね」
 もみじがそう言うと、丸メガネは眉間にしわを寄せ、少し考えた。
「………分かりました。どちらにしろ、電球は今ないので買ってきます。結界を張っているから大丈夫ですよね」
 丸メガネは地下室に視線を送った。
「念の為、地下室全体と化物周辺に結界を張っています。二重にしているから大丈夫ですよ。でも、鍵は閉めたほうがいいですね」
 もみじは今しがた自分に行った閉じ込めをやるように提案した。何せ、相手は封印術が効かない吸血鬼だ。結界を破ることも容易い。丸メガネはもみじの提案に従い、地下室の鍵を閉めた。これで、完全にマキビを閉じ込めることに成功した。
「すいませんね…なんなら電球代は差し引きますから」
 もみじは軽く詫びを入れた。
「こちらこそ、先程はすみませんでした。あの…私が買い出しに行っている間、先に二つ目の依頼をやっていただきたいのですが、大丈夫でしょうか?」
 詳細が書かれていない"二つ目の依頼"。もみじはそれが何なのか、ずっと気になっていた。丸メガネは「説明をしたい」と言って、もみじを二階に案内した。

 もみじと丸メガネは二階のとある部屋の前にいた。丸メガネはドアをノックした。
陽芽ひなめ、入るよ」
 丸メガネは優しく声をかけた後、静かにドアを開けた。カーテンは閉め切っていて、とても暗い。ベッドに目をやると、先程紅茶を入れてくれた女の子がうつ伏せの状態でスマホをいじっていた。表情は相変わらずなく、言葉も発しなかった。
「改めて、娘の陽芽です。病気がちな故、普段は横になっていることが多いのですが、今日は体調が良いですね。先程、お茶も入れてくれましたし…実は次の春で進学先を決めなければならないのですが、ご覧の通りこういった感じでして…おかげで学校もろくに通えていないんです」
 陽芽もまた、マキビと同じように肌が青白く透き通っていた。目の下には隈ができている。丸メガネによると、以前は他の子同様に話ができていたが、数ヶ月前から急に喋らなくなったという。原因は分かっていない。月に一度、病院で診察を受けさせているが、症状が進み、今は訪問診療で経過観察をしているといった具合だ。
「学力に関しては通信教育を受けさせているのでさほど心配はしていません。先月の課題テストもそこそこできていたんですよ」
「はぁ…」
 もみじは思った。こんなこと、あたしなんかよりもっと専門的な機関に頼ればいいじゃないか、と。もみじはこの家に"退治屋"として来ている。確かにメッセージには"サービスの範疇外"とは書かれていたが、てっきり化物防止対策を施してほしいとかなどの類だとばかり思っていた。しかし蓋を開けてみれば、我が子の教育相談に乗ってほしさがあるように思えてならない。
 もみじは話を聞いているうちに、丸メガネの話が馬鹿馬鹿しく感じた。そんなことはつゆ知らず、丸メガネはマイペースに続ける。
「問題なのは陽芽のコミュニケーションなんです。高校に進学できたとしても、友達を作ることができなければもったいないでしょう?」
「まぁ、はい…そうですね…でも、本当にあたしでいいんですかね、話を聞いてる限り、別の機関に頼ったほうが」
「機関という機関にはこれまで何度も頼りました! それでも解決できないから、あなたにお願いしようとしているんです」
 すっかり教育パパモードとなってしまった丸メガネに、もみじはすっかり圧倒された。対照的に、陽芽は死んだような表情でスマホにかじりついている。
 丸メガネは続けた。
「桐山さん…あなたにもうひとつお願いしたいのは、"陽芽の話し相手"になっていただきたいんです」
「話し相手!?」
 想定外の依頼に、もみじは唖然とした。丸メガネは陽芽の様子を一瞬確認して、もみじに舌打ちした。
「陽芽はほとんど外に出ることがありません。学校でも"友達ができない"と悩んでいます。ですが、いきなり耐性なしに集団社会に放り込むとかえって危険でしょう? 大学生活に馴染めない学生を数人見てきたので分かるんですよ。親としてもこの事態はなんとかしたいと思っているんです。だから、比較的陽芽と年齢が近いあなたにお願いしたんです」
「いやだからあたしは"退治屋"であって…」
 丸メガネはもみじの訴えを遮る。
「とにかく! 陽芽、今日は"退治屋"の桐山もみじさんと話してみなさい。彼女は大学生でいろいろと慈悲深い人だから、きっと受け入れてくれると思うからね。桐山さん、陽芽をどうか他人に慣れさせてあげてください。私は電球を買いに行きますから、その間だけでいいです。どうか、よろしくお願いします」
 丸メガネは深く頭を下げた。もみじは少し考えた。ココデハナースは既に契約が成立している。どちらにせよ、フィードバックは提出しなければならない。契約内容と相違ないか報告するためだ。ひとつでも契約内容に相違があれば、事案の詳細の報告義務が求められる。サービス範疇外ではあれど、これを無碍にしてしまえば報酬は消えてしまう。
 引けに引けない―もみじは結論した。
「…分かりました。ただし、"買い出しから戻るまで"、ですよ?」
「ありがとうございます! では、よろしくお願いしますね!」
 丸メガネはそう言うと、電球を買いに外出した。

 それから、部屋は一気に静まり返ってしまった。地下室並に暗い室内も相まって、空気が一層重たく感じる。肝心の陽芽はベッドから出てこず、スマホばかりいじっている。相変わらず、顔の表情は無い。
 もみじはまたしても、何から話せばいいのか分からなかった。こういう時って、一体何から話せばいいのだろう。頭の中にはいくつか候補はあるにせよ、リアクションが薄い思春期女子を相手に話せることは限られてしまう。
 もみじが考えている話のネタは次の通りだ。まずは自己紹介。大学で心理学を学んでいる。恋人もいなければ友達もいない。入学してそこそこ経つが、授業がパッとしなくて退屈な日々を過ごしている。こんなハリのない学生生活を話しても、相手はげんなりするに決まっている。だからこれは自然とボツにした。次に考えているのは家業のこと。しかし、それを言ってしまえばまた丸メガネが下手なうんちくを披露するだろう。"嫌な黒歴史高校生退治屋"のことは本人が忘れてくれと願っても消えないのだ。だからこれもボツにした。そうなると、ココデハナースも自然とフェードアウトしていく。残っているのは趣味のことくらいだろうか。
 もみじの趣味はコンビニ通いだ。美味しい食べ物が何かしらあるし、毎週新商品が出るので飽きが来ない。普段外に出ることがない陽芽も、この話であれば興味を持ってくれるだろう。"退治屋"稼業で得た収入は生活費の一部となっている。だいたい仕事終わりには必ずコンビニへ寄るほどだ。
(地下室に張った結界のこともあるし、早いとこチャッチャと退治して、帰りたい…)
 もみじはそう思いながら、コンビニで買う食べ物を何にしようか考えていた。最近ずっとサンドイッチとサラダが続いたから、今日はおにぎりにしようか…いや、一仕事した後のアイスも嗜好だよな…スイーツも捨てがたい…そんなことを考えているうちに、建前より先に本音が口走った。

「なんでこんな面倒くさい依頼を引き受けちゃったかなぁ………あっ」
 依頼主の子供の前で失言してしまった。もみじは慌てて取り繕うと、精一杯の笑顔を作った。陽芽の顔色を伺うと、なんと無表情でもみじをガン見していた。
「いや…あの…つい口が滑ったというか…やっ、お父さんからお金を貰ってここに来てるからしょうがないことなんだけどさ…あたしこういうの、あんまり得意じゃないんだよね」
 もうコミュニケーションなんてどうでも良かった。もみじはある程度の踏ん切りを付けたのか、状況の立て直しを図り続けた。陽芽はだるそうに起き上がって、机の上にある小さな菓子箱を手に取り、ベッドに戻った。菓子箱の中身は赤いタブレットがたくさん入っていた。陽芽はそれをボリボリと食べ始め、感情がない瞳で、もみじの顔を凝視し続ける。
「いや、あの、陽芽ちゃんと話したくないってわけじゃないんだよ! これは本当!―陽芽ちゃんも困っちゃうよねぇ。お父さんが勝手に決めちゃうのも…それ、あたしも食べていい?」
 もみじは菓子箱に手を伸ばそうとすると、陽芽は自らの手でもみじの手をどかした。感情が全くない瞳で、もみじをジッと睨み付ける。
「ご、ごめんね」
 もみじはすぐに謝った。会話のキャッチボールとはよく言われたものだが、もみじはこんなもので本当に良いのか不安でしょうがなかった。心理学部の学生といっても、コミュニケーションが得意だとは限らない。それに加えて、もみじは典型的な話下手でもあった。今のもみじには、表情皆無の少女を相手にコミュニケーションを取ることで頭がいっぱいだった。化物退治?そんなのは結界を張っているからどうにでもなる。とにかく今は、会話をし続けなければならなかった。

 会話といえば、必ず口頭でコミュニケーションを取らなければならないルールなんてものはあるのだろうか?

 もみじはふと思った。改めて陽芽に目をやると、やっぱりスマホを持っている。丸メガネも「喋らなくなった」と言っていたし、無理に発声を求めなくてもいいのではないだろうかと考えた。

「LINE、交換しない?」

 もみじはスマホを取り出して陽芽に見せた。画面には、LINEのQRコードが表示されている。

「変に話そうとしても無理だろうから、まずはメッセージでやってみない? むしろあたしだけに話せるから、かなり楽だと思う。試しにスタンプとか投げてみてよ」

 もみじの提案に対し、陽芽は慣れた手付きでQRコードを読み取った。すぐに『ひなめさんから新着メッセージがあります』と通知が来た。通知をタップすると、小籠包をあしらったキャラクターのスタンプがLINEのメッセージ画面に送られていた。

『よろしくおねがいします』

 年相応の可愛いスタンプだった。このスタンプはもみじも使っている。クリエイターズスタンプで上位になっているキャラクターだ。
「友達登録、ありがとね」
 もみじは口頭で例を述べると、LINEでそのキャラクタースタンプを陽芽に送った。

『仲良くしようや…』

 陽芽はスマホを見て、一瞬ではあったが口元が少し緩み出した。それを見たもみじはホッとして、話を進めることにした。

「このスタンプ、あたしも好きだよ。可愛いよね」
 もみじがそう言うと、陽芽はまたしてもスタンプで『おもしろーい』と返信した。もみじはすっかり陽芽のセンスに脱帽した。
「めっちゃ可愛いじゃん! いいね陽芽ちゃん、超いいよ!」
 もみじは素直な気持ちで陽芽に声をかけると、LINEに文字メッセージが送られてきた。

『うれしい! ほめてくれたの、もみじさんがはじめて♡』
「そ、そう? お父さんは褒めそうだけど…」
 もみじは陽芽から送られた文章に若干戸惑った。
「お父さん、大学教授なんだよね?」
 もみじは丸メガネのことを尋ねると、陽芽からURLが送られてきた。『教育活動等情報_鳥井改』というPDFファイルだった。"鳥井改"は丸メガネの本名である。"食物摂取"について研究していて、国立のある研究所を経て現在はN大物理学部の准教授として勤務している、という内容が書かれていた。論文も定期的に発表していた。
 PDFを読んでいる途中、陽芽から新たにLINEが送られてきた。メッセージ画面を開いてみると、目一杯の笑顔をしている陽芽と白衣を着た若い男性の写真が送られていた。
『真備先生、すごく好き♡』
 無表情なのとは裏腹に、写真と文面で陽芽が好意を抱いているのがすぐに分かった。しかしもみじは"真備"という漢字が読めなかった。
「ま…まび…? 違う、どっかの市町村だ。なんだろ…まきび?」
『まきび』
 地下室に閉じ込めた化物と同じ名前―しかし、顔付きはてんで違う。眉毛の有無もあると思うが、一番違うのは目の作りだ。写真の真備はタレ目に対して、マキビはツリ目だ。
『真備先生、お父さんの同僚だった。よく病気のこと心配してくれる。お父さんはやさしいけど、話を聞いてくれない。でも真備先生はうちの話聞いてくれる』
「そうなんだ…」
 長いうんちくや他人の気も知らずに話を進めるところを見ると、そりゃ嫌になるよな…と、もみじは同情した。陽芽はこうも続ける。
『本当は学校行きたい。でも行けない。うちが弱いから』
「身体がってことだよね。でもあたしには、お父さんは陽芽ちゃんのことを大事に思っているように見えたけど…」
 もみじはそう言うと、陽芽は首を横に振って、さらに続けた。
『真備先生、学校に来てくれた。でもそれからは覚えてない。なんか、違うものがからだに入った気がする』
 陽芽はそのまま下を向いて、『真備先生にあいたい』『学校行きたい』『もみじさんたすけて』などの文言がもみじのLINEにたくさん送られてきた。メッセージの連投を見る度に、もみじは地下室にいる化物が陽芽が慕っている研究者と同じ名前だということを教えようとたまらなく思った。あの親子と真備という男性の間で何かが起こったとも思った。
 何となくもみじは、丸メガネの教育活動等情報を見返して見ることにした。研究実績を見てみると、ある共同研究の項目に目が止まった。

❝鳥井改、真備浩介(2018)『生肉摂取後における脅威生物の消化活動―タンパク質に着目して―』❞

N大学教育活動等情報「鳥井改」より抜粋

 脅威生物化物の研究―今日の化物退治を可能にしているのは、専門の研究者が四半世紀に渡って謎を追求してくれているに過ぎない。しかし、本当であればそれこそ丸メガネの専門分野であり、わざわざクラウドソーシングサービスを使って"退治屋"を呼ぶ必要はないはずだ。
 何か裏がある―もみじは確信して、陽芽に地下室の化物のことを話し始めた。
「あのさ陽芽ちゃん、お父さんから聞いてると思うんだけど…あの地下室のばけもの…」
 話し始めて間もなく、陽芽はそのまま布団の中に倒れてしまった。スマホはスルリと手から落ち、床に落ちた。
「陽芽ちゃん…?」
 もみじが駆け寄ろうとした時、今度は下から丸メガネの悲鳴が聞こえてきた。悲鳴と同時に、地下室の結界が破られていることを察知した。
 もみじはすぐに一階へ降り、地下室へ急いだ。

【これからのストーリー】


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