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境界線 第一話

 現実世界では「理性」というものに守られていて、そこから「偽の自分」を作り出す。
 それは時に追い詰め、時に惑わせ、時に喜び、時に涙す。
 ありふれた日常から己を磨き、まるでこれが「本当の自分」であるかのように夢を見る。

 もし「理性」のバリアが壊れてしまったら、「真の自分」を解放することはできるのだろうか?
 例えそれが「化物」だったならば、「真の自分」は封印せざるを得なくなるのだろうか?

 「化物」は「化物」であるほど、美しい。

「現在のサイエンスにおける、まぁある意味一番根本的な、根幹的な部分を占める学問のひとつとして”物理学”があるということは…」
 ”物理のカリスマ”によるオリエンテーションを、桐山きりやまもみじは重たい目でじっと見つめていた。
 適当に決めて入学した大学で適当に授業を選択した。教養科目は必須だったので、己の知識でなんとかなりそうな科目だけピックアップした。その結果がハズレだ。
「人に働く力を探してください……!! どうやって探すか…?」
 空気と人の接触面にも力がある。地球から重力が発生し、接触した時に力が発生するのが基本である。”カリスマ”はこの理論をやたら早口で捲し立てる。授業の熱量に反比例して、もみじの瞼の重さはごく自然的に閉じられていった。
 斜め上すぎた―と、思った。心の底から物理系科目を選んだことを後悔した。昔から勉強はできるほうだったが、人との相性で成績は大きく変化する。目の前にいる”カリスマ”はもみじと肌が合わない。直感的にそう思ったので、もみじはこの科目を"捨てる"ことにした。律儀に教授の話に耳を傾けるのが馬鹿らしく感じて、授業の残りは結局寝て過ごした。授業終了後、もみじは学生窓口に行って受講の取り消しを申請した。
 一体、何のために大学へ入ったのだろう。もみじは早く窮屈な学生生活を抜け出したかった。大学進学も「社会勉強のため」と家族が半ば強引に決めた。もみじ本人からすれば大きなお世話以外の何物でもなかった。

 桐山家の家業は"退治屋"だ。といっても、やっていることは害虫駆除と何ら変わりはない。
 学校では、明治中期から末期にかけて"人ならざる者"が現れた、と教わった。正式名称は"脅威生物"。何に対して脅威なのかは分からないが、簡単な話が化物の類だ。"退治屋"の駆除対象は専らそれである。
 彼らは人間の生き血を啜り、同胞の数を増やしていった。それは瞬く間に、風船のように世界各地でコミュニティが発生し、某国では"人ならざる者"しかいない集落もあったという。日本も同様に、彼らに苦しめられ続けた。しかし昭和に入ると、"人ならざる者"の中に人間同様の生活を望んでいる者が一定数存在することが判明した。そのため政府は、彼らにも人間同様の人権を与えることに決めた。
 しかし、生物的脅威であることは変わらないため、超法規的措置として"脅威生物駆除者"という資格を設けた。いわゆる"退治屋"の免許だ。

「脅威生物駆除者は、生命を脅かす可能性のある脅威生物に対して、速やかに退治しなければならない」

 "退治屋"の資格を取らされた時、真っ先に教えられたのがこの条文である。凶暴で危険な化物はこの手で始末しなければならない。例えそれが"脅威生物"に認定された人に対しても、である。
 そこで編み出されたのが"魔導書"を活用した退治術だ。古代メソポタミア文明から端を発したとされるが、技術を発展させたのは中世ヨーロッパの地である。弾圧され続けた歴史を持っているにも関わらず、皮肉にも現代においては化物退治で英雄扱いされるに至るのだから、人生何が起こるか分かったものではない。
 桐山家は"魔導書使いの一族"としてこれまで数多くの化物を退治した実績を持つ。もみじもまた、幼少期から魔導書を扱う修練を積み重ねてきた。もちろん、"脅威生物駆除者"の資格も取得済みだ。そして、わずか19歳にして"退治屋"の実績も少なからずある。だからこそ、もみじはそれ相応の社会性を持ち合わせていると自負していたし、"社会勉強"のために大学に行かせるという家族の結論も理解できなかった。
 社会勉強なんて"退治屋"の仕事で嫌というほどやっている。そうじゃなければ、"依頼"なんて来るはずがないのだから。

 もみじのスマホに、クラウドソーシングアプリの通知が一件入った。

『見積もり依頼をご確認ください』

 新たな"依頼"が舞い込んだ。アプリを開いて見てみると、以前メッセージで問い合わせをしてくれたユーザーから来たものだった。
 "退治屋"の業務形態に制限はない。条件は"脅威生物駆除者"の資格を明記することと、それに登録した名前で活動することだけ。もみじはあくびをしながら両手の指を交差して身体を伸ばした後、そのままキャンバスを後にした。

 もみじは"ココデハナース”というクラウドソーシングサービスを利用している。出品サービスは"化物退治"だ。
 ココデハナースでは、依頼者と直接接触しなければならない仕事の請け負いに特化したサービスを売り買いすることができる。その代わり、登録ユーザーはクライアント・ワーカー関係なくとても厳格なルールの下で取引をしなければならない。例えば、クライアントが出品サービスを購入しても、ワーカー側がアポイント日を設定してかつ双方がその場で運営に接触報告を行わなければ契約は成立しない。ココデハナースでは"会った!"というボタンがそれに当たる。GPSをオンにした上で行わなければならないため、それぞれ別の場所で"会った!"を押しても反映されることはない。一部では「位置情報を悪用している」という説がある。しかし、もみじからしてみれば、むしろそこまでしたほうが安心して利用できる気があった。
 依頼メッセージに記載されていた住所は高級住宅地だった。昭和中期の洋画に出てくるような、レンガ造りの三角屋根の家―誰が見ても、まさに豪邸そのものだった。依頼者のプロフィールには「男性、大学教授・研究職」とだけ記載されていた。ユーザー名は「丸メガネ」。アイコンも初期設定のままだったので、購入専用ユーザーだと思われる。

 ❝初めて購入させていただきます。以下の二つの依頼をお願いしたく存じます。

 ①我が家の地下室から原因不明の物音が聞こえてきます。一度入って様子を見てみたのですが、何か変なものが潜んでいる気がしてなりません。調べていただけますでしょうか。
 ②地下室の処置が終わったら、別件でご相談したいことがあります。出品サービスの範疇外だと考えられますので、お会いした際に直接お話できればと思います。

 桐山さまにお会いできること、とても楽しみにしております。よろしくお願いいたします。❞

「こんな依頼、本当にあたしでいいのかね…」
 もみじは依頼内容を見て、呆然とした。変な音がすればまずは警察に通報すれば良いものの、何故見ず知らずの"退治屋"に依頼しようと思ったのだろうか。完全な偏見だが、大学教授は一般常識を知らなすぎる人間が多い。"物理のカリスマ"にしろ何にしろ、世界は自分で回っているとでも思っているのだろうか。喉元から皮肉が出そうになったが、ひとまずインターホンを押すことにした。カメラに向かってもみじは言う。

「すいませーん、ココデハナースから来ました、桐山でーす」

 すぐドアが開いた。出迎えてくれたのは、丸メガネをかけた中年男性だった。肌が黄ばんでいて、少し痩せ細っている。
「あの…"丸メガネ"さん、ですか?」
 もみじが問いかけると、待ち焦がれていたのか目を大きく開いてこう言った。
「そうです、お待ちしておりました…! 中へどうぞ」
「お邪魔します」
 丸メガネに促されるがまま、もみじは家の中へ入った。

 外観と打って変わって、室内は少し狭く感じた。玄関に入ると壁全体に大きな時計が飾られていた。丸メガネによると、このタイプの時計はウォールクロックというもので、時計数字がそのまま壁掛けアイテムになるという。短針と長針しかない時計本体を中心に置くことで周りに数字を配置する―インテリア愛好家の間ではメジャーなアイテムなのだという。
「訳あって、今は娘と二人暮らしなんですよ。妻はインテリアが趣味でね、たまに顔出す度に面白い置物を買ってはウチに飾っているんです。私もよく妻と一緒に雑貨屋巡りに付き合わされましたですねぇ」
 置き場には国際色豊かな飾り物がびっしりと並んでいる。さらに上を見ると、変わった形をした照明器具が吊るされていた。一目見ると、草花がびっしりと積まれている。後で調べてみて分かったことだが、あの草花は耐熱加工が施されたドライフラワーだった。これもまた、インテリア愛好家の間で密かに人気があるらしい。
 もみじは違う世界の住人の家に来てしまったと思った。実家には、こじゃれたインテリアも緑豊かな装飾もない。あるのは大量の魔導書と長年使ってきた"退治屋"の道具だ。これがもし同級生の家だったとしたら、その子とは絶対仲良くなれないとも思った。
 珍品に目を奪われているうちに、もみじはいつの間にかリビングのソファに腰掛けていた。昼ドラでしか見たことがないような赤い模様のソファもまた、インテリア好きの妻が選んだものなのだろう。奥からショートヘアの女の子が二人分の紅茶を出してくれた。女の子の表情は全くなく、暗めの印象だった。もみじは会釈したが、女の子はそれを気にも止めず、そそくさとリビングを後にした。
 丸メガネは向こう隣のソファに腰掛けて紅茶を啜る。そのソファもまた同種類の珍品だった。もみじはココデハナースの画面を開いて、本題に入る。
「依頼メッセージ見ました。確認なんですけど、地下室をまず先にやってほしいということでいいんですよね?」
「はい。数ヶ月前から奇妙な音・・・・がするんです。地下室は物置として使っているんですが、普段はあまり出入りすることがないんです。あっても使わない物や大きい物を収納するくらいで…」
「最後に地下室に入った日とかは覚えてます?」
「丁度、音が出始めてから何回か入ったんですけど、その時は特に変わったことは見当たらなかったですねぇ…」
 丸メガネによると、音が鳴り出した翌日あたりに一度地下室の中を確かめたという。その後何回か入ったが、人の気配は全く感じなかった。最後に入ったのは一週間前で、その時に本当に音がするかどうか証拠を収めるために動画を撮影した。丸メガネはもみじにその動画を見せようと、テーブルにスマホを置いた。

 スマホには、地下室と思われる仄暗い空間が画面いっぱいに映し出されていた。動画撮影時は内蔵ライトをオンにしたため、どこに何があるのかは大方認識できた。地下室の入口は敢えて開けたというが、日光が完全に遮られている空間であるため日中でもそこそこの暗さだというのが伺える。地下室には大量のダンボール箱や収納ボックスが三段ほど積み重ねられており、どれも物が中に入っているような状態だった。
 カメラワークは序盤からゆっくり目にぐるりと室内を回る。時折、それが地面に落ちるものの、カメラはしっかりと地下室を映している。カメラが進む度、ドン…ドン…と壁か何かを叩いている音が聞こえた。さらに奥に進むと、細々とした物が入った数個のインナーボックスが無造作に床に置かれていた。
 そこから先は壁のようだった。音はだんだん小さくなっていって、やがて消えていった。壁付近に到達すると、カメラはまた一回りする。その後、再度行き止まり部分を映すと、部屋の角側に一瞬だけ小さな白い粒のようなものがピカっと光った。その瞬間、『うわっ!!』という声と共にカメラは後ずさった。
 程なくしてすぐ、カメラは天井と丸メガネの焦り顔を映して終わった。丸メガネによると、この時スマホを床に落としてしまったとのことだった。

「これ…警察には通報したんですか?」
 もみじはごく一般的な疑問を丸メガネにぶつけた。
「こういうのって普通警察に通報するものだと思うんですよね。いくらなんでも、地下室の異音を化物の仕業にしちゃうってのは…」
「警察には一度通報しましたよ。地下室も見てもらいました。その時は何もなかったんです。でも、その後もあったんですよ」
 心なしか、丸メガネの口調が感情的になっていた。今までの経験から察するに、依頼主が感情的になるのは本当に参っている時か依頼の先に不都合な真実がある時のどちらかである。しかしもみじはヒアリング時点で感情的にさせるのは賢明ではないと分かっていたので、丸メガネの話に耳を傾けることにした。

「そりゃあ、桐山さんがおっしゃるとおり、警察に通報しましたよ。それも翌日にねぇ…一回自分で確かめてみたのも束の間、やっぱり音はするんです。その時はおまわりさんが二人来ました。交互に入ってもらって隈なく見てもらったんですけど、何もないんです。二人とも『怪しい点は何一つなかった』って言って、すぐ帰っていきましたよ」
「そのために動画を撮ったんでしょう? 警察がダメなら、テレビなりYoutubeなりどこかしらに出せばよかったんじゃないですかね…」
「いやでも表に出しちゃうといろいろと特定されてしまうじゃないですか。さっきお茶出ししたの、ウチの娘なんですがね。来年中三になるんですが、身体が弱くてあまり学校に行けていないんです。ストレス耐性もそんなに強くないですし、万が一のことがあれば親族たちに申し訳が立たないんです…!!」
 丸メガネの焦りは本物だった。確かに、あの子には年齢相応の覇気が全くといっていいほど感じられなかった。家業柄、もみじは人の気配や感情に敏感に感じ取る特性を持っている。彼女は"生ける屍"のようだった。
 丸メガネはもみじを追撃するかのように、とあることを口にし始めた。
「私、依頼する前に桐山さんのことを検索したんですけど、桐山さんは"高校生退治屋"として名を馳せたそうですね。多感な時期にいくつもの修羅場を潜り抜けたのでしょう?」
 その仇名キャッチフレーズを聞いた瞬間、もみじの顔が引き攣った。

 "高校生退治屋"―もみじが資格を取った後、すぐに化物退治に連れ出されて経験を積まされた。それが地元の新聞に取り上げられて、やむを得ず家業に本腰を入れさせられる結果となってしまった。おかげで高校生活の三分の一は化物退治で潰れ、ドブのような青春を謳歌するハメになった。
 新聞に出たからといっても、心を許せる友人ができるわけでもなければ他人から一目置かれるわけでもない。もみじは地元でそれを嫌というほど味わった経験があるため、この仇名を好きになることはなかった。むしろ、黒歴史といっても良いくらいだ。
「今も学生さんですけど…十代後半から大変な経験をされていると知りまして、桐山さんにご依頼したんです。娘のこともありますし、そういうのには多少の理解がお有りだと思いますから…」
 丸メガネは落ち着きを取り戻したのか、口八丁手八丁でもみじの気を引こうとした。もみじはそんな丸メガネに根気負けして見積もり金額を提示する。依頼一つにつき三万円―今回は二つ分の依頼になるため六万円となった。
 もみじと丸メガネはそれぞれのスマホでココデハナースを開き、"会った!"ボタンをタップした。そして丸メガネは見積もりを確認した後、すぐに購入手続きを取った。

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