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境界線 第六話

【これまでのストーリー】

「お前…結局は何がしたかったんだ…」
 地下室の化物吸血鬼マキビは息を荒げながら西日が差すリビングにやってきた。そこら中の皮膚がドス黒く割れている。
「ひっ、ば、化物!!」
 丸メガネはソファに向かって後ずさりした。"退治対象"ではない可能性があるとはいえ、その怯え方は尋常じゃないくらいわざとらしかった。
「丸メガネさん、クサい芝居はもういいです。あたしはもう、分かっていますから」
「分かっているって、どういうことですか!?」
 丸メガネはソファの背面に隠れ込みながらもみじに問うた。丸メガネの問いに答えようと、もみじは魔導書から"術式"が書かれたオブラートを出して、二人に見せた。

「このオブラートには"とある人の記憶"が記録されています…"記憶"と"記録"って何か韻を踏んでいる感がありますよね。で、あたしがそれを"見て"、"術式"に収めたんですけど…これね、"普通の人間"が飲むと体調がアホみたいにおかしくなるんで、本来は"禁術"なんですよ。でも、そうまでしてやらないといけない理由がありました」
 そう言いながら、もみじはソファの背面にいる丸メガネの元へ駆け寄り、一つの質問を投げかけた。
「丸メガネさん…いや、鳥井改とりいあらた先生。あなたの頭の中で"見えたもの"を全部、あたしに教えてもらっていいですか? この記憶は、あなた・・・が一番知っているはずです」
 もみじに促された丸メガネは、観念したように隠れていたソファの後ろから身を現して、深呼吸した。

「あれは一昨年の夏のことでした。当時は陽芽の体調がとても良くて、毎日学校へ行っていました。クラスメイトと過ごすのが何よりも楽しくてたまらないんだと、私に教えてくれたものです。
 その日、私は前職で学会に出す論文の研究に勤しんでいました。確か、13時前でしたかね…学校から緊急の連絡が来たんです。内容は『校内に脅威生物が侵入して一斉下校になったから迎えに来て欲しい』というものでした。私は陽芽を迎えに車を走らせました。
 ですが、陽芽はそこにいなかったんです。車を降りて近くの先生に聞いたらば、『陽芽は化物に襲われて救急車で運ばれた』と言われました。事実、私の携帯には病院から何件もの着信が入っていました。
 処置が早かったのが幸運となって、幸い一命は取り留めました。ですがあれ以来、陽芽の体調が急激に悪化してしまったんです。最初は太陽を極端に怖がるようになりました。最初は日焼け止めクリームや帽子を被らせて登校させたのですが、それでも怖がってしまって…やがて、食欲も無くなり、陽芽の身体は次第にやせ細っていきました。
 そんな時、当時一緒に研究していた同僚が私に手を差し伸べてくれたんです。『ある治験に参加すれば陽芽の体調が良くなるかもしれない』と言われました。私は陽芽を彼がいるラボに連れて行きました。治験内容は『脅威生物DNAの移植』というものです。桐山さんはご存知かもしれませんが、脅威生物は医学的に秘められたポテンシャルを多く持っています。彼は陽芽に真摯に向き合ってくれて、陽芽もまた彼に心を許してくれました。私も毎日陽芽の顔を見に行ったものです。陽芽は『早く学校に行きたい』と私にせがんでいました。
 治験が終わる間際、同僚は私のラボに陽芽を連れて来てくれました。陽芽は気持ちよさそう寝ていました。個人の治験結果は秘匿事項にあたるので本来は教えられないそうですが、彼は私に結果を教えてくれました。"脅威生物DNA"は、ヒトの遺伝子と共存できる確率が50%といわれています。陽芽はその確率から外れ、『血液錠剤を毎日与え続けなければ、人間の姿はおろか、日常生活もままならないだろう』という結果に終わりました。
 桐山さんが"読み取った"のは、その時のことだったのでしょう? 私も同じ映像が頭の中に流れましたから。誠に信じられないことですが…」

「その同僚って、"真備浩介まきびこうすけ"さんのことですよね? 陽芽ちゃんと話した時、丁度その人の話題が出ました。命の恩人だそうで…」
 もみじは例の写真を丸メガネに見せた。
「はい。とっても良くしてくれたと、陽芽は感謝していました」
「文面から見てもかなり慕っているように感じました」
「そうですね…」
 丸メガネは懐かしげに写真を見つめた。もみじはマキビに『もう全部ネタバレするね』とアイコンタクトを取った。マキビは細長い瞳孔で二人の人間を冷たく見つめている。直射日光を避けるためか、身体は地下室のドア横にもたれかかっていた。化物は無言を貫いたが、もみじは教えることにした。
「あの、件の化物なんですけど、名前が"マキビ"って言うんです。写真の先生と今いる化物の顔を見比べても、同一人物だとは思えないんですけど…なんか、奇遇ですよね」
 もみじは室内で日除けをしているマキビを丸メガネの前に連れて来た。マキビは内心嫌がったが、もみじに何をされるか分かったものではないので、仕方なく日の光に晒すことにした。
 マキビは丸メガネの胸に爪を当て、冷たく言い放った。

「…"延命"を願ったのは、あんたの娘だけじゃない。それは、あんた自身もだろ。その意味、分かってるよな?」
「…今のウチの子は、"陽芽"なんかじゃない。"化物"だよ。陽芽は化物になりたくなかった!! 確かに助けは求めたが化物にしろとは言わなかっただろう!! 本当にどうしてくれるんだ!!! あの時『生活に支障はない』と言ったじゃないか!! それを無碍にした君こそが"化物"なんだろう!! 違うのか!?」
 丸メガネはマキビの胸ぐらを掴んで感情を爆発させ、泣きじゃくりながら訴え続けた。もみじは陽芽のメッセージの意味をようやく知ることができた。それを加味した上で二人のやり取りを見ていると、なんだかいたたまれない気持ちになった。
「私は陽芽のために全てを投げ売ってまで研究に全力を注いだ!! "延命を望んだのは二人とも"だって? 当たり前だろう!! リスクも承知の上で陽芽を託したんだ。今の陽芽が"生活に支障はないレベル"だということも分かっている。しかしね…君は加減を知らなすぎるんだ!!」
 もみじは丸メガネの爆発を、なんだか物悲しく感じてしまった。短い時間だったが、陽芽は至って普通の女の子の印象が強い。病弱なのと喋ることができないだけで、それ以外は本当にどこにでもいる思春期の女の子だ。決して"化物"なんかじゃない。
 それって、ある種のエゴなのではないか―もし自分がこういう親を持っていたとしたら、それはとても悲しく感じてしまうし何より距離を置きたくなる。

『お父さんはやさしいけど、話を聞いてくれない』

 陽芽から送られた文言がもみじの脳裏によぎる。
 もみじは居ても立っても居られなって、丸メガネとマキビの間に立とうとした。その時である。

 丸メガネが急に静かになった。もみじは片手で魔導書を開こうと構えたが、マキビに腕を掴まれすぐその場から離れさせられてしまった。丸メガネは口からどっと血を吐き出し、とうとう前のめりになってその場に倒れ込んだ。後ろ首に咀嚼の後が見られる。もみじが正面に視線を映すと、そこには陽芽が丸メガネの首肉を口に含んでいた。陽芽の全身は、実の父親の血液に染まっていた。

【これからのストーリー】


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