見出し画像

思い出した昔のこと

子ども達がまだ小さい頃に、私が一人で3人を育てる状況になった。
頼るのは故郷の親しかなかった。
結果として、故郷に帰らなかった理由のひとつとしてあるのは、母の言葉だった。

雨の日に、お前の子ども達だけが傘をさして歩いているは、かわいそうだ。

思いもしないことだった。

雨の日に傘をさして歩くのが不憫て、、。
当然、雨が降ったら傘さして歩いて登下校する。
そんな当たり前のことが、我が故郷ではいつの間にか当たり前ではなくなっていた。
雨が降ったら、車で送り迎えをする事が当たり前になっていた。
私が子どもの頃は,歩いて通った通学路なのに、子どもの足でも20分とかからない距離なのに。

私が子ども達と故郷に帰ったとして、その日常を頭の中でシュミレーションした時に、思い描くのが雨の日に傘をさして歩いている子ども達の姿。
私の両親は、車の免許を持っていなかったから、迎えに行けない。
子ども達が傘をさして歩いている姿を見る度に辛くなるのが、母には容易に想像出来たのだろう。

日常と日常を繋ぎ合わせて、紡いできた日々には、その場所にしかない暗黙のルールがあって、何も知らない者がその中に踏み込むのは、なかなか大変な事だと思う。
大した事じゃないと思っていても、その小さな出来事が、自分以外の人達を苦しめる事がある。
その苦しみを、私の親と子ども達が味わうのかと思ったら、私には踏み込む事が出来なかった。

故郷から離れた場所で、子ども達と暮らす。
子どもと私の家族会議でそう決めた。

あのね
こんな事を書くと私、すごく頑張ったエライ人みたいでしょ。
そんな事は全然なくて、、。
常に夏休みの最後の日みたいな感覚
うわぁ、宿題やってない
あれもこれもそれもしなくちゃ
間に合わない、どうしよう
と、追い立てられながら,過ぎて行った日々であった。
ひとりで背負うという感覚はまるでなくて
なんていうの
身から出た錆
自分のケツは自分で拭け?的な、全て今まで怠けていて、やってこなった事を、さあ、やりなさい!と宿題を積み上げられた感じ。
付き合わされた子ども達には、ほんとに申し訳ないと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?