見出し画像

私が作る世界

今の感情は今しかないのでここに書き留めることにします🌫


突然ですが私は小さいころフリフリのお洋服を着せられていました。 
母がフリフリの洋服が好きなので着ていました。

その頃はほんとに小さいころだったので自分の意志でこれがすき!!というのが特になかったです。

一か月に三回くらいメゾピアノに洋服を私と母とおばあちゃんと買いに行っていたらしく、お店の人にも「この服はきらりちゃんのためのものやね~」などと言われていたらしくきっとそういうこともあって小学生の頃にはもう洋服が大好きになっていました。

小学生の頃は自由帳に服のデザインを描きまくってました。その頃は小さいときにフリフリを着せられすぎていて逆に少しボーイッシュだったり、水色の服が好きだったのでランドセルも水色がよかったのですが母がメゾピアノのピンクのランドセルを買っていました。

それから私は小学生の頃からファッションデザイナーになりたくてずっと服飾の専門学校に行きたいと言っていて中学校も服飾の学校に行きたいと言っていました。そのくらい私はすごく服が大好きな女の子になっていました。

その頃から自分が頭で想像している服が子供服サイズでお店にないということが多く、ないなら自分で作ればいいんだと思い子供服のデザイナーになりたかったらしいです。

そして中学生の頃、雑誌を月に五冊位買って雑誌に書いてある文字を全部読んでいました。私にとって雑誌は小説同様でした。

高校受験では家庭科のある学校を受けましたが私はバカなので落ちました。家庭科の学校には行けなかったけど高校の頃から作品撮りをよくしていました。

体育祭の時は団のTシャツ作りのリーダーをしたりしていました。

そして高校卒業後ついにずっと行きたかった服飾の専門学校に通います。

今の学校の入学前に特待生受験があり私は高校で撮影した作品をプレゼンしました。初めてのプレゼンでした。

その作品がこちらです

この作品は私自身の高校生活での生きづらさ、存在価値、そういうわたしの心の奥底と向き合って作った作品です、

はじめてちゃんとテーマや内容を決めて作品を作ってめちゃくちゃ考えて考えすぎて病むくらい考えて作った作品で準特待生になれました。

はじめてわたしの作るものが認めて貰えた気がしました。

専門学校に通う事は小学生の頃から言っていた目標で
でもわたしの母はいざ専門学校に行きたいと高校のときに言うとめちゃくちゃ反対でした

こんなにも長い間夢見ている事でずっとやりたいと言っていたことなのにわかってもらえていなくて心の距離がその頃からできました

一時期半年くらい全く口を聞かない時期があったり家出したりする時期があって母が大嫌いでした

わたしの家庭は全然裕福じゃないしむしろちょっとお金ないのかなってくらいだから専門学校に通わせるお金が無いのだろうなというところでもあって、

でもわたしは服飾の事しか考えてなかったから他の選択肢なんてなくて親の意見に左右されずに絶対自分の選んだ道を生きたいってそのとき思いました。

結局学費を自分で返すなら行って良いとなって入学してからずっとそのお金を返し続けてます

よく学費返してっていうけど結局親が払ってくれるからっていう方がいますけど全然そんなんじゃないです

だからそんな発言二度としないで欲しい辛くなるので

そんなこんなで入学した専門学校はめちゃくちゃ楽しくて、高校生のときまでに出会ってた人たちとは比べ物にならないくらい考え方が合う人がいたりわたしのファッション、世界観をわかってくれる人がたくさんいてすごく生きやすかったです。

はじめはずっとファッションデザイン学科に入りたいと思っていたんですけど、スタイリストという職があることを知りわたしはスタイリスト学科に入りました。

初めてのスタジオでの撮影、はじめての講評、そういうはじめてが沢山でたくさんの刺激を受けました。

はじめての撮影はわたしはすごくいい出来これ以上ない!と思っていたけど今見たら全然そんな事ないしもっとテーマにあったスタイリングがあるしリサーチ力も全然ダメである意味成長したなぁと思うのですがそのときの講評の授業でわたしの作品に1票も票が入らなくてめちゃくち悔しい思いをしました。それで次の撮影は絶対絶対もっと上に行きたいと思って撮影に挑みました。

そしたら次の撮影ではめちゃくちゃ票を頂けて2位になりました、、ほんとにそのとき嬉しくて、、やっぱりわたしはこういう事が好きだずっとこれをしていたいって思いました。

その後もクラスで1位を取れたりわたしは順調に撮影が上手くなっていっているなあと1人で感じていました

入学したての頃は絶対スタイリストになる!!という気持ちでいたけど色んなものを見て逆になにがしたいかわからなくなってしまって1年目の秋頃わたしは無気力になってました

それは作品にも出ていて色々迷ってそうな未完成な出来でした

その頃はとくにしたい事がわからなくて、でも自分で学費を払ってるからちゃんと学校は行って何か見つかるかもしれないと思いながら学校とバイトの行き来をしてました

1年目の作品達がこちらです(撮影した順に載せてます)

↑POP ART

↑ファストファッションブランドで組んだ撮影

↑学校とIKEAのコラボ撮影

↑1年目カッティングエッジ 「NO COFFEE × スポーツエレガンス」

↑tofubeats×artist CDジャケット作り

↑episode styling

そして年越し2020年になりました
わたしは2020年ハタチにもなるしなにか新しいことをはじめたいと心に決めていましたでもそれがなんなのか全然見つからず途方に暮れていましたがミスiDに出ることを決意しました

そしてわたしのミスiDは今も続いておりファイナリストまで来ることができました

2020年においてミスiDはわたしの全ての言動力となりました

オリジナルブランドをはじめたこともミスiDのおかげだと思います

なにか新しいことを始めようと決めていたけれどこんなにも新しいことだらけな年になるなんて想像していませんでした

ミスiD期間は自分を魅せる期間だと思ったので自分に出来ることを死ぬほど探しましたそれが全部わたしの歴史となり形になりました

そして私らしさを追求するようになり去年より撮影も楽しかったです。

今年のわたしの作品達

↑¿Descuted? ワンシーズン目

↑stefan cooke styling

↑2年目カッティングエッジ 「touch to culture」

↑¿Descuted? 2シーズン目

↑sumin コラボ撮影

2年目の撮影データはすごくわたしの色が出ていてどれもめちゃくちゃ好きです全部いろんな私の感情考えが乗っていて大切です

今年はほんとに「きらりちゃんのスタイリングほんまに神」とか「またきらりちゃんにスタイリングしてもらいたい!」とか「この日のこれのスタイリングお願いしたい!」とかそういうわたしのスタイリングを求めてくれる言葉を沢山頂いてすごく嬉しかったです、、

まだみせられないけど初めてスタイリストとして読んで頂いた撮影があったりして密度の濃い日々を過ごしています。

その反面、時間とお金との戦いで去年よりバイトを入れて休みがほんとにほぼないのに新しく始めたことが多くてそっちにお金時間を使っていて去年より遊ぶ日も時間も圧倒的に少ないのにほんとに追いつかない状況です🥲

わたしの母はこういうことにもともと反対だったのでほんとに応援されていないしそういう事が目に見えてわかる出来事があると立ち直れないくらい涙が出るし苦しいし辞めてしまいたいって思う時もあるんですけど、でもそれよりも私の世界観を好きでいてくれる人たちの声とか自分が撮影を終えて作品をみたときの感情とかがそれに勝るのでずっとこういうことをしてほんとにこれを仕事にしたいってすごく思います

だから今までもそうやって生きてきたけど親の意見に左右されて生きるより自分の道を生きていきたいと強く思います

これだけ新しいことを初めて来たけどどうやって仕事に繋げていくかわたしはほんとに馬鹿なのでなかなかわからなくて最近ブランドビジネス系の勉強をはじめました

わたしはこの1年でほんとに沢山の人に出会って沢山嬉しい言葉助けの言葉をもらいました

最近はずっと将来どうしていくがに迷っていて心が弱くなる日が多くてそういうときに肯定しながらちゃんとアドバイスをくれる友達がいて

この間今の私の考えているブランドビジネスというかそういう話をしたときに
やっと自分で道を見つけられたならきらりはアホなんやから算数で例えたらアホは暗算じゃなくて筆算をしないと答えが出せへんかったりするやろ?だからそれを一つ一つ筆算していってこなしていって焦りながらも自分のペースで頑張ってるんやからそれを続けたらいいと思う
と言ってくれた人がいて

わたしはずっと自分が考えた道を最近は否定されてその意見が心に残っていたからそれをこういう風に言ってくれて自然と涙が出ました

わたしは自分よりがんばっている人はこの世界に山ほどいるからわたしのこの頑張りでしんどいって言うのはおこがましいと思うようになってしんどいって人に吐き出すことが昔よりめちゃくちゃ下手になっていてすごく色んなものがわたしの心に蓄積していて毎日涙が止まらなかったです

でもその友達は自分でがんばってるって言うのはただの自己満でまだまだ頑張ってないと思うけど人から言われる頑張ってるはほんまに頑張れてるんやと思うねんだからきらりは頑張ってるで と心を救ってくれました

他にも私のもっていない意見をくれる友達はいてその子たちの頑張っているのを見るとわたしももっと上にいかないとってすごく思うしそれを思うぶん何故か涙が出る時もあるけどでもわたしの周りの全ての人達がわたしの言動力にもなっていてわたしはいい環境にいるなと感じます

最近ずっとファイナリストになれたのでnoteを更新してこれからどうしたいかとかを述べたいと思っていたんですけど、こんな感じでずっと心と頭が荒れていてなにもまとまらなくて書き出しては消して、、の繰り返しだったんですがやっと文章がかけるくらいには収集がついた気がします

生きること働くことを選ぶこと人と関わること全部ほんとに難しいけどわたしはわたしなのでこれからもたくさん泣いて頭を悩ますんだろうけどここまでこれで生きてきたんだからずっとこれで生きて生きたいです

好きなことを仕事にすることに偏見を持つ人が減る世の中を私は望みます

長いのに沢山呼んでいただきありがとうございました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?