1月11日は、鏡開き&樽酒の日&塩の日&聖徳太子が冠位十二階の制度を制定&新百円札が発行
【鏡開き】
古来より神様へのお供えとして正月に飾られていた鏡餅を、雑煮やお汁粉などにして食べることで一家の円満を願う習わしで、1月11日に行われるのが慣例とされていました。
鏡餅を割る際には、刃物は切腹などを連想させてしまうため用いずに、手や木鎚で割ったり砕いたりするのが通例とされています。
餅を細かく分ける際には、切るという言葉を避け、開くという言葉の方が運が開けることを連想するので、縁起が良いとも言われています。
また、地域によっては、
主に1月4日:京都府近辺
1月15日〜20日:一部地域
など、鏡開きを行う日自体が異なっています。
加えて、割った鏡餅の開き方で占いをする地域もあり、鏡餅の開き具合(= 割れ具合)が多ければ多いほど、その年は豊作(≒ 良いことがある)とされています。
【樽酒の日】
1月11日は多くの地域で鏡開きの日とされていますが、餅だけでなく、樽酒などの瓶蓋(かめふた)を割って開けることも鏡開きということから、奈良県の長龍酒造が記念日に制定しています。
健康、幸福を祈願し、願いが成就するよう祈ったりすることに加えて、樽酒をふるまい、飲み交わす風習を、日本の文化として次の世代に伝えていきたいとの思いが込められています。
【塩の日】
永禄11年1月11日、甲斐(現:山梨県)の武将・武田信玄と交戦中だった、越後(現:新潟県)の武将・上杉謙信が、(内陸地に位置していた)武田氏への塩の物流を、(上杉氏を補佐すべく)今川氏や北条氏によって絶たれ、武田氏が困っていたことを知り、敵方にも関わらず、武田方に越後の塩を送ったとの逸話があり、この話が「敵に塩を送る」という言葉の元になったことから記念日が制定されています。
新暦:1569年2月6日。
近年の研究では、史実ではない可能性が高くなってきています。
戦場では敵であったとしても、戦い以外のことが原因で勝敗が決まるのは望むところではないとの趣旨の解釈がなされていますが、今日では、争っている相手でも争いの本質ではない部分に関しては弱みにつけこまず、援助を与える的な意味合いの言葉として使われています。
【聖徳太子が冠位十二階の制度を制定】
604年1月11日、聖徳太子(≒ 厩戸皇子)によって「冠位十二階」が制定されました。
旧暦:推古12年12月5日。
冠位十二階は、日本で初めての冠位・位階制度と目されていて、朝廷に仕える臣下を、徳、仁、礼、信、義、智の6階級に分け、さらにそれぞれを「大小」に分けた計12等級に分類し、地位を表す冠を授けたものでした。
《冠位十二階の意図》
冠位十二階は家柄等にこだわらず、特に貴族ではなくても有能な人間を確保することが目的とされています。
この制定により、それまで採用されていた「世襲制」を廃止していることからも、人材登用には尽力していたことが伺えます。
[外交使節への威儀]
当時、高句麗、新羅、百済などの近隣諸国では、すでに「官位制度」が敷かれていて、日本も法治国家であり、諸外国に遅れを取っていないことをアピールする狙いがあったとされています。
【新百円札が発行】
1930(昭和5)年1月11日、聖徳太子肖像の新百円札(乙号券)が発行されました。
表面に聖徳太子と夢殿、裏面に法隆寺が描かれていて、聖徳太子の肖像は、1953(昭和28)年12月1日に板垣退助氏を肖像とする、新百円札(B号券)が発行されるまで用いられていました。
《余談》
現在、仮に乙号券を所持していたとしても、当時はインフレ抑制のために紙幣が割と大量に発行されていたため、戦前の、しかも型の古い紙幣ながら、売却価値的なものはあまり期待できないどころか、買い取ってくれる古銭商自体がほとんどないそうです。
(以上、ネット検索より)
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