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4月5日は、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄氏がデビュー&イースター島が発見される&小笠原返還記念日&ヘアカットの日

【ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄氏がデビュー】

1958(昭和34)年4月5日、読売巨人軍の長嶋茂雄選手が開幕戦に先発出場し、プロ野球公式戦デビューを飾りました。

大学時代から注目を浴びていた長嶋選手のプロデビュー戦は、国鉄のエースとして活躍していた金田正一(まさいち)投手と対戦し、4打席4三振だったものの、その豪快なスイングは多くのファンの心を掴みました。

その後、4番サードの燃える男として、日本プロ野球で歴代通算本塁打記録を樹立した王貞治選手と共にON時代を築くなど、プロ野球界を牽引していく存在でした。

《長嶋茂雄伝説のごく一部》
・9シーズン連続日本一
・天覧試合での劇的サヨナラホームラン
・一塁踏み忘れによるホームラン取り消し
・魅せる守備
などなど、躍動感にあふれ、且つ天真爛漫な明るさと野球に対するひたむきな姿勢は、多くのファンを魅了し続けました。

また、引退セレモニーでの言葉「我が巨人軍は永久に不滅です」は、後世の語り草となっています。

そして、この日は、デビューの日として記念日に制定されていて、その年にデビューした各分野の新人にエールを送る日とされています。


【イースター島が発見される】

1722(享保7)年4月5日、オランダ海軍提督ヤコブ・ロッゲフェーン氏が航海中に「イースター島」を発見しました。

イースター島はチリ領の太平洋上に位置する火山島で、正式名は「Isla de Pascua(パスクア島)」です。

正式名に入っている「Pascua」は、スペイン語で「復活祭イースター」の意味で、島の発見日がたまたま復活祭(イースター)の日だったことに由来していて、日本でも英称のイースター島が一般的です。

イースター島は「モアイ像」が建つ島で、先住民による文明の跡が見られるも、モアイ像自体がどのような意図で、どのように造られたのかは、2020年代に入っても全くの謎とされています。


【小笠原返還記念日】

第二次世界大戦後の1952(昭和27)年に、サンフランシスコ講和条約が発効されたことによって、小笠原諸島はアメリカの施政権下に置かれていました。

が、1968(昭和43)年4月5日に、小笠原諸島を日本に返還する旨が記載された、「南方諸島及びその他の諸島に関する協定」が締結されたことにちなんで、記念日が設けられております。

実際に小笠原諸島が日本に返還されたのは、協定発効日となる同年6月26日のことです。

小笠原諸島は、1593(天正20)年に小笠原貞頼(さだより)が発見した島々で、東京都から南南東に約1,000kmの太平洋上に位置する、父島、母島、硫黄島、南鳥島など、約30の島々の総称です。

また、1875(明治8)年に日本の領有が確立していて、現在は、東京都特別区に位置づけられています。

加えて、2011(平成23)年には、ユネスコの世界遺産(自然遺産部門)に登録されていて、東京都初の世界遺産にして、2022(令和4)年末時点で、東京都唯一の自然遺産です。

《東京都の世界遺産》
小笠原諸島:世界自然遺産:2011(平成23)年登録
国立西洋美術館(ル・コルビュジエの建築作品):世界文化遺産:2016(平成28)年登録


【ヘアカットの日】

明治5年4月5日(新暦:1872年5月11日)、当時の東京府が、女子の断髪禁止令を発布したことにちなんで、記念日が設けられています。

前年の明治4年には、「散髪・脱刀勝手たるべし(意訳:髷を結わず、自由に散髪していいし、士族でも帯刀しなくていいというもので、身分ごとに決められていた髪型や服装など、江戸時代の型を撤廃した内容)との旨の「散髪脱刀令」が出されていて、男性はそれまでの丁髷(ちょんまげ)から、ざんぎり頭にすることが奨励されていました。

が、この発布を受けて、断髪をする女性が続出したため、男性に限って許可した断髪を、女性が真似てはならないとする禁止令が出るにまで至りました。

そのため、「ヘアカットの日」という記念日は、「女子の断髪禁止令に反対した女性たちのための日」との思いから制定されています。


(以上、ネット検索より)

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