たはむれに
昔の日本の教養について個人的に思うこと
どうも私です。
古い記事を整理したところ、
長年の糞詰まりがとれたようで
大変スッキリしました。
この度ご紹介いたしました動画は、
『陵王(或いは蘭陵王)』という舞楽の
フル演目のものでございます。
ご存知でしょうか。
私は元々、
舞楽自体にはそれほど興味がなく、
芸人の蚊に刺されあやこさんが
個人的に少し好きだから
やや知ってるという程度の認識ですが、
オカンの蔵書の源氏物語の漫画版経由で、
動画にございます舞楽の演目を知りました。
ちょうど源氏物語のエピソード内で
『陵王』が登場するシーンが
とてもえもかったもんですから、
微妙に興味を抱きはしたものの、
自分で調べて視聴する気には
なかなかなれずにいたところ、
たまたまYouTubeでおすすめされ、
視聴することと致しました。
いいですねえ。
大変結構な事でございます。
ですがコメント欄を読んで
幾つか気になった事があったので、
自分なりの意見をまとめようと思います。
何が気になったのかというと、
まず一つ目は、
おそらくは日本人が、
蘭陵王の成り立ちについて解説している
支那系のコメンターに噛み付いていた事です。
支那っていうのは、
中華人民共和国がある辺りの地域を指す言葉で、
チャイナのご語源でもあります。
日本の中国地方のことではありません。
ご存知ない方もいてるようなので、
念の為に軽く解説しました。
話を戻します。
理路整然と文章をまとめている相手に対し、
まるで『支那人が日本の文化を盗用するな』
と言わんばかりに噛み付いているコメントが
目立ったもんですから、
「それは違うぞ」と言いたくなったのです。
他に気になった点は、
日本の伝統文化がなぜ支那風なのか
というコメントも幾つか目についたので、
ご縁のある方にご参考いただければ幸いと、
この度拙文に意見を纏めることと致しました。
日本人から噛みつかれていたコメントは、
翻訳ツールを用いたのか、
やや不自然な日本語で
まとめられていたものの、
噛みつかれる筋合いのある文章だとは
私にはとても思えませんでした。
意見があるなら、
ただ頭ごなしに非難するのではなく、
知識が浅くてもいいから、
自分の言葉を理路整然と纏めてから
相手に伝えるべきではないでしょうか。
何が理由であっても、
誰かに対し頭ごなしに噛み付くのは
間違ってると思います。
皆さんはいかが思われますか。
『蘭陵王』に纏わるバックストーリーは元々、
舞楽が日本で親しまれるようになった頃か、
それ以前の日本が支那から取り入れた
古事成語が元となっているため、
演者の衣装等は古代の支那風です。
ウィ記事で恐縮ですが、
内容がわかりやすかったので、
よろしければ作品の解説としてご参考下さい。
蘭陵王に限らず、
舞楽の演目は古代の支那由来の古事成語を
元にしているものが多いばかりか、
当時の教養の軸は支那から流れてきたものを
学ぶことにあったのは事実なので、
楽器や音楽、文学や宗教などの学問も、
基本的に大陸(支那)由来である事もまた事実です。
そうなった背景には、
平安時代とされる頃の朝廷が
どこからきたのかという話にも関わります。
ですが、
こちらは公的な文書等を証拠として
提示する事が今の時点では非常に難しいため、
都市伝説的な話になってはしまいますが、
一応ネットでもいくつか情報が転がっている
事柄ではありますので、
ここでも少し触れることとします。
大した役に立たなかったら申し訳ありません。
日本の古文書として、
古事記や日本書紀は大変有名ですが、
これらは大和朝廷の権威を
盤石なものとするために、
朝廷の存在の基盤が日の本の伝統と歴史、
民族に根差したものだと証明しようという
朝廷の一存に依る試みの中で
編纂されたものなので、
『日本の通史の基となりうるのか?』
という問題がつきまといます。
なぜならば、
古事記に描かれている神話等は
元々土着民たちの伝承を寄せ集めたもので、
それらを元に初代の天皇までの系譜を作る事で、
天皇が神の子孫であるということを
こじつけようとしているきらいがあるからです。
少なくとも、そう解釈できる文献は
20〜30年前頃までは正史として
取り入れられていたようですが、
今は歴史が変わり、
どう解釈されているのかは存じません。
なおこの意見の裏付けとなる説は、
今のところほぼ全てが
都市伝説的な位置付けに落ち着き、
関連する情報を纏めることも
私の力ではままなりません。
そのため、
『信じるか信じないかはあなた次第』
という話にもなってしまいかねませんが…
そもそも大和朝廷が興るきっかけは、
大規模な渡来人集団の来日にありました。
その際来日した渡来人の一部が
日本に元々住んでいた人々と軽く争い、
勝利した渡来人グループにより、
大和朝廷は設置されるに至り、
その長を天皇(帝)として扱うようになったのです。
つまり、
大和朝廷は大陸から渡ってきた外国人が
日本に根ざした結果作られたもの
ということになるので、
『王朝文化』とも呼ばれる
平安時代とされる頃の文化の中枢は、
大陸由来のものであった…
ということにもなるのです。
その文化の中枢が支那風であるという事が
現存する伝統から明らかであるならば、
大和朝廷の祖は、
支那のどこかからやってきたか、
当時の支那の影響を受けた文化圏から
やってきたということになります。
かなりデリケートな話題ではありますが、
あえてざっくりはっきり申し上げると、
大和朝廷は日本の伝統の一部ではあるものの、
その成り立ちの基礎は日本にはない
という事です。
私は個人的に、
それでも文化的象徴として
大和朝廷が今の皇室に至るまで
守られてきた背景には、
日本人である私たちの祖先の
愛国の想いと願いがあったと思うので、
日本の文化の一部として
皇室を尊重することには賛成です。
ですが、
『その成り立ちが日本にはない』
という可能性を事実として受け入れた上で、
それを『穏便に守り続けてきた』
私達の祖先に敬意を表したいと思います。
とはいえ現時点では、
日本の歴史は次々ひっくり返っており、
何が正しいのかが
全くわからなくなってしまっているので、
私がここで申し上げたことは、
続々ひっくり返っている日本の歴史の
あくまでも一部の説にすぎません。
なので鵜呑みにして頂きたくはないのですが、
私としては、
王朝文化が栄えた時代に
大陸由来の渡来人の一派が築いた
朝廷の子孫や関係者が、
日本の歴史の一部として
自分達の文化を伝えようとした気持ちは
人として理解できるので、
そちらも尊重したいと思います。
要は、自分達の慣れ親しんだ文化を
新天地で子孫に伝えたかった。
ただそれだけだと思うんですよね。
わざわざ大挙を成し、現地人と戦までして
外国への定住を試みるくらいですから、
元いた場所には馴染めない
何かしらの理由があったのでしょう。
追放されたのかもしれません。
事実は定かではありませんが、
大和朝廷が渡来人の一派により作られたことと、
彼らが支那風の文化の継承を
重んじていたことは事実として明らかなので、
朝廷の由来がどこにあるのかも
見えてくる気がするのは面白いですね。
いずれ明らかになるでしょうが、
今のところは都市伝説の可能性がある
事柄なのは致し方ないでしょう。
ここまでの話をざっくり纏めると、
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①支那系(朝鮮系含む)渡来人が
朝廷の祖となった可能性が非常に高い。
②「①」を理由に、朝廷が栄えた
平安時代の文化教養の軸は支那風だった。
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ということになるんですが、
まず①についてさらに詳しく解説すると、
朝廷の祖となった可能性がある
支那系渡来人たちは、
あくまでも2000以上前の
支那系の文化の継承者である為、
現在の支那とは何の関わりもない
可能性も非常に高いです。
厳密にいうと、
中華人民共和国の首魁となっている民族と、
2000年以上前に日本に渡ってきた
支那系渡来人とは遺伝的にも
全く関係のない可能性が高い…ということです。
ですが来日した渡来人は大挙を成していたとはいえ、
あくまでも一部なため、
彼らが朝廷を介して日本に伝えた文化は、
今の支那にも残っている可能性は非常に高いです。
そのため、現代において中華人民共和国が
自国の文化として伝える様々な事柄と、
過去の日本の文化に共通点があることは
何もおかしなことではなく、
外交上の不利益にもならなければ、
日本人の価値を貶めるものでもありません。
これについては
以下の書籍で触れられているので、
よろしければご参考ください。
書籍で触れられている時代は近現代ですが、
現在の中華人民共和国の成り立ちについて
わかりやすく纏められているので、
知識の入り口としてお役に立てて
頂けるのではないかと存じます。
こちらもざっくりはっきり纏めて仕舞えば、
現在の皇室につながる大和朝廷の祖は
支那系(朝鮮系)渡来人である可能性が
非常に高いながらも、
彼らは現在の支那人や朝鮮人とは
全く繋がりがない可能性がある
…ということです。
これらを踏まえた上で私が
上記の動画のコメント欄で
気になった点をまとめますと、
支那系渡来人が祖となった可能性が高い
大和朝廷主体の文化が栄えた平安時代、
文化や教養の中心であるとされたものが
支那風である事は何もおかしなことではない。
それについて現代の支那の方が
自国で学べる歴史を元に
舞楽の元ネタを理路整然と解説するのもまた
何もおかしな事はない。
ということですね。
ここでご参考までに、
日本人が噛みついていた支那の方によるコメントを
本文だけご紹介します。
先述いたしましたとおり、
おそらく翻訳機を使って訳したものを
投稿なさったのだとは思いますが、
誰のことも貶してなどいないし、
ただ淡々と舞楽の元ネタについて
解説なさっていることが窺えると私は思いました。
だから、
おそらくは自国で学べる知識に基づいて
解説なさったのだろうと私は解釈したのですが、
きっとSNSなどを中心に流れている
日中関係に関する情報をバイアスに、
非難したくなる日本人が出てきたのでしょう。
その気持ちはわからなくはありませんが、
気に入らない相手に対し、
なぜ気に入らないのかの説明もできないのなら、
頭ごなしにその行動を非難する事は
ただ単に喧嘩を売るだけです。
今回取り上げた件については、
喧嘩を売られた側にしてみれば、
あくまでも個人が所有する情報を
淡々と感情を交えずに開示しただけで
そもそも喧嘩を売られる筋合いがないので、
噛み付いた側の印象をただ悪くしただけで
終わる可能性があります。
相手が『ガキ臭え日本人もいたもんだ』と
簡単に片付けてくれればいいのですが、
外国人である可能性が非常に高いため、
知り合いでも何でもない外国人との関わりの中で
個人が印象を悪くしたとしても、
そのイメージは、自分を貶めた相手が
どのコミュニティに属しているのかという
大雑把な括りと簡単に紐づいて、
コミュニティごと印象を悪くする可能性が高い。
つまりこの場合、
日本人そのものに対する特定の外国人の評価を
貶める可能性があるということです。
そうした一見すると個人間の
素朴なやりとりの積み重ねが、
この極度の情報化社会において
外交に直結する重大な問題になりかねないという事は、
今後の社会を理解し関わっていく上で
非常に重要な認識だと思うのですがいかがでしょうか。
争う必要のないところに
いちいち火種を植えてしまっては、
よくなるものは良くなりようもないし、
悪くなる必要のないことが
悪くなる可能性もあり非常に危険です。
あらゆるところにあらゆる情報が錯綜し、
自分なりの意見をまとめるのも
一苦労な世の中ですが、
だからこそ特定の情報に関する
安直な反応をダシに、
世論を操作される可能性もある事を
心の片隅にでも留めていただければ幸いです。