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映画「夏への扉」が予想とはちょっと違う方向でよかったのでその辺を書く

要約:

へんな神棚に祭り上げられてた原作を21世紀の価値観に耐えるところまでアップデートして「いやそうは言ってもこれくらいの話だからね?」というところに着地させたこぢんまり感が心地よい。でも映画館でこの映画をいま敢えて見る人ってどんな人なんだろう…

これを書いた人

ブラッドベリと筒井康隆に人生を狂わされたロートルSFヲタ。猫派だけど死ぬまでにもういっぺんくらいは犬を飼ってみたいと思ってる。ハインラインぢからはそれほどでもなくて「月無慈」「宇宙の兵士」「時の門」あたりは読んだけど「悪徳なんて怖くない」とか「愛に時間を」とかは未読。「夏への扉」は最初に読んだ時から主人公のリッキィ推しにドン引きしたタイプ。SFファンダムには足の爪先くらい浸した経験があるもののどうにもこうにも馴染めなくて若干の距離を置くようになり今に至る。山田正紀が好きだけどSF研では同意者に恵まれなかった。小松左京は永遠のグラビアアイドル枠。

感想(盛大にネタバレを含みます)とかその他

ここから先はネタバレとかあまり気にしない(というかどう考えても「古典」といっていい年代の作品なのでネタバラシは特に気にしなくていいと思ってる)のでそこだけご注意ください。警告はした。したからな


都内某所の劇場、昼12時半からの興業としてはそれなりに人が入っていた。6割くらい?どれくらいの割合がピュアに映画を見に来たのかはさておき。何割かは自分みたいに「おーしリアル10代んときに原作読んだ俺ちゃんが吟味してやっから覚悟しろ」的な不純な動機を抱えていたんじゃないかと邪推する。たぶん当たってる

開演1分で「3億円事件の犯人」が逮捕されている。「はい、これはあなた方(画面のこっち側の観客)の知ってる時間線とは違うところの話です」という分かりやすいシグナルなのでその後に出てくる「この時代では実現していない科学技術」がちらちら登場するところ含めてかなり落ち着いて見る気持ちになれた。

主人公の生い立ちが紹介される冒頭部分、この時点で既に原作とはいろいろ違う。ラノベとかでよく見る(というイメージのある)天涯孤独系主人公、養子に迎えられた先のロボット工学者(どんだけレアだよ)の家、義理の妹、そして捨て猫出自のピート。原作では猫ピートがどこから来たかについての記述はなかったな、そういえば。映画でピートは鞄の中から何度も顔を出してくる(かわいい)けど、この辺の演技はどうやったらつけられるんだろう?適度にブサ可愛いサバトラの猫ピートを見るだけでもこの映画を見る価値があると思う。さすがにジンジャーエール飲ませるシーンはなかったけど。

前半の山場、山﨑賢人が出来レースの臨時株主総会で身ぐるみ剥がれるシーン。どうなんだろ、これって議決権行使として成り立ってるのかな。原作読んだ時から釈然としなかったんだけど、映画だと山﨑賢人の株式譲渡もなんか曖昧で、どうなんだこれ?感が拭えない。原作でのベルポジションの女優さんとのキスシーンが長くて生々しかったのは良かった。理系男子()こういうのが好きなんでしょ?的な。とはいえ自暴自棄になった山﨑賢人がコールドスリープ保険(!)にすがりたくなる気持ちはよく分かる。保険会社の建屋は隈研吾のトラウマとも言われるM2ビル。今は葬祭会社が買い取って葬儀場として使ってるらしい。舞台装置としてはアリだと思う。

東京メモリードホール https://www.tokyo-memolead.co.jp/facility/tokyo.html

葬儀場=コールドスリープ保険企業!狙ってやったと思われても仕方ないナイスな取り合わせ。すばらしい。

原作で突然出てきた「ゾンビードラッグ」というご都合主義の権化みたいな薬の代わりに糖尿病用のインシュリンが主人公をぶっ倒すための小道具として使われる。これは面白い改変だと思った。

30年の時を超えて、2025年世界では人造人間が社会のあちこちで普通に稼働している。仮面ライダー01かよ。しかもネット接続してなくても自立稼働するって01のヒューマギアより性能高いぞこいつら。主人公は初めから人造人間を人間扱いする気ゼロで目玉ぐりぐりしながら「こっから情報取得してるんだよなー。赤外線?」とかぶつぶつ呟く。ここ*だけ*は技術者っぽくて良かった。シーンは少なかったけどモブ人造人間たちの「人間そっくりなんだけど、強烈な違和感がある」演技は良かった。あと主人公がヒューマギア・ピートを最後まで人間扱いしないのもいい。技術者はかくあるべし。梵天丸もまた。

原作からの逸脱シーケンス、人造人間ピート。藤木直人。「セリフ喋ってる時は一度もまばたきしない縛りを自分に課してた」そうで、人造感ハンパない。すごい。あー普通のコミュニケーションとか無理だよなーという雰囲気バリバリに漂わせつつ「ッチッ(舌打ち)面倒くせっ」とか、その辺の妙な人間臭さが面白かった。あとタイムリープシーケンスあたりから顕著になる山﨑賢人とのバディ感なんですかあれ。めっちゃエロいんですけど。男子トイレに2人で入って「上、脱いで」とか狙ってるでしょ監督。あとタイムマシンの「絶対踏み出しちゃいけない」ステージから落ちそうになる山﨑賢人を支えて2人して過去に飛ぶシーン。エロい。リッキィ要らない世界線ですねこれ。

2025年シーンはそれほど長くないのでボロが出にくい(酷い)。適度に「ちょっとだけ未来」感が出てて良かった。プラズマ蓄電池なんて技術が実用化されてたらもっと派手にいろいろ改変されてると思うけど、それはそれ。山﨑賢人がスマホの使い方を全く知らない演技をしてて面白かった。あと落ちぶれたベルの住まいはリアルな汚部屋描写が原作を超えてた。あれはヤバい。落ちぶれベルが色仕掛けとかしてこないところも原作を超えてる。

そう、今作の脚本は女性が手掛けておられて、そのせいもあって「SF好きの男性の妄想にならないように」(これはパンフで明言されてる)というバランス感覚が非常に良く機能してると思った。いや、日本のSF好き男子、みんな大いに自覚するべきだと思うんだけど君らのミソジニー臭やっばいから。加齢臭よりきっついから。大いに猛省すべき。そこいらへんをかなり努力して脱臭できてるところあたり、自分はこの映画に希望を見ました。これができれば日本SFも捨てたもんじゃない、まだ先に行ける。そんな気がしました。

戻った1995年。原田泰造が都合よく居合わせて都合よく弁理士で都合よくダミー社長に就任してくれる。なんだこれ。いや原作でもこの辺のご都合主義はヤバかったな。それにしても山﨑賢人、「あの、JW-CADないですか?」とかよく言わなかったな。1995年世界にJW-CADは無いんだ残念(初版が97年)。いや今ググったらAutoCADというソフトが1995年世界には既にあるはず。少なくともドラフター使って手で製図とか、きっとエンジニアなら「ないわー」と脳内で絶叫したことでしょう。しかも「藤木直人タイプに通じるロボットのプロトタイプ」と「プラズマ蓄電池の実用モデル」を1週間で手書きで設計するってどんな無理ゲーだよそれ。まあその辺は「寝ないで頑張りました」でいいのかな。いいんだろうな。本筋じゃないし。

タイムリープ(いつの間に「タイムトラベル」より「タイムリープ」って単語の方が一般的になったんでしょうね。細田監督版「時かけ」の偉大なる成果でしょうか)もののややこしさ、古くはBTTF第二部の分かりづらさは本作では「並行正解とか無いですから」理論で一蹴されてる。あと「山﨑賢人が乗ってきたトラックが山﨑賢人が昏倒しているにもかかわらず何者かによって運転されてる」「猫ピートがいつの間にかいなくなってる」あたりで「あー山﨑賢人、何らかの手段で過去へ飛んだな」ということが丸わかりな前半シーンの数々も自分は過剰な親切設計と受け取ったけどタイムトラベルものに慣れてない人には「驚きの伏線」と受け取られるのだろうか。この辺は見る人によって印象が違うだろうからなんとも言えない。自分は「親切すぎるだろこの伏線」と思ったけど、ダメなSFヲタの感想より脚本家さんのバランス感覚の方が正しい。きっと。

ラストのLiSAの歌の入り方は神ってると思いました。素晴らしい。LiSAの使い方としてパーフェクト。そしてリッキィの諦めの悪さ。思えば彼女は「自分が子供だということ」を山﨑賢人にまで繰り返し諭されてていい加減嫌んなったんでしょうね。その辺が割と丹念に描写されてたのは良かったと思います。ごめんなさい「おかえりモネ」見れてませんがいい朝ドラなんだろうな、ってのは確信できます。ただ山﨑賢人よ、リッキィの頭を撫でちゃだめだ、そこは撫でちゃダメだ。それは重大な解釈違いだ!原作を遠い昔に読んだおっさんは声を大にして言いたい。子供だからって頭撫でちゃダメなんだよあの作品では!なんでそこだけ外すかなあ。すごく残念。

全体としては非常に優れたバランス感覚の元、原作をうまく21世紀にアップデートした作品だと思いました。ただいかんせん話が地味すぎるので劇場にあえて足を運んでこの作品を選ぶ理由を訴求するのが難しい。高いですからね映画館。でも作り手の志は受け取りました。自分もピートならぬ自宅の駄猫といっしょに夏への扉をもういっぺん探します。あきらめなければ失敗じゃない!



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