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僕らはいつだって、不平等で不確かな夜を越えて「紫」

明日もきっと、僕は紫に依存しているのだろう。
僕にとって紫は、単に好きな色という意味で済まなくなってしまった。高貴で美しい色彩に惹かれている側面はあるが、服や小物は紫で揃えてばかりかと言われれば、言ってしまえば黒や臙脂の方が多い。「他人同士を結ぶ糸の色に望みを持つから、人間は絶望する生き物なんだよ」と僕に語った彼女の存在さえ無ければ、僕がここまで紫に縛られることもなかったのだろう。

昨年、学生時代の旧友と食事をした時に誕生日を祝われた。
友人が僕へ贈ったのは、MARILYN MONROEの紅い薔薇を模した入浴剤だった。男性である僕に何故そのようなものを選んだのか訊ねると、友人は「私にとって、貴方は紅い薔薇のような人」だからと気障なセリフを返された。さすがに頬が火照るフレーズだったけれど、僕は内心、友人の想いに手放しで大喜びしていたことを覚えている。

紅い人でありたかった。感情的で、衝動的で、人間臭さの抜けない、かくも滑稽で、かくも道化的で、博愛に満ちた人を目標として二十年を生きた。その結果として、僕は一友人から紅い薔薇を渡された。このギフトは紛れもなく僕が「紅」を完成させた証明になってくれたのだ。友人に一生分の礼を言って受け取ったプレゼントは、今も部屋の視認性が良い棚に飾り続けている。

しかし、生活には必ず波があって、「紅」の完成を嬉々としていた矢先、僕の人格、生き方を否定する人間が僕の眼前に現れてしまった。彼女は静寂に薄らと鳴る音を不気味だと惧れ、雨すら呑んでしまえるような脆弱さと繊細さを備える、喩えるなら、「藍」を彷彿とさせる人だった。
不思議なもので、紅い僕は彼女の対称に立っていたはずなのに、僕は彼女を一目見た刹那、もっと言えば対話が千切れることなく朝まで交わされた後、古くから知っている気がして堪らなくなった。まるで紅として育つことはなく、藍として育て上げられた僕自身を見ているよな錯覚に陥ったのだ。そんな人間は、これまで一人として出逢ったことはなかった。

それからは「藍」が「紅」を否定する日々が始まった。彼女は僕に「貴方の本質は藍だから、紅として生きることは自分の首を絞める。貴方を知らない他人が貴方に紅でいて欲しいと願うのを、貴方が探知してそう信じ込んで生きていただけなのよ」と言った。そんな淡く朧げな言葉を鵜呑みにした僕は、あろうことか、必死に培ってきた紅い自分にピリオドを打ち、藍い自分として生きていくことを強く誓った。彼女はそれを喜んでいたし、僕もそれが正しさだと、あの時分は信じて疑わなかった。 幸福の語尾を上手く撫でれた心地になって、酒を飲めば心地良く酔えた。

でもそれは、泡沫の浮遊感に過ぎず、僕が藍を目指すと彼女は同族嫌悪のような症状を発症し、僕の世界から途端に姿を消した。頭が白んでいく中で、状況を整理すると、僕が彼女の立場だったら同じことをしていただろうと腑に落ちてしまった。

完成した「紅」と、中途半端な「藍」の狭間で孤独に放り出された僕は、彷徨い、答えを見つける為に行きずりな色を試したり、より強固な赤を取り入れたりしたが、どれもピンと来ないままだった。
熟考の末、僕は一番大切だった紅と藍を一つの瓶に閉じ込めて眠ることにした。もう何も考えないと決めて目を閉じ、翌朝、瓶を覗くと、混ざり合うことが無かった二色が溶けあって、少しずつ「紫」になろうと奮闘していた。生命力のない、屍のような呼吸でただ、余生を飾るだけの色を懸命に産み出す対なる二色に、僕は泣いた。そこにあったからだ。僕の目指すべき色の正体が、紛れもなく「紫」であると気づいた瞬間だった。

それから数日、狂ったように紫を想い、紫の詩を綴り、紫を抱いて眠った。しっかりと混ざり合って、一色になるまで僕はこの瓶を温めてあげようと決めたのだ。 そして、古くから使用していたペンネームを変えることにした。 知人の現代文教諭が僕を想像し付けてくれた「春見」という苗字に、紫色が流る身体で「紫流」という名前。読み方は「かすみしえる」。霧が晴れた先には温かい世界が待っている、その場所へ辿り着く為に紫の流る身体を完成させようというのが表向きの意味だが、実際のところは「もう二度と春を見る事なく、死を得る人生であればそれでいい」というのが僕の解釈だった。これは決してネガティブなニュアンスではない。暗い言葉の羅列で一見するとそう見えるが、僕にとって「紫」になるということは、そういうことなのだから。

だから明日も、僕は紫に依存しているという確信があるのだ。
窓辺に置いた紫を育む瓶は、ラナンキュラスやリンドウを咲かせようと今夜も泣き続けているみたいに。


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