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41歳実家にかえる。

2018年、11月1日。
22年ぶりに故郷大阪の実家に帰って来ました。

両親とひとつ屋根の下に暮らすのは、実に30年ぶり。

12歳の時に登校拒否になり、それをきっかけに(って、本当はそれだけが原因じゃないんだろうけど)母が精神的に参ってしまい、祖母のところに預けられた私。なので、親と一緒に暮らしたのは12歳まで。

ハタチ過ぎには家出・勘当で関東に引っ越してしまったので、ほぼ30年ぶりに両親と同居です。

うちの両親は、同年代の平均的な状態と比べるとかなり老いているように思います。
父親は子供の頃からの持病をずっと持っているし、母親も精神的に不安定で足が悪いので歩くことがどんどん難しくなっています。
ほぼ、引きこもり。
太陽、浴びてないよね?状態。
実家に帰ることを決めた時、そろそろ介護が必要かもしれないなーなんて軽く考えていたけれど、帰ってみたらそろそろじゃなくて、もうすでに必要な状態でした。

両親の介護の為だったら、帰ってこなかった。

41歳で独身で、東京から大阪の実家に帰るっていうと、親の面倒を見る為に帰るなんて偉いわねーなんて勘違いしてくれる人もいるんですけど、両親の為だけになって、絶対帰ってこなかったです。(キッパリ)

私が故郷に帰ることを決めた理由はただ一つ。

これからの自分の人生をより良くしていきたいから。
これに尽きます。

自分がこの先やっていきたいこと、なりたい形、欲しいもの・・・そういうものを突き詰めて行った時、家族関係を見直したり修復する・・・そこは避けて通れないんだなって実感してしまったから。(これについては、きちんと言葉にしておきたい、そのうち)

そりゃあ、12歳で別居してハタチで家出勘当された頃に比べたら格段に関係性は良くなりました。
この先、普通に結婚して、自分の家庭を持って生活して行くのならそれで充分なのかもしれない。
でも、自分がやっていきたいことって、他人の家族全体に深く関わって行くことだから、自分の家族を適当なところで切り上げた状況では「足りない」という事が分かっちゃったんですよね。

両親がどう老いて、どう死んで行くのか・・・・それを間近で看ること。
それが、とっても重要なんだってこと。
実地訓練というか、実験台というか、「介護してあげる」っていうよりも「自分の親がどうやって年老いてこの世を去っていくのか、見届けてみたい」という興味です。

こうやって文字にすると結構ひどいね。笑

この先、高齢者で溢れかえる日本。
離れて暮らす家族が、自分の親をどう看取っていくのか。
近くに住む家族、同居している家族、色んな形はあるものの、親の死・家族の死に直面する人がどんどん増えていくのです。

そして、その、大きな問題と自分の人生を両立させていかなければいけないということ。

両立、です。

親を介護することも大事、でも、それ以上に自分の人生を生きることも大事なんです。
今の日本の現状では、お金を出して人に任せるか、自分の人生プランを変更したり犠牲にしたりして介護や看取りをせざるを得ない人が圧倒的に増えていく。

どうやったら、子どもが自分の人生を犠牲にせずに、親を看取っていけるのか。それを、実地訓練するために、30年ぶりに一緒に暮らし始めました。

こう書くと、重たいね。
でも、時が来た、って感じなんです。

できる範囲で親の人生(の最期)をサポートする。
でも、絶対に自分の人生を犠牲にはしない。

ここに、宣言、かしら。

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