見出し画像

今から謝りに行きたいくらい自己中。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その4)

働き続けながら正看護師を取得したと言うと、大抵の人が「すごいね!働きながらよくがんばったね!!」と言ってくれます。

そう言われると、「ほんとスイマセン」って気持ちになります。

なぜなら、すごーく自己中心的な行動と考えで働いていたから。

今思っても、なんであんな風に考えていたのか、謎。コワい。

「私、働きながら学校行ってるんだからすごく大変なんだよ。みんな、そこんとこよろしくね」

とでも言いましょうか・・・・いやーほんと、衝撃的な勘違い状態。

給料をもらって働いてるんだから、学校に行こうが、独身でいようが、家族がおろうが、母子家庭であろうが、関係ない。

なのに、勝手に、「学校に行きながら働いている私はエラい」とでも思ってたんでしょうね・・・多分。


学校に行くからと、休みもらいまくり。

夜勤の合間に学校の課題をせっせとこなす。

学校で疲れてるからと、夜勤の仮眠で熟睡。もはや仮眠じゃない。


ああ、ほんと、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・今からでも謝りに行きたいです。あの頃一緒に働いていたみなさん、広い心で見守ってくれていたみなさん、本当にありがとうございます。

とはいえ、そこは皆さん大人です。数々の自己中な行動、見逃してくれて暖かく見守ってくれていたと思いきや。

師長に全部報告されてたっぽい。当たり前だけど。

そんな自己中な私、あのままあの病棟で正看護師になってからも働き続けていたら、きっと、天狗になっていたことでしょう。私、正看護師になったのよ、准看護師のあなたよりもエラい、エラい、えへん。みたいな。

そんな私に、またまた転機が訪れます。

私がその頃働いていた病棟は、師長が茨城の大学病院出身。

少し前に看護師の人数確保が病院の看護部の最重要事項であることをお伝えしたと思いますが、とある時期に、ごっそりと看護師が辞めてしまい、人数の確保に四苦八苦している時があったんです。

そこに現れた救世主がその師長。

大学病院で定年退職した看護師や、子育てが一段落したような看護師をごっそり引き連れて転職してきました。

茨城から千葉に通勤しても納得出来るような給料が支払われる約束であったことは明白です。後日耳に入ってきた情報によると、この方達の給料で、病院の経営が傾くくらいの出費だったとか。

私が働いていた病棟は、茨城の大学病院から転職して来た、師長とその部下達がわさわさと働く病棟に変わっていきました。

師長は、大学病院の部下達をとてもかわいがっていて、元から働いていた私たちに「大学から付いて来てくれたこの子達が、いちばんカワイイ」と公言していました。

それってどうなの・・・・?と思うものの、特に我関せずでいた私。

でも、どこかで、「なんとなく居心地が悪い」という感もあるし、日頃の自分の行いもイマイチだったので、昔程気楽に働ける場所ではなくなっていました。

もし、その病棟がとても居心地のよい場所だったら、そこから移動しようとは思わなかったかもしれません。

けれど、なんとなく居心地が悪い、というアウェーな感覚が、私を動かしました。

「何かが違う」とか「ここじゃない感じ」というのは、理由はなくても自分のココロが感じていることです。

その第六感的なものを無意識に信じる感覚は、この頃から持ち合わせていたのかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?