私が学習机に別れを告げる話

 今日,新しい机を購入した.5月末に届く予定である.

 小学1年生から20年以上使い続けた学習机との別れである.

 良い学習机を親が買ってくれていたようだ.至る所に丸みを持たせたデザインは,子どもが手足をぶつけて怪我しないよう配慮されている.教科書や文具を収納するために必要十分な書棚・引き出しを備える.長く使った証として傷は在るものの,質感は陰りない.

 私は勉強が好きな子どもであった.特に小学校の低学年などは,自分専用に買い与えられた学習机の上で知的好奇心を満たすことがとても楽しかった.毎月届くベネッセの教材を心待ちにし,毎週土曜日に必ず1時間勉強した.1時間と決めて始めても,結局3時間くらいやって,月の上旬で教材を終え,来月を待った.

 ところが中学生になると,勉強は知的好奇心を満たすためのものではなく,受験競争の勝者となるためのものとなった.私はこの認識から最後まで抜け出せず,勉強は大層つまらなかった.

 高校受験の競争では勝者となれたものの,続く大学受験の競争では「勉強」するモチベーションを最後まで保てず,勝者になれなかった.中途半端な「勉強」だったから当然の結果である.
 一方,その志望大学・志望学部は,勉強を好きだった頃からぼんやりとでも浮かんでいた憧れであった.したがって,不合格の報せを確認した夜は静かに泣いた.中途半端と言えどもそれなりの時間を「勉強」に費やしたはずの努力が報われなかった事,勉強を嫌いになってしまった事への悲しさから,この机の上で泣いた.

 この学習机は,そういう学習机であった.

 そしてこの学習机は,まだ十分使える.これを捨てるのは少々勿体なかろうか.

 しかし手入れをしてこなかったから,ネジがあちこち取れてきた.蛍光灯も古びたが,机と一体で外せない.子どもの頃に必要十分であった書棚は,社会へ出る齢には過剰に感じられた.同じく過剰にある引き出しの内の1つは,途中で引っ掛かって開かない.子どもの頃に付けた落書きもある.

 勤労の義務にしたがい,社会に出た.
 私は結局,自分の知的好奇心を満たせないところへ就職した.働く事とそれは別である,との割り切りからである.勝者になれなかった大学受験で,私は人生の分岐を委ねていた.その結果である.

 ところで,社会に出て数年経ち,心に少し余裕が生まれてきた.今なら,好きだった勉強を思い出せそうな気もする.

 そんなわけで,20年使い続けた学習机にお別れを告げ,新しい机を迎え入れるのである.

 新たなスタートを.次の20年後,過去を振り返ってそう思えますように.

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