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黒い花の屍櫃(かろうど)・22 長編ミステリ

     『黒い花の屍櫃・1』はこちらから

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 翌木曜日に出社すると、赤石に呼ばれた。北村が桐生の横に並ぶ。

「で、久利生稔の死因はわかったのか」

 赤石の鋭い眼光が二人に向けられた。

 きのう、舛添トワから話を聞いたあと、桐生と北村は千厩警察署へ立ち寄っていた。久利生が数日間トワの家に滞在していたことを話し、黒ヒヨスの毒を摂取していた可能性があることを伝えた。

「死因は頸動脈切断による失血です」

「久利生が自分で毒を飲み、自殺した可能性についてはどうだ」

 北村の報告を聞きながら、赤石は手元の用紙に何やら書き付けている。

「彼が死ぬ前に黒ヒヨスを摂取していたかどうかは、まだわかりません。毒物検査の結果がわかるまで一週間ほどかかるそうです」

「久利生実がR・Jなら、一連の殺人事件の犯人は死んだことになる。久利生はR・Jだったと思うか」

 赤石が桐生を見やる。

「僕には久利生君がR・Jだとは思えません。仮に久利生君がR・Jだとすると、どうして『FINDER』に手紙を送ってきたんでしょうか」

「自分が悪魔に取り憑かれていると思わせたかったからじゃないか。『sorbet』を糾弾したかったとか、あるいは梶木に恨みでもあったとかな」

 赤石の机の上には、きょう発売された『FINDER』が開いたまま載っていた。特集記事のタイトルは『悪魔憑きの青年、大籠で自殺か?』となっている。

「そうだとすると、最後の手紙は久利生君が自分でプリントアウトして、投函したことになります。一週間近く大籠にいて、どうやって手紙をプリントアウトしたんでしょうか」

「それなら、スマホで文章を作って、コンビニでプリントアウトしたんだよ。彼はスマホを持ってたんだろ?」

「ええ。先週の木曜に大籠ではぐれたあと、一度久利生君からメールをもらいました。体調が悪いから一泊するという内容でした。その後、連絡が取れなくなったんです」

 あの日、正木希美の自宅の庭で人骨を発見し、千厩せんまや警察署で調書作りのため五時間を費やした。体力と気力を使い果たし、久利生のメールに救われた。もし、あのメールが届いていなければ、武藤と二人でもっと久利生を探していただろう。

「あるいは、桐生君たちと大籠へ行くときには、もう死ぬつもりで手紙を持参していたとかね。ほら、新幹線のなかで見せてくれただろ? 久利生が描いたスケッチブック。真っ黒に塗り潰されていたよね。あれは、きっと彼の絶望を現していたんだよ」

 北村に言われるまでスケッチブックのことを忘れていた。あの黒い絵を榊に見せられたとき、桐生は自分が祓魔式で体験した幻覚が再現されているように感じた。

「……僕が見た幻覚も、黒ヒヨスのせいだったんでしょうか」

 桐生の呟きに、北村が首を傾げた。

「北村君はずっと徳永瑛人の『シャブ中・疑惑』を追ってたから、知らないよな。桐生は久利生の悪魔祓いに一度出席してるんだ。日本唯一のエクソシストが執り行っているんだよ。そこで悪魔を見たんだよな?」

 赤石の説明に桐生は頷いた。

「だから十字架を首からぶら下げてたのか。祈りの言葉も唱えてたよね。その悪魔祓いの儀式には、桐生君一人で参加したの?」

 北村は口元に笑みを浮かべている。悪魔など一切信じない者からすれば、桐生は異次元に住む珍しい生き物に見えるのかもしれない。

「いえ、璃子さんも一緒でした。でも、彼女は幻覚を見てません。あの場所にいた誰かが黒ヒヨスを僕に吸わせたのかな。でも、いったい何のために……」

「桐生君に、悪魔を信じさせたかったしかもしれないよ。そうすれば記事にしてもらえる。実際、きみは悪魔憑きについて調べ、十年前に亡くなった正木有紗に辿り着いた。ついには悪魔憑きの青年が死に、悪魔憑きの真相に黒ヒヨスの毒が関係していることを暴いたんだ」

「……R・Jの目的は、神の復活じゃなかったということですか」

「それはR・Jに訊いてみなきゃわからない。でも、もうR・Jから手紙が来ることはない。あとは警察が調べてくれるさ。ひとまず事件は解決したんだよ」

 ――R・Jの殺人は終わった。

 北村の言葉に、桐生は息を吐いた。約二週間続いていた緊張から解放され、全身から余計な力が抜けていく。けっきょく悪魔なんて存在しなかった。

 自分の席へ戻ると、鞄にしまい込んでいたロザリオを取り出し、スチールデスクの抽出しに入れた。

 
 この日の昼過ぎ、徳永瑛人が覚醒剤所持の疑いで逮捕されたという一報が届き、北村は再び取材へ飛び出していった。

『FINDER』編集部では、毎週木曜日に企画会議がある。記者はそれぞれのデスクにネタを提出し、その後、編集長の鳥居とデスク四人で「デスク会議」が行われる。そこで次号のラインナップが決まる。

 桐生は璃子と一緒に久利生謙三に会いに行くよう指示された。次号は『悪魔憑きの青年の素顔』という記事を掲載するという。

 久利生謙三に連絡を入れた。すると、久利生稔の遺体確認のため大籠にいるという。代わりに榊に連絡を入れ、夕方五時半に再び小平のアトリエで落ち合うことになった。

 舛添トワの納屋から持ち帰った小箱といくつかの花の木彫りを紙袋に入れ、午後四時に璃子と編集部を出た。久利生が残した最期の作品を、榊はどう評価するだろう。

 麻布十番駅から南北線に乗り、飯田橋へ向かう。五時前だからか、車内はそれほど混み合ってない。

「桐生君、北村さんと取材できてよかったわね。私も同行したかったな」
 璃子はドア口に立ち、スマートフォンでニュースをチェックしながら呟いた。

「北村さんは、やっぱり体力が違うよね。火曜なんて徹夜明けなのに、新幹線のなかでちょっと寝ただけで、大籠についたあとはタクシーのなかで初校のチェック、遺体現場ではどこまでも冷静だったし」

 桐生はドア口から近い吊革につかまり、大籠での二日間を思い返した。

「北村さんて、『FINDER』に来る前はテレビ局にいたって聞いたわ。現地取材の場数も踏んでるから、動きに無駄がないのよね」

「だから芸能ネタに強いのか。幻覚剤にも詳しくて、悪魔憑きのことも最初から幻覚剤の使用を疑ってたみたいだよ。仮説を立てて舛添さんの自宅を直撃したから、黒ヒヨスに行き着くことができたんだと思う。本当にすごいよ」

 北村がいなかったら、R・Jの遺体を発見しただけで帰ってきていたかもしれない。

「桐生君が祓魔式で幻覚を見たのも、黒ヒヨスのせいだったってことよね。でも、いったい誰が桐生君に摂取させたのかしら」

「それは、久利生君だと思うよ。彼の服にあらかじめ黒ヒヨスの粉末が付着していて、僕が彼の体を押さえつけたときに吸い込んだんだと思う」

「久利生君がR・Jだったと考えれば、そうなるわよね。でも、もしそうじゃなかったらどう?」

 飯田橋に着き、二人はホームへ降りた。東西線に乗り換えるため、階段を上っていく。

「久利生君がR・Jじゃなかった場合、犯人はあの祓魔式にいたほかの誰かってことになるわよね?」

 改札を通り、璃子は通路を迷わず歩いていく。顔付きは険しい。

「まさか、あの三人のなかの誰かがR・Jで、久利生君や長山恵里香さんを殺したっていうのかい?」

 早足の璃子を追いかけながら、つまずきそうになる。

「桐生君だって、どこかで疑ってるでしょ? 久利生君はR・Jじゃないって」

「信じられない気持ちはあるけど、でも榊君はこれから会ってくれるわけだし、早見さんや真衣さんは久利生君のことを心配してた人たちだよ」

「でも、誰かが嘘をついているとしたら、可能性が高いのは誰かしら」

「女性にこれだけの殺人ができるとは思えないし、榊君は恵里香さんとは友人だった。早見さんが恵里香さんを殺す動機もまったく思いつかないよ」

 コーヒーショップの横を通り過ぎ、数段しかない階段を上ったり下りたりしているうちに東西線の改札が見えてきた。璃子は片時も速度を緩めず自動改札を通過した。階段を下り、滑り込んできた電車に乗る。

「神を復活させるための生贄が欲しかったんだから、三人のうちの誰が犯人でもおかしくないわ。聖職者を疑うのはどうかとは思うけど、アメリカの神父が殺人を犯し、それを教会も知ってて告発しなかった例もあるのよ。誰が一線を越えるかなんて、外からはわからないわ」

 璃子は口を歪めた。目的地に着くまで、璃子の表情が緩むことはなかった。

 
 高田馬場でもう一度乗り換え、小平駅に着いたのは五時過ぎだった。日はすっかり沈み、霊園に続く道はところどころ街灯に照らされている。道沿いの石材店は、すでにシャッターが閉まっていた。

「R・Jは車が運転できるはずよ。都心から一関まで車で移動したのかはわからないけど、大籠の廃屋まで行くには車が必要だわ。遺体現場には黒い花も敷き詰められてたんでしょ? その状況は、倉戸口の遺体現場と同じよね」

「あの床を埋め尽くすほどの黒い花を運んだことも考えると、自分の車か、レンタカーだろうな。璃子さんや北村さんみたいにシェア・カーの会員とかね」

 霊園の前を通りかかる。正門の出入り口には車の侵入を禁止するステンレス・ポールが嵌め込まれていた。冬場は五時以降、入園できないことになっている。人がポールの脇をすり抜けることは出るが、なかは街灯もなく真っ暗だ。

「倉戸口の廃屋まで恵里香さんの遺体を運んだことを考えると、犯人は相当の力持ちよ。そう考えると、早見さんが一番犯人像に近いわ。ほら、青木ヶ原樹海まで久利生君と行ったって話してたわよね。きっと早見さんが運転して久利生君を連れていったのよ」

「早見さんは体も大きいし、力もありそうだけど、R・Jかっていわれると、そうは思えないよ」

 一週間前に早見の店で話したことを思い浮かべた。あの日、グラスを合わせて乾杯した久利生はもういない。

 真衣や早見は、久利生が亡くなったことを知っているだろうか。きょう発売された『FINDER』を読めば、悪魔憑きの青年が誰のことなのか早見たちにはわかるはずだが、二人からメールや着信はなかった。

「青木ヶ原樹海で撮った写真を店に飾ってるって話してたから、ちょっと覗いてみてもいいわね。でも、どうやったら早見さんがR・Jだって確かめられるかしら」

「アリバイを確かめるのがいいだろうね。最後の手紙の消印は一月二十八日だったから、その日かその前日の夜にR・Jは一関にいたはずだよ。そこからあの手紙を投函したんだ。つまりこの二日間、東京を離れてないことがわかれば、早見さんは犯人じゃない」

「金曜の夜から土曜の二日ね。でも、どうやって久利生君を見つけたんだと思う? スマホはずっと繋がらなかったのに」

「それがわからないから、久利生君がR・Jだった線も否定できないんだよ」

 うどん屋の角を曲がると、アトリエのあるクリーム色の建物が見えてきた。璃子が立ち止まる。

「久利生君がR・Jだったのかもしれない。それはそのうち警察の調べで明らかになるわ。でも、もし真犯人がいて私たちが突き止めたら、間違いなくスクープよ」

〃スクープ〃の響きに、心臓が大きく鼓動した。

「璃子さんは、いままでにスクープを掴んだこと、ある?」

 二年先に入社した璃子は、桐生の知る限りデスクの指示を的確にこなす優秀なアシだ。だが記事を書いているところはまだ見たことがない。

「ないわ。だからこの事件の真相を掴みたいのよ」

 璃子は唇を引き結び、四階建ての建物へと歩き始めた。

        つづく


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