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羅小黒戦記を観た 〜思っていたよりずっと大人な、共存や選択の話〜

字幕だけの頃から気にはなってたんだけど、ずっと見逃し続けて観に行った。

最初は都内で2〜3館しかなかったのが、有名声優を使った吹替まで始まってすごいなぁと思ってたけど、とにかく各国のアニメーターが褒めてるなとか、ジブリっぽいなくらいで、予備知識はないまま行った。


観てないひと用にあらすじ。

森に住んでいた妖精シャオヘイは森林伐採により住処を追われ、都会を彷徨っていたところを同じ妖精であるフーシーやその仲間に拾われる。
やっと居場所を見つけたかと思うと、人間と妖精の仲介し、危険な妖精を捕らえる執行人ムゲンの強襲を受け、シャオヘイは仲間から引き離される。

ムゲンはまだ子どものシャオヘイを妖精たちが安全に暮らせる館まで護送すると言い、旅の間に道術の使い方、人間と妖精の共存の術などを教える。

最初はムゲンを敵視していたシャオヘイだが、道中で絆が生まれ出し、それと同時に信頼していたフーシーたちの意外な一面や思惑を知り、さまざまな選択を迫られながら冒険をしていくことになる。

だいたいこんな感じ。


ジブリっぽいというイメージでいたけど、ジブリでも平成狸合戦ぽんぽこのその先の世界という感じで、思っていたよりシビアだった。
コメディタッチな旅のシーンもあるけど、アクションはアメコミ映画のようですごく本格的。
サム・ライミ版のスパイダーマンや、地下鉄でのバトルはヘルボーイを思い出す。

人間と妖精の崩れそうな均衡は、ダークナイトあたりで流行ったダークな雰囲気の強いアメコミ映画が好きなら好きなんじゃないかと思った。

人間と妖精の関係も一筋縄では行かない。

人間は迫害する意思はなく(というか妖精の存在は認知されていない)、でも、圧倒的な数と進歩で妖精を追い詰めてしまう。
妖精たちは数は少なくても、その力は脅威的で反逆の意思を持てば世界に甚大な被害を及ぼす。

強弱や善悪で割り切れない境界に立たされているのが、まだ何も知らない子どものシャオヘイだ。
また、ムゲンも人間でありながら強大な力を持ち、400年以上の間、人間と妖精の共存のために戦ってきた。彼を敬愛する味方は多いけど、内心恨みを持っている存在も少なくない。

作中でムゲンが「シャオヘイには私しかいない」というけれど、暗にムゲンにとっても同じような存在はシャオヘイしかいなかったのかもしれない。

力や経験だけじゃなく、答えの出ない問題に対面することで成長する、思ってたよりハードな冒険譚だった。

ハードなだけじゃなく、キャラも全員いいし、息抜きできるところはストレートに楽しめるし、映像と音響がすごいアクションシーンも見所で、しっかりエンタメしてるところもいい。


(ここからネタバレ)

あまり政治的な見方はしたくないけど、分断や環境汚染など中国が持っている問題の提起も含んでいたのかなとも思う。

最後、ビル群を貫く大樹になったフーシーの姿は、深刻な環境汚染の打開策として中国で計画された、壁一面に植林をした植物高層ビルのビジュアルを思い出す。
開発の後で緑の重大さを知り、都市構想に使うことを共生の大切さに気づいた進歩と見るか、手遅れになってから緑を使う傲慢さと見るかも、共存に関して投げかけていた物語の要素のひとつかなと思った。

どちらが正義で悪とは決められないようすごく繊細に描写されているし、プロパガンダでは全然ない。
問題そのものというより、問題に向き合う姿勢の方が重視されていたように感じた。


フーシーもムゲンも居場所がないシャオヘイに「おいで」と手を差し伸べた存在だった。

でも、フーシーは最後の最後で、自分の目的のためシャオヘイの意思を捻じ曲げたばかりか命まで危険に晒す。

ムゲンは術を学ばせるときも館に行くときも強制はしなかった。フーシーを悪人だと思うよう誘導することもできたはずだが、善悪の判断もシャオヘイ自身に委ねた。
未熟な子どもに選択をさせるのはときに酷だけど、それでも意思を尊重し続けた。

自分たちの問題の解決のため、何も知らない子どもを巻き込んだたフーシーと、それに怒ったムゲンという、責任を持つべき大人の姿勢として、ここだけははっきりと善悪が区別されていたように思えた。


何かに属することはそれだけで利害関係やしがらみを生む。
フーシーに完全に同意していたわけではなさそうなロジュやシューファイのように、その集団に生きる者として思想や行動を決められる場面も出てくる。

シャオヘイが選んだ居場所が場所や所属ではなくひとだったのが、正解のない問題の答えとしてよかったなと思った。


大ヒットとロングランにも納得がいく、いろんなひとに観てほしい映画だった。


どうでもいい話:
観に行ったとき、ポスターが劇場版fate/grand orderのポスターと向かい合っているせいで、cv.宮野真守で年齢三桁越の長髪美女っぽい男がふたりも並んでる不思議な空間だった。

ノーヘルで原付乗ってたらチャラ男にナンパされる最強の執行人を観に行こう。

※追記

先週映画の感想で最も「スキ」された記事だそうです。ありがとうございます。

Twitterで読んだ方からフーシーのその後について質問あったのでネタバレ。

あの後大樹は伐採されず、風息公園と名前のついた公園になるそうです。(本国広報Twitterのシャオヘイの二十四節気というイラストと、webアニメの「猫が集まる不思議な公園」という台詞で確認できる)

材木にされなくてよかったという声の他に、フーシーが望まない共生を強いられている嫌な結果じゃないかという感想も見た。

本編を知っている観客たちはそう思えるけれど、龍游のひとたちはそもそもあれが妖精の反乱だということも知らないわけで、もしフーシーたちのことを知ったら、それこそ共存関係が立ち行かなくなってしまうかもしれないから、残った彼らも誰も言わないんだろう。

原因も理屈もわからない災害で、死者こそなくても妖精たちと同じように住処を追われた人間はたくさんいそうだ。

災害を思い出させるあの木をなかったことにせず、綺麗な場所に変えるのは、フーシーたちを憎まなかったシャオヘイと同じように生きていく術なんじゃないかなと思う。

正解はないけど、最悪を避けて最良を選ぶこの作品らしい結果なのかなと感じた。

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