父が亡くなった
父が、2021年3月9日、この世を旅立った。
最期の1か月は自宅での介護で、訪問看護師さんが来てくれていたものの、その他の時間は全て母が看護をしていた。
私は、父が入院中、一度も見舞いに行っていない。医者の病状説明や入退院の送迎は行っていたものの、最期自宅に居た1か月は一言も会話を交わしていない。冷たいと感じるかもしれないが、私のスタイルなので批判されてもな、と思う。批判は一度受け止めます。
父は父で自分が弱ってがりがりになっていく様を見せたくなかったし、俺も見たくなかった。亡くなる前に何かしゃべっておけば良かったかな?と思うこともあるが、亡くなるまでの毎日それを考えて、そうしなかったのは私がしないほうが良い、と思った結果なのだ。
最期を看取るとき。声も出せない、呼吸も浅い、体も動かせない父に対し、看護師さんは声をかけてあげてと言う。
正直、何と声をかけていいのか分からなかった。お疲れ様、ありがとう、感謝しています、それらの言葉を逡巡した。しかし何一つ発声できず、ただ膝をさするしかなかった。
膝をさすると、父は涙を流した。
遠方に住む姉とテレビ電話が繋がった時、俺に対しての反応と100倍違っていた。娘であり、これまでの接し方に幾ばくかの思いがあったのだろうか。ここで父は無念そうに号泣した。ドラマや映画の亡くなる際の演技って嘘だなあと思った。話すことができてぱたっと亡くなる人間がこの世にいるのか?それよりも鬼気迫る表情で最期を迎える父を見て、リアルとはこれだと思ってしまった。
世の中には最期を自宅で迎えられず、病院で色々な管を繋がれ人工呼吸器で迎える人は大勢いると思う。自宅看護の大変さがあり、それを選択するのはやむを得ない。そんな中、自宅で逝けた父は純粋に良かった。
さて、身内が亡くなると、感傷に浸る暇などない。通夜、葬儀の手配、弔問客への挨拶、寺院への経の手配、お布施、通夜葬儀の費用の支払い、煩わしい親族との邂逅、その親族が進めてくる宗教の拒絶等、怒涛のように押し寄せてくる。あっという間に初七日を迎えた。
深い話は出来ないままだったが、どこかのタイミングでできるかもしれん。
ありがとうね、おとっつあん。
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