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「資本主義の次に来る世界」読書メモ

くつろぎながら生きていきたい。そのためには現代社会の基本になっている資本主義についても学ぶ必要がある。資本主義の次に来る世界ではくつろげるのか?そんな思いで読んでみた本です。

納得することも多々あるのですが、じゃあ、資本主義の次にはこういった世界になるよね、というものはなく、あったとしてもそんなに簡単になるとは思えず、なかなか難しいよなー、という中途半端な感想です。

この資本主義の利潤を追い求めるパワーなどはすごいものだと感じますし、そこに人間の欲望や広告などが絡み合って、人によってはかなり振り回されてしまうと思うので、うまいことくつろぎながら資本主義社会を生きていくすべを身につけていく必要があるのだと改めて感じます。

資本主義は永続的な成長を軸にしている。
拡張主義的な経済システムであり、常にますます多くの資源と労働を商品生産の回路に取り組む。
資本の目的は余剰価値の抽出と蓄積であるため、資源と労働をできるだけ安く手に入れなくてはならない。
言い換えれば資本主義は「自然と労働から多く取り、少なく返せ」という単純な法則に従って機能している。

ゴールがない、というのが問題ですね、、、いつまで経っても終わらない。。そして、自然と労働から多く取り、少なく返せというのも確かに、、、その差分が利益になるわけですね。

自然からも取り過ぎて、いよいよ限界だ、というのが昨今なのでしょうが、国際社会で全員一緒に、というのもできず、グリーントランスフォーメーションなどで解決だ!というのがメインストリームなのかもしれませんが、斎藤幸平さんの本などでは、そんなのでは解決できず、資本主義とは違うシステム、コミュニズムになるしか解決策はない、と言っていますが、それも納得です。

でも、地球や社会に良いことをやっているようなテイで、ベースは資本主義の利益追求、ゴールなき成長、というのが当面続くような気がしています。

資本主義は本質的に植民地支配的な性質を備えている。

全員ハッピーというのは資本主義の中ではあり得ない、ということなのでしょうね。労働からの搾取か自然からの搾取か、やりがい搾取か、、、

アニミズム的思想は人々が地球から搾取しても許されると考える範囲を限定した。

日本にも、自然から取りすぎないような思想はあるのでしょうが、一神教的な考えだと人間は自然を支配できるものとなるので、自然に対して容赦ない搾取なんかをしちゃうんでしょうね。

資本主義は蓄積を阻む障壁(市場の飽和、最低賃金法、環境保護など)にぶつかるたびにそれを破壊し、新たな成長の源へ触手を伸ばしていく。それが解決策と呼ばれるものだ。
囲い込みは解決策だった。
植民地化は解決策だった。
大西洋の奴隷貿易は解決策だった。
中国とのアヘン戦争は解決策だった。
アメリカの西部開拓は解決策だった。
これらの解決策は全て暴力的だったが、あらたら強奪と蓄積への道を切り拓いた。いずれも資本の成長欲求に応えるためだ。

今は地球温暖化が資本主義にとっての一番の障壁なのでしょうが、それも乗り越えていこうとするのでしょうが、どうなるのか、、

成長が問題なのではなく、成長主義が問題。
成長主義とは、人間の具体的な必要を満たすためでも社会的目標を達成するためでもなく、成長そのもののために、あるいは資本を蓄積するために、
成長を追い求めることだ。

共感します。

本来は資本主義は、多くの人の生活を便利に、幸せにするための手段だったはずが、ゴールがないから、もっともっと、という感じになるのでしょう。

これ以上便利になると幸せになるのか、もう十分なような気もしますが、資本主義のパワーや、利潤を求め続ける企業は、広告などで「もっとこうすると幸せになれますよ」というのを訴えてきて、それに乗せられると、もっとお金を稼がないと、もっと成長し続けないと、となってしまいます。

またやっかいなのが、そんな世界は疲れるから、イチ抜けたー、と抜けようとしても、食べ物の値段が上がったり、生活するのに必要なお金の量も増えていったりと、この社会から抜ける方が大変だったりもします。

ただ、くつろぎながら過ごしていきたいだけなのに、、、
なかなかくつろがせてはくれません。

資本主義の仕組みを理解しつつ、その終わりなき成長に飲まれることもなく、資本主義から少し離れられるように準備もしつつ、くつろぎながら食べていきたい。

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