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「絶望死のアメリカ」-資本主義が目指すもの-読書メモ

タイトルからして重めの本でしたが、中身は、なぜ絶望死というものがアメリカで広がっているのか、その原因は?ということをデータを元に書かれていました。

アメリカ独自の問題(人種問題など)が根深い部分にはありましたが、資本主義の超大国として、今後の日本で全く同じ現象が起きない保証はないので、ここで書かれているようなことが日本で起きないためにはどうするべきなのか、など参考になる部分メモします。

まず、ここでいう絶望死とは自殺、薬物の過剰摂取、アルコール性肝疾患を指します。そして、絶望死が低学歴の白人の間で増えていることに着目し、その理由を探っています。

そして、その原因は、貧困、所得、大不況などによって引き起こされたものではなく(もちろん多少の影響はあるでしょうが)、資本主義の進みすぎ、新自由主義などの負の側面などによって生み出されているような根深い問題だ、というような内容です。そこに、アメリカ特有の人種問題なども絡んでいるので、こうすれば解決するというような問題でもなさそうです。

「常に特権を与えられてきた人にとって、平等は抑圧のように感じられる」
ー歴史学者 キャロン・アンダーソン

こういったことを白人が感じ、逆差別を受けているように感じることがある。と、人種問題は日本や各国でもあるのでしょうが、アメリカは特に根深そうですね。

自由市場、とりわけ中毒性薬物についてはうまく機能しない。その使用者がしばしば、明らかに自らの利益に反する行動をとるからだ。供給者は消費者を中毒にすることで利益を得る。つまり、相互利益が対立に置き換えられることが多いのだ。

オピオイド系の鎮痛剤の過剰処方、過剰摂取などによる中毒や死亡が増えているのは、それらを市場に任せると上記のようなことが起きてしまうためなんですね。これをコントロールするのが政府の役割なのですが、グローバル化によって、資本は国境を超えていきますが、国は国境を超えられないので、資本が政治よりも強くなってしまうようになっているのが現在なのかもしれません。新自由主義の負の部分ですね。

健康な社会であれば「社会的連帯をはぐくむ、ストレスの少ない友好的な戦略によって構築された」人間関係が見られる一方、不健康な社会では「支配、対立、服従といった、よりストレスが強い戦略」によって特徴づけられると主張する。ーイギリスの疫学者 リチャード・ウィルキンソン

支配、対立、服従といったことが多くなると、それに伴う企業間の争い、企業と個人の裁判や賠償、ストレス社会による疾患などの増加、などが生まれそうですが、それらも全てGDPの増加には寄与します。武器を作ればその分もGDPが増え、争いなどは経済を成長させます。ただ、それが健全かどうかというのであれば間違いなく健全ではないです。

連帯することでお金をあまり使わない、無駄な仕事などを減らす、穏やかに暮らせる、一方でGDPは昔よりは減っていく。そういった社会を日本は目指せないのかと思います。

金融危機であまりにも多くの一般人が仕事や自宅を含むあまりにも多くを失ってもなお、銀行家たちは罰も受けずに高い給料を取り続け、政治家たちに守られ続けた。資本主義は、大衆繁栄の原動力というよりは、お金を上へと再配分する発射台のように見えてきたのだ。

儲かった企業が、ロビイストに多額の金を払い、そのロビイストが企業が有利になるように政治家に働きかける。そして金持ちがより尋常じゃない金持ちになる。そして、何かで失敗した時も、報酬はもらい続けたり、最悪でもクビで終われる。でもそのツケを払うのは、そのギャンブルなどの恩恵を全く受けていない一般の人たちという構図ですね。

これは資本主義の限界なのか、エリートたちのモラルの欠如なのか、いわゆるデイビットグレーバーが言うところのブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)の代表格が、この企業のためのロビイストや、デイトレーダーなどですかね。

仕事で得られる収入は手に入れられる、財やサービスを通じて、良い暮らしを物質的に支える。だが仕事はそれだけではなく、あるいはそれ以上に、人生のほかの側面にとっても重要だ。仕事は人生に枠組みと意義を与えてくれる。

今後、ジョブ型の仕事が日本でも増えると思いますが、そうなった時に、この人生の枠組みと意義をどこに見出すのか?は大きなテーマですね。

仕事には見出しにくくなるとすると、家族なのか、コミュニティなのか、などでいくと、共同体のあり方などには大きなポテンシャルを感じます。

人は仕事を求め、仕事は働く者の人生に意義と社会的地位を与え、仕事をしながら学んだり、人と会ったり、より良い暮らしを送れるようにしてくれる。それと正反対の議論は、多くの仕事は純粋に苦役でしかなく、余暇は楽しく自由を増進してくれるので、余暇を実現するためのコストを他者が支払っているとしても、余暇はいいことなのだというものだ。

仕事とはなんぞや?というのも考えさせられます。キリスト教的労働感で考えると、神が人に苦役としての労働を与えているので、労働は苦役で、できるだけ早く終わらせてリタイアしての余暇生活というのが良い人生とされているのかもしれません。日本はもう少し、生活と切り離しにくいような感じもします。やはり、その中でのジョブ型導入による副作用というのはアイデンティティの喪失や、居場所がないというような状況が増えてくるような感じがしますね。

貧乏人がもっと働くべきだと最も強く主張するのは、一度も働いたことがない有閑階級だ。-バーランド・ラッセル

昔は、大企業の中にも掃除係のような人もいて、その人には所属意識などもあり、大企業の一翼を担っているというような誇りや意義や希望があったのに、それも持てなくなってしまっているという指摘もあります。確かに。。。非正規やアウトソース、派遣などではそういった誇り、意義、などを持ちにくくなってしまう気はします。

健康、家族、コミュニティ、宗教を、富の尺度が要求する拘束衣に押し込める必要はない。

確かに、これらは資本主義、自由市場でやるべきものではないですね。

世俗化仮説というのは、教育が広がり、所得が増え、国家が教会の機能の多くを引き受けるようになると、人々は宗教から離れる。というのもで、大雑把に言うと、人はより厳しい状況の時に、より宗教を必要とする。

納得です。マルクスは宗教を「大衆のアヘン」と言っていますが、宗教に頼ることで現実逃避、思考停止に陥る場合はそうなってしまいますね。

陰謀説とかフェイクニュースを信じる人も、それを信じた方が自分を正当化できるとか、そう考えた方が自分に都合が良いというものだと思いますし、大変な状況にあるほどそうなってしまう気がします。

経済学者イリヤナ・クジエンコと共著者らは、実験室における研究で、人は物質的状況に関わらず最下位になることを非常に嫌がるものだと言う証拠を発見した。結果として最下層の集団が自分より上に行きそうになると、自分より下の人々に改善をもたらす変化を拒否する。

経済全体が成長しているような時は良いのでしょうが、それが止まって、社会に閉塞感が出てくると、既得権を守ったり、自分より下に見ている人たちに対して厳しくなったりするのでしょう、、、生活保護に対する風当たりが強くなったりするのもこの心理な気がします。社会としては健全ではないですね。

将来の成長見込みが良ければ市場がおおむね上向きになるのは事実ではあるが、賃金が下がったり経営陣が従業員を安価なロボットで置き換えたりしても市場が上向くのもまた事実だ。株式市場に利益があるのは、労働から資本への再配分だ。

ここまで人類を発展させ、豊かにしてきたのが資本主義というイデオロギーであることは否定はできないと思います。ただ、一方で、その資本主義が暴走し始めているのが、新自由主義の台頭であったり、グローバル化によってその資本主義をコントロールできなくなってしまっていて、その歪みがあらわれているのが、今現在だと感じます。

その中で、ではどうしていくのが良いのか?とても難しい問題ですね。。

広く同意されているのは、人の苦しみからお金を生み出すのは間違っているということ、そして、その苦しみに基づく富の不平等は不正であるということだ。

確かにそうだ!と思う一方で、ここまで豊かになってきた国の、そのスタート地点には奴隷制であったり、植民地であったりと、人の苦しみから生み出した富がスタートです。

日本においても、この豊かさを享受できている裏側では、減ってきているとはいえ、児童労働や、過酷か条件下での労働、多くの多くの自然環境からの収奪、搾取によって豊かな生活を送れているという、直面したくない事実を一度受け入れる必要があるのだと感じます。

そもそも資本主義というものが、利殖を無限に増殖させていく運動、と考えると、その増殖させていく過程では、周辺からの収奪や自然からの収奪はデフォルト設定になっています。

自然や人から収奪しつつも、それ以上の豊かさを提供できていたので、まだよかったのですが、それがいよいよ限界、という時代が今だと考えると、私たちは本当に大きな大転換の時代を生きていると実感します。

本書でも、未来に対して明確な解決策を見出せるものはないのですが、一方で、資本主義の最前線にいるアメリカがこれほどまでの絶望死という現象が現れている、そしてその一番の要因が医療など本来資本主義とは相入れないものまでも全て資本主義のパワーに飲み込まれ暴走していることとなっています。

やはり、ここからは斎藤幸平さんの「人新世の資本論」に書かれているように、資本主義を乗り越えてのコミュニズム、そして、世界は3.5%の人が変われば、世界が変わっていくという言葉に繋がっていくのではないかと感じます。

自分が、この3.5%になっていくにはどうすれば良いのか、どうしていきたいのか、どういった未来の地球に住んでいきたいのか、そういったことを引き続き考えながら生活もしていきたいと思います。

愉快な人生と健全な社会。これが人生のテーマになりつつあります。

関連記事です。この本も課題図書としていいぐらい良い本です。












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