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「ビジネスの未来」読書メモ

山口周氏の「ビジネスの未来」の読書メモです。

ざっくりいうと、ビジネスの目的が「物質的豊かさで貧困をなくす」ことだとすると、それは概ね達成していて、アメリカ型資本主義を目指すのは違っている。真に豊かで生きるに値する社会を目指すべきで、そのためには人間性や文化、情緒などに価値を置く行動に変えていこう。資本主義をハックしよう。という内容です。(僕の理解で)

①ビジネスの目的は達成されている!おめでとう!
 物質的豊かさは概ね達成されており、また日本においては少子高齢化で人口も減っていく、需要が減るのは当たり前なのに、それをマーケティングという技などで需要を引き出そうとしつつ、経済成長を目指すのか?その先に幸せはあるのか?(いや、ない)というのが最初です。

②それでも目指すのは小さなアメリカ?経済成長を目指し続ける?
 もう経済成長の先に明るい未来を見つけられないにも関わらず、経済成長という宗教を信仰し続ける社会で良いのか?(いや、よくない)
経済成長以外のストーリーがない状態。

③資本主義というシステムを変えていく、のではなく、自分の思考や行動様式を変えていくことで、資本主義をハックしていこうじゃないか。
便利さから豊かさへ、機能から情緒へ、効率からロマンへ。
大きく、遠く、効率から小さく、近く、美しくへ。

人間性に根ざした衝動(歌いたい、踊りたい、助けたい、美しい海に飛び込みたいなど)に基づいた行動様式へ

というものだと思います。
非常に共感しますし、では、その中で日々の自分の仕事、生活行動、などをどうしていくのか?を考えていきたいと思います。

以下は本の中で気になった文章の抜粋&コメントです。

「文明的豊かさを生み出すビジネス」から「文化的豊かさを生み出すビジネス」への転換。

物質的豊かさは達成したので、違うビジネスを目指そう、と。

「自分の信念と事実が食い違う時、人は『信念を改める』よりも『事実の解釈を変える』ことで信念を守ろうとする。」レオン・フェスティンガー

認知的不協和の説明ですが、経済成長の先に人間の幸せがない、ということがデータで分かってきた現代においても、その事実を受け入れて変わるのではなく、いやそんなことはない、データが違う、やり方が違うなどで、経済成長と幸せという物語を変えようとしないと言っています。

真に問題なのは「経済成長しない」ということではなく、
「経済以外の何を成長させれば良いか分からない」という社会構想力の貧しさであり、さらに言えば「経済成長しない状態を豊かに生きることができない」という私たちの心の貧しさなのです。

心の持ちようですね。ここまでの300年ぐらいが経済成長を前提として、その中で人が豊かになってくる、というものだったので、違うストーリーを作れない、ということですね。

「便利で快適な世界」「生きるに値する世界」へと変えていく。
別の言葉だと「経済性に根ざして動く社会」から「人間性に根ざして動く社会」へ

まず、そう生きよう、と決めて、それからいろいろ具体的に考えていかないと、そうは言っても無理だよね、というのしか出て来なそうです。

オスカーワイルド
「真に生きているのではなく、ただ生存しているだけ」

こうならないようにしないと。

ビジネスというのは常に「問題の発見」と「問題の解消」の組み合わせによって成立しますから、「問題」がなくなってしまうと、その「問題」を解消することで生計を立てていた人の仕事がなくなってしまうのです。
問題の開発(人為的に問題を生み出す)=マーケティング
問題の解消=イノベーション
すでに満ち足りている人に対して、「まだこれが足りていないのでは?」とけしかけて、枯渇・欠乏の感覚を持たせることができれば、需要は生み出せる。これがマーケティングの本質。

マーケティングもイノベーションもカッコいい言葉ですが、それらが現代で持つマイナス側面はしっかりと認識する必要がありますね。

経済成長というのはそもそも、その前提として破壊という営みを必要としているということ。

そして、ビジネス(問題の発見と解消)と無限の成長を前提としる資本主義はすこぶる相性が良い組み合わせで、それによってここまで人類は豊かになりましたが、もうこれ以上やらなくていいんじゃない?というのが今ですね。

飽和する需要を「延命」させようとすれば、必ず道徳的に微妙な領域に踏み込まざるを得ない。

教育や医療を資本主義・ビジネスで考えすぎるとこうなりますよね。災害時の商売とかそういったのも最たるもの。

1.ニーズには「他人に関係なく必要な絶対的ニーズ」と「他人に優越するために必要な相対的ニーズ」の2つがある。
2.「絶対的ニーズ」は近いうちに解決するが「相対的ニーズ」には限りがない。
消費は「他者への優越を示すための一種のマウンティング」にしかすぎない

欲望を駆り立てて、際限なくさせるのがマーケティングで、その欲望は限りがないので、いくらでも繰り返してしまう。でも、実はそれが単なる他者へのマウンティングだとしたら、なんとも恥ずかしい気持ちになりますね。

常に今の生活では不満ですよね?幸せになるにはこれを買いましょう、というのが広告の本質だとすると、広告・マーケティング業界って、、、と考えてしまいますね(結構長いこと携わってましたが、、マーケティング部とか)

追加で自然資源を消費することもなく、そこを訪れる人に「これまで生きてきて良かった」と感じさせるような「至高の体験」を与え続けているのです。この「資源生産性の高さ」こそが、21世紀の経済活動に求められているのです。

そんな消費じゃなく、違う活動しようぜ、というのが提案です。

インストルメンタル(功利的・手段的)
中長期的
手段はコスト
手段と目的が別
利得が外在的
合理的

今まで主体の、こういった考えから

コンサマトリー(自己充足的・自己完結的)
瞬間的
手段自体が利得
手段と目的が融合
利得が内在的
直感的

こういったものに変えていこう。と。

私たちが知っている中で、あるいは想像しうる中で最も価値があると思われるのは、交友から得られる喜びや美しいものを見た時に感じる悦楽にもよく似た、ある種のこころの状態である。

モノじゃなく、体験や人間との繋がり。と。
でもここでコト体験とかマーケティングっぽくなるとそれはまたつまらない感じになりますね。

重要なのは、「システムをどのように変えるのか」という問いではなく、「私たち自身の思考・行動の様式をどのように変えるのか」という問いだ、ということです。

資本主義を変えるぞ!戦うぞ!ではなく、その中でどう思考や行動様式を変えていくのか、共感します。

明日のために今日の辛い労働に耐える。
今日の充実のために夢中になれる仕事に取り組む(コンサマトリー)

こういった仕事にしていくにはどうすればよいのか?考える必要ありますね。

すべての人が自分の喜怒哀楽に素直に向き合い、真に自分が夢中になれることに皆が仕事として取り組み、仕事そのものから得られる悦楽や面白さが報酬として回収されるという高原社会のビジョン。

このビジョンに反対する人はいないのでは?
でも夢見物語では?という中で、いくつかこうしたら良いという提案もしています。ベーシックインカムなどもあり、そういったことしかないのだろうと思いますし、応援消費とか、そういったものも、ですね。

僕もなんとなく意識しているのは、
・チェーン店極力いかない(個人店に行く)
・自動寄付をする(毎月いくら、とか)
・ビッグイシューは極力買う(最近はネットでまとめ買い)
・被贈与感(いろいろ贈与されすぎてる!といような健全な負債感)を持つ
・無駄なモノを極力買わない
・モノをできるだけ捨てない(メルカリかジモティーで譲るか)
とか、引き続きどういう社会で自分が暮らしたいか、考えていきます。

著者は最後にこう締め括っています。

 私たちはバトンを受け取っているのです。だから私たちもまた、受け取ったバトンを次の世代へと受け渡していかなければなりません。何を言っているかというと、現在の私たちが「そういうものだ」として受け入れている現在の社会もまた、100年後の人々からすれば、「なんと愚かだったのか」という営みや習慣に満ちているということです。
 クリティカルであることを忘れてしまった人々、現在の世界を「そのようなものだ」と受け入れてしまっている人々にこの「愚かさ」の修正を期待することはできません。その役目を担うのは、いままさに、こうしてこのあとがきを読んでいるあなただということです。ぜひ「資本主義社会のハッカー」たる自負を持って、新しい世界の建設に携わっていただければと思います。



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